080 朝練 1
「マリコ殿、起きられよ。朝だぞ」
ベッドの脇に立ったミランダは、自分に背中を向けて眠っているマリコの肩を軽く揺すった。
「すぅ、……すぅ」
しかし、マリコに目を覚ます気配は無い。上掛けをシーツごと抱き枕のように抱え込んで、穏やかな寝息を立て続けていた。浴衣の袖は肩までまくれ上がり、裾もはだけてしまっているので、上掛けに巻きついた手足はどちらも根元近くまでむき出しになっている。
「マリコ殿マリコ殿。起きられよ」
ミランダは再び、今度はもう少し強くマリコの肩を揺する。
「う……、ん……」
マリコの左手が、抱きついていた上掛けから離れてぽすんとベッドに落ちる。続いて、マリコの身体がころりと仰向けに転がった。
「ぬっ!?」
裾どころか襟元も豪快にはだけていたマリコの浴衣は、辛うじて兵児帯が腰に巻きついているものの、最早衣服としての役割をほとんど果たしていなかった。昨日の「こぼれそう」を通り越して既にこぼれ出ている。ミランダは思わず目を瞬いた。
「ふう。眠っておられて、なおも己の武器を誇示されるか。ただ、そのように自らの弱点をさらしては、攻撃してくれと言っているようなものだぞ、マリコ殿」
一瞬、このこぼれたモノを摘み上げてやれば起きるだろうか、とも思ったミランダだったが、気持ち良さそうに眠るマリコの顔を見て考え直した。ベッドの上に膝を突いてマリコの方へ手を伸ばすと、襟元を引っ張り上げてこぼれたものを浴衣の中へそっと仕舞い直していく。
「さて、いいかげん目を覚まされよ、マリコ殿。その寝姿はさすがにどうかと思うぞ、私は」
「うん……、ん?」
マリコがぼんやりと目を開いた。
「おお、マリコ殿。やっと起きられたか」
「ああ、ミランダさん。おはようございます、ってええ!?」
自分に圧し掛かっているミランダを認めて、マリコは目を見開いた。
◇
「じゃあ、この部屋の鍵って他の所と共通なんですか」
ミランダに起こされたマリコは、指摘された浴衣の着崩れを直した後、話を聞いている。一脚しかないイスはミランダに譲って、本人はベッドに腰掛けていた。マリコが驚いたのは、昨夜鍵を掛けたはずの部屋の中にミランダがいたことだった。
「ああ、タリア様達の部屋などは違うが、我々住み込みの者の部屋などの鍵はどれも同じものだ。そうでないと、今みたいな時や身体の具合が悪くなった時に困るだろう?」
「それは確かにそうですね」
思い返してみれば、昨夜ミランダを部屋に連れて行った時も、ミランダに鍵を出させた覚えはない。部屋の鍵はサニアが開けていた。
「本来なら鍵なんぞ無くてもいいくらいなのかも知れぬが、酒に酔っていろいろやらかす輩は居るものだからな」
「ああ、そういうことですか」
自分も今起こしてもらったばかりである。ミランダさんも昨夜やらかしたじゃないですか、とはマリコも言えなかった。
「ところで、いつ起きればいいのかちゃんと聞いてなかった私も悪いんですが、宿屋の朝はいつもこの時間なんですか?」
窓の外は、まだ薄明るくなりかけたばかりである。
「いや、宿泊している者がいる日は夜番の者もいるし、今日ももう少ししたら朝番の者が来るだろう。どちらにも当たっていなければ、ここまで早くなくともよい。この時間に起き出すのは鍛錬のためだ」
「鍛錬?」
「うむ。日中に剣の稽古をする時間はなかなか取れないのでな。毎朝、少し時間を取ることにしている」
「ああ、剣の鍛錬ですか」
(部活動の朝練みたいなものか)
マリコは納得しかかったが、ふと疑問を感じた。
「それ、毎朝やってるんですか?」
「私は大抵そうしている。タリア様が見に来られることもあるし、他の娘達も空いている日は割りと来る。里の若い衆が教わりに来ることもあるな」
「じゃあ、私も?」
マリコは背中に冷や汗がにじむのを感じながら聞いた。
「ん? 異なことを聞かれる。マリコ殿自身の鍛錬も当然必要であろうが、私を圧倒した腕の持ち主なのだ。私を含めて、教わりたい者は多いと思うが」
「毎朝ですか」
背筋を冷や汗が流れる。
「宿の当番もある故、毎朝は難しいとは思うが、私個人としてはできる限り出て戴きたい。そもそも日々の鍛錬の大切さはマリコ殿の方がよく分かっておられるだろうに」
「そ、そうですね」
マリコは、内心悲鳴を上げながらもそう答えるしかなかった。
「さて、マリコ殿は支度されよ。一緒に行こう」
「ええと、私、服が……」
練習着のような物が無い、と言いかけたものの、ミランダはいつものメイド服である。マリコは首をかしげた。
「ああ、この時間なら風呂の湯もまだ冷たくなりきってはおらぬから汗くらい流せるし、服は浄化を使えば済む。本気で戦うわけでもない故、昨日の服で問題ない」
逃げ道はないようだった。
「そ、そうですか。じゃあ、着替えますので」
「ああ」
返事はしつつも、ミランダがイスから立ち上がる様子はない。
「ミランダさん?」
「ん? ここで待っていてはいけないだろうか」
赤トラの猫耳メイドさんが首をかしげる。その大層可愛らしい仕草に、マリコは強く拒否することができなかった。
「いえ、いけなくはありませんが……」
「では待っている」
「う」
マリコはそのままなし崩しに、ブラジャーのつけ方――中身の位置を調整したりとか――やらガーターベルトやらにいちいち感心されながら、ミランダの前で生着替えを披露するハメになった。
夜型人間なら、朝練という言葉に拒絶反応を示したりしませんか?
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




