タロット絵師の商い処 前編
「いやあ、まさか地主さまでしたとは」
「まあ、そう固くなるな。私も森に出れば一介の狩人にすぎん」
そんな会話を交わすのは、白髪の少年と紫髪の艶やかな女性。
そこにお茶を出した青年サルジェはしみじみ思うのでした。
一人でも絵になる人が二人並ぶとなおさら絵になるなあ。
自分がごくごく普通、並大抵の一般的な容姿であることを自覚しているため、サルジェは向かい合って座る二人の横合いで、縮こまっているのでした。
さて、サルジェの前の二人はというと、白髪の少年は行商人のサファリ。海を思わせる瞳は、少年とは思えないほどの大人びた光を湛えています。もう一人の紫紺の髪を持つ女性は、サルジェの狩人の師匠にしてこの街の地主、ハクアです。微笑むだけで妖艶なオーラを放つこの女性が、実はとても曲者であることを弟子であるサルジェは知っているのでした。
しかし、サファリの雰囲気もハクアに負けず劣らず。何せ見るからにサルジェより年下であるはずなのに、ハクアの前でしゃんとしているのです。地主に、しかもハクアを前に堂々と接することができるものが、ただ人にどれほどいるのでしょうか。その上正確な年齢を聞けば、サファリの年齢は十代半ば。サルジェの知り合いのあの少女と同じくらい……と考えたところで、かちゃりと部屋の戸が開きました。そこから鶯色の髪を、短く、男の子のように切った少女が入ってきました。
「ただいま戻りました」
その少女は折り目正しくお辞儀をします。ハクアが「お帰り」というと頭をあげます。その目は光の加減によってきらきらと色の変わる不思議なものでした。
「お客様ですか?」
オレンジと黄色に目をちらちらさせながら歩み寄ってくるツェフェリは、ハクアとサルジェのほかに、もう一人いることに気づきます。
「やあ、ツェフェリ、お久しぶり」
振り向いたサファリが、ツェフェリに言いました。
ツェフェリは目をまん丸くして驚きます。
「サファリ君? キミ、サファリ君だよね?」
わあ、本当に久しぶりー、と再会の抱擁を交わす二人に、凍り付くサルジェ。それを見やってハクアは「あらあら」と楽しそうにつぶやきます。
そんなサルジェの様子に気づかず、ツェフェリは笑顔で告げました。
「この子はね、サファリ君。ボクがまだ"神の子"とか呼ばれてた時に会った、行商人の子だよ」
「あ、ツェフェリ。僕、父さんの跡継いだんだ。今は一人で行商やってる」
「わ、すごーい! サファリくん、大人だね」
ウキウキが止まらないツェフェリと鉄面皮のサファリのぽんぽん進む会話が、サルジェにどれだけのダメージを与えたかは、言うまでもないでしょう。
「サルジェ殿……」
ツェフェリが鞄に仕舞っているタロットの[魔術師]が、思わず哀れむような声をあげたのは無理もないでしょう。
けれど、ツェフェリはそれにすら気づかないほどに舞い上がっておりました。サファリに会えて、とてもうれしかったのです。サファリが喜んでいるかどうかは鉄面皮のせいで判断に苦しみますが、ハクアやサルジェと話していた時よりはるかに饒舌なのは確か。
いろいろとあからさまな二人の様子にノックアウト寸前のサルジェは、ツェフェリに席を勧め、ティーカップをもう一つ取りに行くという名目で、その場から一時撤退することにしました。
その時です。
「そうそう、僕、実はツェフェリに用があって来たんですよ」
鉄面皮の商人は。
「ツェフェリ、僕と一緒に来ない?」
盛大な爆弾を落としてくれたのでした。
厨房にて。
どんよりとしたサルジェが、弱火でじっくりコトコトとお湯を沸かしておりました。その場には他に誰もいません。厨房は彼の聖域です。
は、さておき。実はもう一人……ではなくもう一枚が、彼の傍におりました。ツェフェリのタロットの一枚[魔術師]です。
ツェフェリの持つタロットたちには意思があります。ツェフェリが神の子と呼ばれるに相応しい才を持つからか、それともただひたむきにタロットたちを作り上げたツェフェリの魂が乗り移ったかは知りませんが、ツェフェリのタロットたちは皆、ツェフェリ思いで──というよりかまず、しゃべります。
その中で唯一、サルジェが声を聞き取れるのが[魔術師]です。近頃はよくよく二人で過ごしており、仲のいい取り合わせでした。
しかし、[魔術師]──ツェフェリにアハットと名付けられた彼は今、サルジェに声をかけることができずにいました。醸し出す雰囲気もそうですが、何よりかける言葉を見つけられません。
サファリという少年については、アハットの記憶にもありました。ツェフェリとタロットたちが初めて言葉を交わした時に、ツェフェリの傍らにいた少年です。そのとき、ツェフェリは泣いていたので「主に何かしでかした輩か!」とツェフェリへの思いの深すぎる[悪魔]などはあまり好印象を抱いていないようです。アハットは、別に悪い人ではないと思うけれどなあ、と考えています。第一、彼らの主であるツェフェリが好意を抱いているのですから。
そう、その「ツェフェリが好意を抱いている」というのが今回の場合は問題でした。主に、サルジェにとって。
アハットのみならず、ほかのタロットたち、ハクア及びツェフェリ以外のサルジェ周辺人物には、暗黙の了解というか、公然の秘密というか……サルジェが、ツェフェリを少なからず思っていることは、バレバレなのです。
だからこその落ち込みよう。アハットは結局何も言えないまま、サファリのツェフェリへの提案を思い返します。
「本当は、絵を描きたいって思ってるんでしょう? もしその思いが変わっていないのなら、僕と一緒に旅をしながらタロットを売って歩こう。君の描いたタロットカードを。そうすれば、ツェフェリの絵は広まって、タロット絵師として、人々に認められるようになるんじゃないかな」
その提案に、ツェフェリはすぐ答えませんでした。傍にいたタロットたちにはその心の揺らぎが痛いほどに伝わってきました。
タロット絵師として認められたい。自分の作ったタロットカードを。それはツェフェリの長年の夢でした。それが叶えられるうえに、大好きなサファリくんと一緒にいられる! それは願ってもないほどの幸福です。
けれど、ツェフェリの心には波紋が生じていました。でも、それでいいの? と。
ツェフェリ自身は、自分がなぜそう思うのかわかっていません。ただ招待の見えない不安に心がざわめいているのです。
タロットたちはなんとなく、わかっていました。だけれども、それを自分たちの口から言うのもどうかと悩んでいます。そこは自分で気づくべきなのです。
そこまで考えて、アハットははあっと思わず溜息を吐きます。まずい、サルジェに聞こえたか、と思ったら、サルジェが同時に息を吐いていました。サルジェが火元から離れ、アハットを手に取ります。
「なあ、アハット。俺は、ツェフェリを笑顔で送り出してやるべきなんだろうか?」
そんな問いが零れてきたので、アハットはまじまじとサルジェの顔を見つめ──噴きそうになりました。なぜって、顔全体に「そんなのは嫌だ」と書いてあるような表情だったのですから。
と、アハットが噴き出すより先に、やかんが限界を迎えたようです。あ、いけね、とサルジェは慌てて火を止め、ティーポットにお湯を注ぎ、茶葉を入れて蒸らします。
とりあえず作業が一区切りついたところで、アハットは口を開きました。
「そうですねえ、主殿がご自分で行くと決めたときは、ぜひそうしていただけるとありがたいです」
タロットは主に従うしかない。アハットは暗にそう告げました。
そうか、と考え込もうとするサルジェに、今度はアハットが問いました。
「サルジェ殿は、どのようにお考えで?」
「うーん……」
答えは考えるまでもなく出ている気がするのですが、サルジェは考えます。
一分、二分……五分経過したところで、さすがにアハットは声をかけました。
「蒸らしすぎでは?」
「あ」
やばい、出しすぎたー、とティーポットから茶こしを取り、頭を抱えるサルジェを、アハットはやはり好ましく思うのでした。
ここまで主殿のことを考えてくださるとは。
慌ててミルクとハチミツを用意するサルジェを、アハットは微笑ましく見守るのでした。
さて、客間に戻りますと、ツェフェリがいませんでした。
「あれ、ツェフェリは?」
「なんだか、ラルフさんのところに行く、とか言って、出かけちゃいましたよ」
答えたのはサファリでした。
ちなみに、ラルフというのは町医者で、先日ツェフェリにタロットの修繕を依頼した人です。
「随分悩んでいるみたいでしたねー」
すさまじく能天気に、悩みの種は言いました。サルジェは色々と出そうになった言葉をぐっと飲みこみ、ミルクティーを差し出しました。続いて、ハクアにも。
ところが、ハクアはすぐに席を立ちました。
「私はトレーニングの時間だ。サルジェ、客は任せたぞ」
「えぇっ!?」
この状況下でサファリと自分を二人きりにするなんて、何を考えているんだあの人は、と頭を抱えるサルジェの傍らで、いってらっしゃーいというサファリののほほんとした声が響きました。
仕方なく向かいの席にサルジェが座ると、サファリが言います。
「サルジェさん、でしたよね。僕はツェフェリに紹介してもらったけれど、貴方のことは紹介せずにツェフェリは行ってしまいました。よろしければ、お名前以外のことも教えてくださいませんか?」
天然なのか何なのか、そんなことを言い出すサファリに、サルジェはむっとしそうになりましたが、ぽつりと言いました。
「俺はサルジェ。狩人をやっている。ツェフェリとは、森で知り合った。彼女が村を出た直後くらいかな。リヤカーに荷物を乗せて一人でぷんすかしているところで会った」
話していると、懐かしい光景が浮かんできます。
出会ったのは、今よりスコーン一個分ほど背の低かったツェフェリ。村に祀り上げられるのに飽き飽きして、荷物をまとめて夜逃げみたいな恰好で出てきたツェフェリはぶつくさと愚痴りながら、森を歩いていました。
村を出たはいいものの、行く宛もなくて実は困っていたツェフェリに、偶然狩りの途中だったサルジェが出会いました。そこで事情を聞き、冬籠り用の小屋を貸したのが始まりです。
今思うと、あの時出会っていなかったら、ツェフェリは行き倒れていたんじゃないか、とサルジェは気づきました。あの時はまだ子供で、無鉄砲だったんだな、としみじみ。
「そうだったんですか。ツェフェリからは恩人だと窺っておりましたが、そういう経緯だったんですね」
「って、ツェフェリからしっかり紹介されてんじゃん」
なんだか大仰に話してしまったような気がして、顔を真っ赤にするサルジェのツッコミを、言葉のあやってやつですよ、とさらりと流すサファリ。彼は優雅に一口、お茶を啜って、小さく息を吐きます。
「優しい味のミルクティーですね」
「あ……はい」
何気ない褒め言葉に、サルジェの荒れていた心中が少し落ち着きました。
お茶請けとして出されたクッキーをポリ、とかじり、サファリが言います。
「聞いてばかりでは不公平なので、僕も少し、ツェフェリとの思い出話をしましょう」
クッキーを食べきり、サファリは語り始めました。
「実は僕、占いもできるんですよ。父と各地を渡り歩いていたもので、いろいろと覚えたんです。それである時、ある少女を生き神として祀り上げながら、腹の中では陰湿な取り合い合戦を繰り広げている、とても愉快な村で商いをすることになりました」
ぎりぎりの境界線で、比喩というか、歯に薄皮一枚程度しか着せていないサファリの口ぶりに、サルジェは苦笑いしました。聞き返すまでもなく、そこはツェフェリいた村でしょう。
「僕は次々と渡り歩いていたので、友達と呼べる同年代の子供はいませんでした。ところが、奇遇にもその村の生き神様は僕と同い年で、神という言葉が似合わないくらい子供らしい子供でした。それがツェフェリです。ツェフェリは愛想のない僕にも分け隔てなく接してくれました。僕にとっては多分、唯一の友達です」
鉄面皮のまま、声だけは和かにサファリは続けました。
「ツェフェリにタロット占いを教えたのは僕です。その時僕は、彼女を泣かせてしまいました。たまたま、悲しい結果が出たんです。ねえ、覚えていますか[魔術師]さん」
サファリの言葉にサルジェはぎょっとしました。[魔術師]はサルジェのポケットの中からええ、と答えました。サルジェが[魔術師]のカードを取り出すと、[魔術師]はこう続けます。
「けれど、貴方に導かれて我々は主殿と出会えました。そのことは感謝していますよ」
「それはどうも」
サファリはミルクティーを一口啜りました。[魔術師]は続けて問います。
「しかしサファリ殿。今回の件は何を思ってのことなのです?」
[魔術師]がサファリの思惑を探ろうとしているのに気づき、サルジェは顔を引き締めます。訊かれたサファリは動じる様子もなく、ただ少しだけはにかんで答えました。
「僕はただ、ツェフェリと旅ができたらいいな、と思っただけです」
サルジェはその笑みを目にし、数瞬硬直した後、ミルクティーを一口啜りました。
なんとなくわかったのです。サファリは自分と同じなのだ、と。
ツェフェリが好きなんだ、と。
何か通じ合ったような気がしてサファリを見ると、海色の目が微笑んでいました。
「サルジェさんはどう思うんですか?」
細波のような声がサルジェに囁きました。
「僕はもう、伝えましたからね」
その一言にはっとして、サルジェは立ち上がりました。
「ツェフェリのところに行くんですか?」
「ああ」
「じゃあ、僕はツェフェリが置いて行ったタロットで、ラバーズブリッジでも組んで待っていましょう」
「ラバーズブリッジ?」
「愛の架け橋です」
あまりにもド直球な宣告にサルジェが固まるのを見て、ただの占いですよ、とサファリは笑いました。
サルジェを見送ると、サファリは二十二枚のカードたちに語り掛けました。
「さあ、君たちの主の未来を示して。僕はもう答えを知っているんだ。だから歯車を回しに来たんだから」
「サファリさま。ならばなぜ、わざわざ占うのです?」
問いかけたのは[運命の輪]の天使。
「だって、ツェフェリはタロット絵師だもの」