タロット絵師の占い処
深い深い森を抜けて、更にその奥深く。こじんまりとした山小屋に、骨董屋の絵師が住んでおりました。
絵師の名はツェフェリ。幾つもの異名を持つ彼女を尋ねて、人は絶えません。
しかし、彼女の最も得意とする作品[タロットカード]だけは、誰にも扱えないバッタもんだとえらい批判を受けていました。
なぜならば──
ちりりん
店の扉の鈴が鳴ります。
「いらっしゃいませ。骨董屋[宿り木]へようこそ」
爽やかな笑顔で出迎えるのは、淡い鶯の羽根の色の髪を持つエプロン姿。短髪であることも相まって、彼とも彼女ともつかぬその容姿は初めて見る人を驚かせます。
彼女こそがツェフェリ。あらゆる瞳を持つ絵師です。
彼女は瞳を様々な色に染めます。青が映れば青に、赤が映れば赤に。彼女は[虹の子]と呼ばれ、人々に愛されていました。
「まあ、別にボクの瞳のことなんてどうでもいいんだけどさ」
ツェフェリは言います。
彼女はこの瞳のために、森の奥深くで暮らすことにしたのです。
[虹の子]は神に愛された子。その恩恵を、と彼女を求める人々と、恩恵を一人じめしようとした彼女の家族たちとが争いました。
彼女は呆れ、誰にも平等に恩恵があるように、と森の奥に隠り、誰にも会わないことにしました。
ところがどうして、彼女は今、骨董屋なぞを営むことになったのやら。
それには、藁しべ長者のようなおかしなおかしな経緯があるのですが、それはまた別のお話です。
「……なんだ、サルジェか」
「なんだとはなんだ。なんだとは」
店にやってきたのは、肩当てと胸当てがついた軽装で、背中に弓矢、腰に数本の短剣を携えた狩人のような出で立ちの笑顔が眩しい好青年。
彼はこの森から一番近い北の街の守護者です。本業は狩人なので、狩人に見えるのは当たり前。
彼こそが、ツェフェリを藁しべ長者方式で骨董屋にした張本人でした。
「そういえば、もうじきこの店も開店一周年だね」
「一周年記念にボクの描いたタロット買ってよ!! まけとくからさ」
「だめだよ。君のカードは君が描いた時点で君のものでしかあり得ない」
サルジェがあっさり買い取りを断ったので、ツェフェリはむくれます。
この骨董屋[宿り木]の品物は、殆どがよく売れます。しかし、ただひとつ売れないのが、ツェフェリが描いたタロットカード。プロの絵師もまっつぁおの芸術品なのですが、この手のものを集める人は、なぜか実用性ーーつまり、このカードでの占いが当たるか当たらないかを価値基準にするのです。
「なんでさ。この子たち、ボクの言うことは全部聞いてくれるのに」
ツェフェリが描いたタロットは、なぜかツェフェリが使うと当たり、ツェフェリ以外の占い手には全く答えないのです。
ぱちもんといちゃもんをつけられて、ツェフェリはショックでした。
「まあまあ……ねぇ、ツェフェリ。タロット以外のものを売ったら、骨董屋やめて占い処を始めれば? ツェフェリの占いには答えてくれるんだろ?」
サルジェの指摘にぽん、とツェフェリは手をつきました。
「その手があった! サルジェ、ありがと!」
さっきとえらい態度が違うなあ、と思いつつ、サルジェはそれでも満足げでした。
ツェフェリが屈託なく笑ったから。
さて、骨董屋改め占い処[宿り木]には、早速客がやってきました。
「私、今度の試験が上手くいくか心配で……」
「好きなのを引いてみて」
「……これかな」
「ん、おおっ、[星]のカードじゃん。努力は実るよ。[星]は希望を表すんだ」
「彼が浮気してないか心配なの」
「一枚引いて」
「これ?」
「どれでもいいよ。フィーリングが大事」
「……うん、これね」
「どれどれ……うわっ、[塔]」
「悪いカードなの?」
「悪いどころじゃないよ。全部ぶっ壊れる。……その彼と別れたら?」
「最近、妻が自信をなくしていて……」
「ふーん。奥さん、好きなのを引いて」
「……(すっ)」
「あらま、[女帝]! これは強い女性を象徴するカード。母性って意味もあったかな? ……自信を持って。アナタは素晴らしいお母さんだ」
「……えっ、子供ができたことをどうして……」
「や、さすがにそこまでは知らなかったけどっ……!!?」
占い処[宿り木]は大評判でした。
さすがは[虹の子]、[神の使い]、いや、[神の子]だ!!
人々は様々な言葉でツェフェリを奉りましたが、ツェフェリはちっとも嬉しくありません。
なぜなら、それらの中にはどこにも[絵師]という言葉がなかったからです。
「ねぇ、みんな。ボクには絵師としての才能がないのかな?」
ツェフェリは下絵を描きながら、誰にともなく問いかけます。すると、溌剌とした少年の声が答えました。
「いいや、マスターはすごいよ!! だって僕たちを作ってくれたんだ」
「左様。見る者に目がないだけ」
続いて渋い声。甲高いソプラノが突っ込みました。
「そこはふつーに見る目がないでよくない? でーたんは言い方がいつも回りくどいよ」
「……黙れ、[太陽]」
ツェフェリの言うみんな──でーたんと呼ばれた渋い声の一言でもお察しの方はいるでしょう。そうです、彼らはタロットカード。ツェフェリ自らが手掛けたタロットカードの大アルカナたちなのです!!
最初の少年が[愚者]、渋い声が[悪魔]、ソプラノが[太陽]。みんな、ツェフェリの友達です。
「ボク、みんな大好きだけど、認められないのは……なんか嫌だな」
ツェフェリは絵を描くのが大好きです。けれども、なぜか人々はツェフェリの絵を評価しません。でも、ツェフェリがなりたいのは占い師でもなければ骨董屋でもない、絵師なのです。
「主、我々も主が嫌いではない。だからこそ、主以外の下で使われるのは嫌なのだ」
[悪魔]が渋い声で言います。ツェフェリが作業する隣の机からは、瞳が憂いを帯びた濃い紫に見えました。
「そうです……私の天秤は、主様の下にあらねば傾きます」
[正義]の女神が重ねます。
「みんなが思ってくれるのは嬉しいんだけどねぇ……」
俯くと、瞳は森よりも深い緑に変わり沈んでいきました。
カードたちは黙します。
ツェフェリの沈黙が集中のための沈黙だからです。
やがて、日が暮れました。
夜。
ツェフェリが寝たことで静まり返った[宿り木]でひそひそと話す声がありました。話す、といっても、ツェフェリ以外には聞こえない声です。
話しているのは、ツェフェリのタロットカードたちでした。
「ねぇ、フォーチュン、話って?」
[太陽]が問います。答えたのは男とも女とも取れる高貴さを漂わせた声。
「我らがマスター、ツェフェリ様のことです」
答えた彼は[運命の輪]の天使です。大アルカナで十番という真ん中に位置するカードのため、彼はこのカードたちの中ではリーダー的な存在のようです。
「……エリー様の下を、離れるかどうか、ですね?」
憂いを帯びた女性の声。
「そうです、[世界]。そろそろ我々は、ツェフェリ様の望みと、向き合わねばならないと思うのです」
「異議あり」
即座に声を上げたのは、[悪魔]でした。
「今の主以外の主など考えられん」
「でーたんに賛成だな」
[太陽]も続けます。[審判]の天使が無言でラッパを鳴らします。ピッチの合っていない微妙な音は、どうやら[運命の輪]の意見に同調していないようです。
「なんでったって、今更そんなこと言うのさ。きみだって、マスターのことは好きだろう?」
[愚者]が言います。咄嗟に反論できず、[運命の輪]が黙り込みます。
「みんな、主様が好きなのはフォーチュンだって、主様だってわかっています。けれど、主様の幸せが、私たちと共にあるだけではないのだ、と言いたいのです」
[正義]が言います。しかし、アルカナの大多数は納得していないようです。
「……よろしい。ならば、私が手を打とう」
そう言ったのは[魔術師]の青年でした。
「手を打つとはどういう意味だ?[魔術師]の若造よ」
「明日、サルジェ殿が人を連れてきます。サルジェ殿の弓の師で、聞くところによれば、凄腕の占い師でもあるとか。優しいサルジェ殿のことです。主殿の悩ましきに気づき、その師に我々を紹介するでしょう。その時が勝負です」
[魔術師]の言葉に、一同に緊張が走りました。
「自身の占いに絶対の自信を持つその方は必ず主殿と勝負なさいます。その前に私は一度だけサルジェ殿と話し、そのような運びになるように、そして、占いの対象を指定します。……この題ならば、主殿が勝っても負けても、主殿の真意が皆にわかりましょう」
「……して、その題とは?」
[悪魔]の問いに[魔術師]が静かに答えました。
森の夜が更けていきます。
ちりりん……
「いらっしゃいませ、占い処[宿り木]へようこそ」
ツェフェリがいつもどおり笑顔で出迎えたのは、サルジェと背の高い女性でした。
その女性が持つ、夕闇と宵闇の境を思わせる紫紺の髪。きりりとした強い意志を湛えた瞳。どれを取っても、魅了されない人はいないでしょう。
ツェフェリも一瞬見惚れ、そしてぱっと何かに気づいたように勢いよくサルジェに振り向きました。
「サルジェ、もしかしてこの方……」
「ああ、俺の師匠で」
「あの高名な占い師ハクア様ですよね!?」
ハクアと呼ばれた女性が頷きます。サルジェが知ってたの? と驚きました。
「ボク、タロット好きだからねぇ。お客さんからタロットのことは色々聞いてるんだよ」
「そっか。いや、ツェフェリがそこまで知ってるとは」
知っていたくせに、随分できた役者だ、とツェフェリの手の中にある[魔術師]は感嘆しました。
[悪魔]を始め、昨晩難色を示していたカードたちは、ハクアに値踏みするような視線を送っています。
ハクアは頭を巡らせて、ツェフェリの手の中のタロットに目を止めました。
「もしや、それがサルジェの言っていた、使い手を選ぶアルカナか」
「ええ。師匠ならきっと、使いこなせるかと思いまして。……要はこのカードを買い取ってほしいんです」
「サルジェ!」
ツェフェリが驚きの声を上げました。サルジェはウインクで応じます。
声こそ出さないものの、タロットたちもざわつきました。
今度はハクアが値踏みするようにカードを見つめます。
「そのアルカナ、見せてもらえるか?」
「は、はい」
緊張しながらツェフェリはタロットたちを渡しました。嫌なのだ! と叫びそうな[悪魔]を[正義]と[世界]が必死で抑えます。
「……ふむ、かなり本来の意味に忠実に描かれているな」
「はい。意味さえ理解していればどんな絵でも、という話も聞きますが、それだとタロットたちに失礼かな、って、どうしても思っちゃうんです」
「……なるほど。それがアルカナに愛される所以か」
「えっ?」
ツェフェリと一緒に[魔術師]も虚をつかれて声を上げそうになります。慌ててこらえましたが。
「隠さずとも、このアルカナたちに命のようなものが宿っていることくらいわかる。でなければ、主の命にこれほど忠実なアルカナにはなるまい」
[正義]と[世界]に抑えられていた[悪魔]も動きを止めました。
「これほど主を愛するアルカナを主から引き離すのは惜しい。買い取っても構わないが、その前に一つ、勝負をしないか?」
予想外の展開にツェフェリ以上に[魔術師]は動揺しました。
「[魔術師]、これは……」
こっそりサルジェが囁きます。
[魔術師]は不敵な声で、どこか楽しげに言いました。
「これは、面白いことになりそうです」
「しょ、勝負……ボクとハクア様が?」
「嫌か?」
「いえいえ! 身に余る光栄です」
ツェフェリの瞳が上向きになったことで山吹色の陽光を返し、きらきらと輝きます。
「じゃあ、六芒星法をやりましょう」
六芒星法とは、六芒星を描くようにカードを展開して占う方法です。タロットで使われる占い方ではかなりポピュラーな部類のものです。
「やり方は知っているか?」
「もちろん!」
ちなみにツェフェリがいつも使っているのは一枚引きという最も簡単な用法です。
「でも、何を占うんですか?」
サルジェがそこですかさず提案しようとしましたが、ハクアに止められます。
「このアルカナたちの運命を決めるのだから、本来なら共に運命を歩むはずの君の夢、というのはどうかな?」
奇しくも、[魔術師]が考えていたものと同じ題でした。[魔術師]にとっては好都合。
「主殿、受けてください」
「でも……」
ツェフェリは小声でやりとりします。[魔術師]は大丈夫です、と言い切ります。
「私たちがついているのです。万が一にも主殿が負けるなど、あり得ません」
その一言にツェフェリの手がぴくりと動いたのを[魔術師]は見逃しませんでした。
「わかりました。ボクの夢が……叶うかどうか。それでやりましょう」
ツェフェリはタロットをハクアに手渡しました。
六芒星法は、まず、タロットをかき混ぜ、適当にまとめたあと、札を三つの山に分け、また一つにまとめます。
それを占う相手にも繰り返してもらい、占う題について念じ、六芒星にカードを広げます。
ハクアが先に占うことになりました。
カードは自分と正反対の側を頂点に三角形を一つ、それと交わる逆三角形を一つ、そして中央に一枚、という順で置きます。
置いた順に[1:過去]、[2:現在]、[3:未来]、[4:周囲の状況]、[5:潜在意識]、[6:対応策]、[7:最終結果]を示します。
「さて、まずは過去から見ようか」
ハクアが一枚目を捲ります。
「[節制]の正位置。中立とか、バランスが取れていることを示す。悪くはないね」
確かに、[虹の子]ということで、人々の争いを避けるためにと森に隠りました。そこから考えると、間違ってはいません。
「続いて現在、未来と行こうか。現在は……[世界]の正位置。未来は……おやおや、[魔術師]の逆位置だ」
[世界]は調和を表します。現在はさしずめ[満ち足りた環境]といったところでしょうか。
一方、[魔術師]は逆位置、逆さの状態で出てきました。
「[魔術師]は始まりを示す。それが逆位置となると……[行き詰まる]ってとこか」
行き詰まる……スランプになるということでしょうか。
スランプは怖いなあ、とツェフェリは思います。
……絵が描けなくなるのは怖い。
「さて、周囲の状況、潜在意識、対応策と行こう」
周囲の状況[恋人]の正位置。
潜在意識[悪魔]の正位置。
対応策[戦車]の正位置。
「周りとは上手くいってるみたいだな。客足も上々らしいし、我が弟子とも懇意にしてくれたみたいだしな」
「し、師匠!」
サルジェが顔を赤らめますが、ツェフェリはきょとんとしています。
「さて、最終結果だ……[運命の輪]の正位置」
にこり、とハクアは笑いました。
言うまでもなく、これはいいカードです。
「……さて、次はツェフェリくんの番だ」
ツェフェリも全く同じ手順で占いました。
そして──
「引き分け、ですね」
占いで出たカードは全て同じでした。
「あ、そういえば、引き分けになったときのこと、考えてませんでしたね」
ツェフェリが言うと、ハクアはふっと笑いました。
「では、私から提案がある」
ハクアはツェフェリの手を取りました。
「君ごとそのアルカナを買い取ろう」
「……ええっ!?」
ことはハクアの占い時に遡ります。
「聞こえるかどうかは知らないが」
タロットをかき混ぜる手を通して、タロットたちに声が届きました。ハクアの声です。
「アルカナの精霊。私は別にお前たちをツェフェリくんから引き離そうとしているわけじゃない。……お前たちも知りたいだろう? 主の願いを」
ハクアの言葉に何か言いかけた[悪魔]他数名は黙り込みました。
「いいか、私の言うことを聞くも聞かないもお前たちの自由だ。だが、本当に主の願いを知りたいなら、耳を澄ませ。お前たちが真に主を思う精霊なら、自ずとわかるはずだ」
アルカナは、祈りを聞き届け、その願いの行き先を示すカード。このアルカナたちは、主を思うあまり、他に頓着して来ませんでした。 [悪魔]を始めとするツェフェリ保守側のカードたちはなかなか承服しません。
その時です。
「ボクは、本当に絵師としてやっていけるか、教えてください」
主、ツェフェリの声が聞こえました。その心からの祈りに──
「もし、我が主の願いを、我らが力で叶えられるならば」
[悪魔]が言いました。他のカードも同意します。
そうして彼らは、主の祈りの行き先を示しました。
「悪いが、私には既に良き友がいてな。それを差し置いて新しいアルカナを持つことは、どうしてもできぬのだよ」
「そうでしたか……でも、さっき買い取るって」
「だからお前ごとなのだ」
ハクアはツェフェリに一つウインクしてみせました。
「ツェフェリくん、私の相棒の修繕のために一緒に来てくれないか?」
ハクアは一組のタロットカードを出しました。
「君の絵師としての腕を買う。だから、彼らを治してほしい」
絵師としての……
ツェフェリとしては願ってもないことでした。
「はいっ、喜んで!!」
そう言ったツェフェリの瞳は、星のように輝いていました。