097 お昼前
「ああ、結構時間を食っちまったね。マリコ、あんたのこの後の予定は?」
「サニアさんには、昼前に食堂に来るようにって言われてます」
「今……、もう十一時半かい。じゃあ、今はここまでかね」
タリアはポケットから引っ張り出した懐中時計に目を落とすとそう言った。一度着替えに戻ることを考えれば、確かにいい時間である。二人は執務室へと戻った。
「あんたのこれからだけど……ああ、今日じゃなくて今後のことだがね。宿の基本的なことはサニアに任せてあるから、あれの指示に従っておくれ。まあ二、三日は多分、あっちこっちの仕事を一通りやってみることになるだろうけどね」
「はい」
自分の机に着いて書類を広げなおしながら言うタリアに、マリコは頷いた。
「で、今日のことなんだがね。昼の時間が終わって、もし手が空くようならもう一回ここへ来てくれるかい?」
「それは構いませんけど、探検者の組が戻ったら忙しくなるんじゃないんですか?」
「ああ、だから昼の片付けが済むまでに連中が戻ってなかったら、でいいさね」
「分かりました。では、失礼します」
◇
タリアの部屋を出たマリコは自分の部屋に帰るとメイド服に着替え直した。もう何度目かになるので、特に困ることもない。じきにエプロンの結び目も完璧なメイドさんができあがった。下着類こそ変わっているものの、見た目は今朝と同じである。
「ズボンを穿いていられたのは一、二時間ってところか。やれやれ」
手鏡を覗き込んでホワイトブリムの角度を直しながら、マリコはため息をついた。結局、宿の者でマリコのジーンズ姿を見たのは、ミランダ、タリアと服屋で一応試着した時のサニアの三人だけである。普段着の方が珍しい、という状況にマリコは微妙な気分になった。
(それにしても、メイド服を着ている方がなんとなくしっくりくるというか、落ち着くのは何でだ。……防御力か。こっちの方が丈夫だからな。うん、そうだ。そうに違いない)
スカートに慣れつつある、という事実を認めたくないマリコであった。
脱いだ服をクローゼットに掛けて廊下に出たマリコは、食堂に現れなかったら、と言っていたミランダのことを思い出した。
(先に部屋にいるかどうか見ておけば二度手間にならずに済むな)
コンコンと、隣の部屋の扉の前に立ってノックする。
「ミランダさん。おられますか?」
声も掛けてみたが返事は無かった。しかし、中には人の気配があるようにマリコには感じられた。
「言ってたみたいに寝てるのかな」
マリコは何となく扉の取っ手に手を掛けて引いてみると、カチャリと小さな音がして扉が薄く開いた。
「えっ、開いてる!?」
開くとは思っていなかったマリコは思わず声を上げた。しかし、寝ているにせよ留守にせよ、このまま放っておくわけにもいかない。
「ミランダさん? いますか?」
扉の隙間からもう一度声を掛けるが、やはり返事はない。マリコは中をのぞいていいものかどうか迷ったが、寝ていたら起こしてくれと言っていたミランダの言葉と、今朝自分を起こしにきた時のミランダの話を思い出した。
(部屋に入らずに起こす……のは無理だよなあ)
今の呼びかけで起きないのなら怒鳴りでもしないと起きないだろう。さすがにそれはマリコとしても避けたかった。
「ミランダさん? 入りますよ」
再度声を掛けてから扉をもう少し開け、マリコは部屋の中をのぞき込んだ。すると、右側に見えるベッドの布団が人型に盛り上がっているのが見える。
「あっ、やっぱり寝てる。起きてください、ミランダさん」
部屋の中に身体を滑り込ませながら、もう一度声を掛ける。布団の山が少し動いたように見えたが、起き上がる様子はない。マリコは仕方なくベッドに近づいた。
明るさを避けたらしく、仰向けに寝た顔の上まで布団が引き上げられていた。布団の端から、昨夜のように猫耳の先だけがのぞいている。
(おお、猫耳が……。いやいや、今はそうじゃない)
腰をかがめて反射的に猫耳に手を伸ばしかけたマリコだったが、なんとか途中で軌道修正すると、布団にくるまれたミランダの肩に手を置いた。そのまま軽く揺する。
「起きてください。サニアさんのところに行きますよ」
「んー?」
モソモソと布団の中でミランダの身体が動き、猫耳の前に出てきた両手が布団の端をつかむと、それを少し引き下げた。糸のような細い目をしたミランダが顔を出す。かろうじて目が開いているように、マリコには見えた。
「あ、起きましたか?」
「マリコ殿……、んー」
「わっ」
ミランダをのぞき込むような姿勢になっていたところへ首っ玉にしがみつかれた。倒れこみそうになったマリコは両手を突いて何とか身体を支える。
「ちょっ、ミランダさん、起きて起きて」
「んー、ふふ」
「おわ、くっ、このっ」
ますますしがみついてくるミランダを、マリコは片膝をベッドに乗り上げ背を反らせて、その上半身ごと引き起こした。落とさないように、片手をミランダの背中に回す。
「えっ!?」
自分の手に伝わるミランダのなめらかな素肌の感触にマリコは少し驚いた。改めて目を向けると、ミランダの肩越しに見える枕元には畳んで積まれた肌着類の山。マリコのこめかみに一筋の汗が垂れる。
「んー」
寝ぼけているとしか思えないミランダがすりすりと頬を動かす。その動きにつれて、二人の身体の間にはさまれていた布団がずりずりと下がっていく。
「起きて起きて、ミランダさん! それはさすがに女の子としてどうかと思いますよ!」
ミランダがきちんと目覚めるまで、この後数分の時を要した。
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