073 就寝 3
宿屋ナザールの建物は、上から見るとロの字型をしている。正面の入口は東に向いて開いているため、そこを入った所にある食堂部分もロの字の東側の辺にある。対して、マリコやミランダの部屋は建物の奥、つまり西側の辺にあたる部分にあった。
先導するサニア、むにゃむにゃ言うミランダを抱えたマリコ、念のためについてきたエリーの一行は、魔法の明かりの減った――効果時間が過ぎて消えたものがある――廊下をコツコツと静かな足音を立てて歩いていく。
「あんなにはしゃいでるミランダは確かに珍しかったわねえ」
「えっ?」
灯りの灯ったランプを手にしたサニアが、マリコを振り返りながら言った。
「さっきの話の続きよ」
「ああ」
眠るミランダを気にしたマリコは小声で答えた。マリコがミランダのことを聞いていたはずが、途中から話が酒の方に逸れてしまっていたのだ。
「昼間みたいに、何かが自分よりうまくできる人を見ると盛り上がるのは、まあいつものことなんだけどね。普段はもっと真面目というか、もうちょっと硬い感じなのよ。それが、んー、夕方から後ぐらいかしら? はしゃいでる……というか、浮かれてるというか。いつもより楽しそうだったわね」
「そうなんですか?」
「そうなんですか、って何を他人事みたいに言ってるのよ。マリコさん、あなたのせいだと思うわよ?」
「私ですか!?」
マリコは思わず普通の声を上げた。ミランダが小さく唸り、マリコの首に回された腕に力が入る。マリコは一度足を止め、目の前にあるミランダの顔をうかがった。じきにしがみつく力は弱まり、ミランダはまた寝息を立て始めた。
「ふう。よっと」
ミランダの眠りを確認したマリコは、その身体をそっと揺すり上げて抱えなおした。
(私のせい、と言われてもな)
マリコは再び歩き出しながら考える。ミランダとは今朝から一日ほとんどずっと一緒にいて、馴染んだとは思うし嫌われてもいない、むしろ――マリコの感覚がおかしいのでなければ――好かれているのかな、とも思える。ただ、どうしてということになると、理由がはっきり分からなかった。
「嬉しかったんだと思う」
マリコが黙っていると、斜め後ろを歩いていたエリーがぽつりと言った。マリコがそちらに顔を向けると、ミランダのサンダルをぶら下げたままマリコを少し見上げるエリーと目が合った。
「嬉しかった?」
「そう。多分、マリコさんが自分より強くて優しそうだったから」
「私が?」
どうして自分の方が強くて優しそうだとミランダが嬉しくなるのか。マリコが首を傾げていると、再びエリーが口を開いた。
「ミランダは強くなりたいっていつも言ってた。でも、今までこの宿だと、女将さんを別にすると一番強いのがミランダだった。だから、ミランダはこれまで、自分の事より私達を守る事を考えないといけなかったんだと思う」
「そこへ私が来た……」
「ん。ミランダはいつも気を張ってる感じだった。けど、今日はそうじゃない感じがする」
エリーはそこまで言うと口を閉じた。
「練習相手もしてくれそうな頼り甲斐のあるお姉ちゃんができて、ちょっと安心して甘えてるんだと思うわよ」
エリーの言葉をまとめるように言うサニアに、マリコは目を丸くした。
「お、お姉ちゃんですか……」
「そうよ。私とミランダもそんな感じのところはあるけど、私はこっちの方では全然頼りにならないものね」
ランプを持っていない方の手で剣を振るマネをしながら、サニアは笑ってそう続けた。
「私とミランダさん、歳はほとんど変わらないと思うんですけれど」
「何? 私はずっと年上だって言いたいのかしら? マリコさん」
「いえいえ、そういうことではなくてですね……」
「でもそうね。今日一日見ていて、私でも時々、実はマリコさんの方が私より年上なんじゃないかしらって思ったもの。ミランダから見たら余計なんじゃないかしら」
「それ、どう反応すればいいんですか……」
(まあ、元の歳だとタリアさんの方が近いからなあ)
そこまで話をした時、一行はちょうどミランダの部屋の前に着いていた。サニアが鍵を開けて入っていくのに続いて、ミランダを抱えたマリコも中に入った。まだ何もないマリコの部屋とは違って、テーブルには白いクロスが掛けられ、ティーセットと小さな花が生けられた小さめの花瓶が載っている。
(全然散らかってないじゃないか)
マリコの部屋とほぼ左右対象の作りのミランダの部屋は、入って右側の壁際にベッドがあった。そちらの壁には、赤い地に白い猫を図案化したような柄の、旗のようなやや横長の長方形の布が掛かっていた。エリーに掛け布団をめくってもらい、ベッドにミランダを寝かせる。マリコが掛け布団を被せると、ミランダはまたむにゃむにゃ言いながら布団を引き上げた。
「サニアさん、これは旗、ですよね?」
「そうよ。ミランダの故郷、アニマの国の旗ね」
三人はその旗を見て、その下で布団にくるまっているミランダ――布団の先から耳だけがのぞいている――に視線を落とし、ちょっと笑い合ってから部屋を後にした。
布団からのぞく猫耳はとてもいいものだと思います。
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