008 世界の始まり 5
なんとか娘をなだめた男は、カミルと名乗った。牛や羊を飼って暮らしており、いつも昼ご飯を持ってくる娘のアリアがなかなかやって来ないので、腹を減らして様子を見に来たと言う。マリコは少し考えたがそのまま「マリコ」と名乗っておくことにした。
「牛、逃げない? オオカミとか大丈夫?」
互いに名乗りあったところで、アリアがカミルに向かって聞いた。
「ああ、オオカミは昼間には滅多に出てこないし、ゲナーとカノーが向こうに居るからな。しばらくは大丈夫だろう。で、何があったんだ、アリア」
「んー、門の所まで来たらこのおねえちゃんが寝てて、起こしたらなんか寝ぼけてたからお茶をごちそうしたの。アイテムボックスも分からないとか言うんだもん」
「分からないって、何だそれは」
(本当に寝ぼけてると思われているようだし、もうそれで通した方がいいのかもしれない。何が何やら分からないのは本当だし、変に突っ込まれても答えようがないし)
二人の会話を聞いて、マリコはその話に乗ることにした。
「ええ、何か頭がぼんやりしていまして。どうしてここに居たのかとかも、よく思い出せないんです」
「あー、マリコ……さんはこの村は初めてだよな?」
「ええ。多分、これまでに来たことはないと思います」
(多分、嘘はついてないはず)
「うーん、じゃあ間違いなくよそからここの門へ来たんだろうが、頭がぼんやりって……。ああ、初めてってことは誰かに連れてきてもらったんだな。それならもしかすると、転移酔いっていうやつかも知れんな」
「転移酔い、ですか」
「ああ、俺はなった事がないんで聞いた話なんだが、転移門を通った時に気持ち悪くなったり、目まいがしたりする事があるらしい。自分で門を使うんじゃなくて、行ったことがない門に誰かに連れて行ってもらった時に、そういう転移酔いになる人がたまにいるんだそうだ」
「では、私もその転移酔いなんでしょうか」
「そうなんじゃないか、ってことだ。気を失うほどって話は聞いた事がないんだが、そうでもなけりゃあ、次来たやつに踏まれるかも知れんのに、わざわざ門の石の上で寝たりせんだろう」
「それはまあ、しないでしょうね」
「だろう? 道の真ん中で寝っ転がるようなもんだからな」
そう言ってカミルはニヤリと笑った。推論としてはそれなりに筋が通る。マリコは黙って頷いておくことにした
(実際に何があったのか私も分からないけれど、傍目にはそう見えるということなんだろうな。転移門も使い方は前のゲームと少し違うようだけど、普通に使える物ということか)
「さて、何でこうなったかっていう詮索はまあ、とりあえず置いてだな」
カミルが表情を改めてそう切り出した。
「そんな、なんもかんも忘れた、じゃ困るだろう。アイテムボックスも忘れてるとか、普通ないと思うぞ」
「アイテムボックス……」
「ああ、十歳になったら皆使えるもんなんだし、使えなかったら無茶苦茶不便だからな」
カミルが言うには、誰でも十歳になると「アイテムボックスと念じよ」と頭の中に声が聞こえるのだそうだ。ついこの前使えるようになったというアリアが隣でうんうんと頷いた。
「神様が教えてくれてるんだって。おばあちゃんが言ってた」
「神様、ですか」
マリコは笑顔で頷く巨乳女神様の姿を思い出した。
「まあ、今は神様の話はいい。マリコさん、アイテムボックスって心の中で思ってみな。多分この辺にそれらしいのが浮かぶから。後は、これを入れたい、これを出したい、って思えばいい」
カミルは指を立てて、顔の横でぐるぐる回しながらそう言った。今のマリコは着ている物以外何も持っていない。何か今の状況を説明してくれる物がそこに入っていることを期待しながら、マリコは目を閉じて「アイテムボックス」と念じた。
すると、ゲームの時と同じようなウィンドウが視野の右下に開いた。ただし、枠の上部には「アイテムストレージ」ではなく「アイテムボックス」という文字が浮かんでいる。マリコはそのままゆっくりと目を開けた。
目を開けてもウィンドウが消えることはなく、視野の右下に浮いたままだった。半透明になっているようで、ウィンドウ越しに向こう側の景色が透けて見えていた。
「おっ。使えたか。どうだ?」
マリコの様子をうかがっていたカミルが声を掛けた。
「……」
マリコはそれに答えず、足元を見回してレンガ程の大きさの石を拾い上げ、それに視線を落とした。つられて石に目をやったカミルとアリアが見守る中、マリコの手の中の石は一度姿を消し、また現れ、もう一度消えた。
「「おー!」」
二人が声を上げて拍手する。
「できたねえ、おねえちゃん」
「やれやれ、アイテムボックス忘れたとか脅かさんでくれよ。で、どうだ、荷物はちゃんとあるか」
マリコは首を横に振った。
「いいえ」
マリコのアイテムボックスには、今入れた石しか入っていなかった。
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