089 お買物 4
現在、里にある店は、服屋、雑貨屋、鍛冶屋、食料品店、パン屋の五軒だけである。服屋を後にした三人が次に向かったのは雑貨屋だった。といっても、五軒の店は宿屋のすぐ近くに固まっており、服屋の隣が雑貨屋になっている。
ナザールの里は、拓かれてたかだか三十年の新しい里である。生活に必要な物の全てを里の中だけで自給するのはどう考えても無理な話だった。服屋がそうであったように、作れる物は自分の所でなんとかして、そうでない物は他の街や里から買い入れてくるというのが、ナザールに限らず小さな街や新しい里にある店での基本的な商売の仕方である。
「こんにちは、ダニーさん」
「おお、サニアさん」
サニアが雑貨屋の引き戸を開けると、中から低めの男の人の声が聞こえた。店に入っていくサニアに続いてミランダとマリコも戸口をくぐる。
店の中はさっきの服屋とは打って変わって、こちらは棚だらけであった。桶やまな板などの台所用品、カップやお皿といった食器類、大小の陶器製の壜や壷。そういった物が種類ごとに分けられて棚に並んでいる。棚のない所にはイスなどのちょっとした家具まで置いてあった。
その並んだ棚の奥に男の人が立っていた。四十路手前と言ったところだろうか。短めの茶色い髪と、同じ色のやや目尻の下がった目をしている。背はカミルより少し低いくらいだが、筋肉は三割増しくらいありそうだった。
マリコは、ダニーと呼ばれたその男の顔に見覚えがあるような気がした。しかし、どこで会ったか思い出せない。
(会ったとしたら昨日の食堂しかないんだけど、来た人全員の顔をはっきり見たわけじゃないからなあ)
「ミランダさんもこんにちは。あと……ああ、あんたがマリコさんか、はじめまして、だな。話は娘から聞いてるよ」
「えっ!? 娘さんから?」
「ああ、マリコ殿。ダニー殿はエリーのお父君なのだ。お邪魔する、ダニー殿」
「エリーさんの? ああ、なるほど……。はじめまして、マリコと申します」
いきなり名前を言い当てられて驚いたマリコだったが、ミランダの言葉に納得した。顔に見覚えがあると思ったのも当然で、改めて見るとダニーの顔立ちはエリーとよく似ていたのである。
「ああ、こっちこそよろしく。娘とも仲良くしてやってもらえるとありがたいな」
「はい」
「それでサニアさん、今日は何を?」
「そのマリコさんの日用品をいろいろとね。とりあえず、お風呂用品一式は必要ね。あとは……、そうね、ここにある物も見て要りそうな物があれば、ってところかしら」
サニアは手でマリコを示した後、店の中を見渡した。
◇
しばらく、三人でああだこうだと店内を見て回り、必要そうな物が集められていく。サニアが言った通り、風呂用品を中心に積み上げられていったそれらは、最後にはちょっとした山になっていた。
「何も無いところから揃えようとすると結構な量になるわねえ」
「そうですねえ」
桶、手鏡に始まり、石鹸、シャンプー、リンス、個人用のカップなどなど。鏡や石鹸類が比較的高価であったので、合計金額は残った予算で何とか足りるくらいとなった。
「あっ」
マリコは買おうと思っていた物が一つ、山の中に無いことを思い出した。
「どうしたの、マリコさん。まだ何かあった?」
「剃刀です、サニアさん。剃刀を忘れていました」
「ああ。でもそれ、今日は無理だと思うわよ?」
「え? どうしてですか?」
「単純に高いのよ。まともなのは金貨が二枚は必要になるわよ? それに最低限、研ぐ道具も要るもの。それも結構するんだけどね」
「そんなにするんですか」
マリコは思わず、ダニーの顔を見た。
「ああ、剃刀を普段研ぐ革でできた砥石というか道具があるんだが、安いのでも金貨一枚近いな。ついでに言っておくと、剃刀を買うなら鍛冶屋だな。鍋釜や刃物なんかの金物は鍛冶屋が扱ってるんだ」
考えてみれば、剃刀は切れ味に特化した刃物である。安い物ではないのは当然だった。その金額では、日用品を少々減らしたくらいではとても足りない。マリコはがくりと肩を落とした。
「まあ、いいではないか、マリコ殿。当面、私かサニア殿に借りればいい」
「なんなら、また剃ってあげるわよ」
それを避けたいから自分のが欲しかったんです、とマリコは心の中で叫んだ。
◇
とりあえず、当面必要な物は揃った。雑貨屋を出たマリコは、他の店の場所と何を扱っているのかを二人に聞きながら宿へと歩く。
鍛冶屋は先ほど聞いた通り、金物全般を扱っている。ナイフや包丁などの小物は自前の工房でも打つが、剣などの大物はまだよそから買い入れている。普段一番需要がある仕事は修理や補修だった。
パン屋はパンを焼くだけでなく、米などの穀物の売買を行っている。日本で言うと、パン屋と米穀店を兼ねているようなものであった。
食料品店は肉屋と八百屋を兼ねたような店で、穀物以外の食品全般を扱っている。これも当然、里で採れるものだけでは偏りがあるので、多いものを他の街に売り、足りないものは買い入れに行く形だった。
店の数が少ない分、一軒が扱う物の範囲は広い。里が大きくなって扱う量が増えて行くと、一軒の店の者だけでは手が回らなくなってくる。そうなったら、店の数を増やして個々の店の扱う品の範囲を狭くすることで回りをよくしていくのだ。
「さあ、今日は午後から少し忙しくなるわよ」
「そうだな」
「午後から何があるんですか?」
「探検者だ、マリコ殿」
「探検者がどうかしたんですか?」
「里の周りで活動してる組のいくつかが、今日中に宿に戻ってくる予定になっているのよ。バタバタすると思うけど、二人ともお願いね」
「心得た」
「分かりました」
(探検者……、ゲームでの冒険者みたいなものなんだろうな。どんな人がいるんだろう)
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