070 入浴時間 6
「うん、大丈夫ね。ミランダももういいわよ」
「終わったか」
「はああぁぁ……」
残った泡を洗い流され、仕上がりを入念に確認された後、マリコはようやく解放された。途中からするのを忘れてしまっていた息をつき、腰が砕けてその場に崩れ落ちそうになるのをなんとか踏み止まる。両腋に手を入れて自分の身体をかき抱くと、指先が滑らかになった肌に触れて何とも言えない気分になった。
(あったかどうかもろくに気にしてなかったモノが無くなっただけなのに、なんなんだ。この、心を削り取られたような喪失感は……)
「マリコさんも、明日からは自分でする練習ね?」
「はい……、あ、ありがとう……ございまし……た……?」
えらい目に遭ったのだが、世話になったわけでもあるし、と複雑な気分でサニアに礼を述べながら、マリコは心に誓った。
(明日、絶対自分用の剃刀を買ってもらおう)
◇
いきなり起こった剃刀事件こそ驚きではあったものの、その後はマリコも知るちょっと昔の普通のお風呂になった。手桶で湯を掛けながら髪をすすいだり、といったこともマリコには経験があったし、複数で入っているから掛けてもらうこともできる。特に不便を感じることもなかった。
むしろ、普通過ぎるとマリコが驚いたのは、サニア達が持っていた二本の壜の中身で、これはなんと液体石鹸と保護剤――要するにシャンプーとリンス――だったのである。
◇
髪の長いサニアとエリーの洗髪をミランダと一緒に手伝った後、マリコが自分の頭を洗い始めると、うなじの辺りに手に当たる物があった。今まですっかりその存在を忘れられていた黒いチョーカーである。改めて触ってみるが、相変わらず隙間に指は入るもののズレも回りもしない。
(革っぽいのに水を吸ってる感じでもないな。まあ、これがあっても一応首は洗えるか)
「お守りね」
「え?」
マリコがチョーカーをいじっていると、横から声が掛かった。思わず振り返ると、髪を上げて頭に手拭いを巻いたサニアがマリコの喉元を見ていた。
「お守りって……これですか?」
「ええ。お風呂でもはずさないんだから、マリコさんは熱心なんだなあって思っていたのよ」
(これ、お守りだったのか。自分でも忘れててなんだけど、素っ裸にチョーカー付けてて何も言われななかったのはそういうことなのか)
「でも、マリコさん髪も目も紫だから、赤か青なのかと思ったらお守りは黒なのね」
「は?」
チョーカーの正体に納得しかけたマリコだったが、続いたサニアの言葉に訳が分からなくなった。
「いやねえ、その辺も忘れてるところなの? 神々の内のどなたの影響が強いかっていうのが髪や瞳の色に出るんじゃない。だから、お守りも自分の色のどれかを持つ人が多いんだけど、あなた、紫の元の赤や青じゃなくて黒を付けてたから、黒なのねって言ったのよ」
「ああ、ええと、すみません。私もよく分からないんです」
「いいのよ、仕方ないわ。こっちこそごめんなさいね」
「いえいえ」
サニアはそれ以上聞いてこようとはせず、前を向いて手拭いに石鹸を擦りつけ始めた。一方のマリコは、今聞いたことについて考え込んだ。
(黒、ということは命の女神様の色か。髪や目の紫が反映されるなら火の赤か水の青が普通。うーん、なんでだろう? 紫は自分でキャラ設定した色だから関係ないってことか?)
しばらく考えてはみたものの、今結論が出せる問題でもない。身体も冷えてきた。マリコはぶるりと身体を震わせると、掛け湯をしてまたその紫の髪を洗い始めた。
◇
頭と身体を洗い終えた四人は今、一緒に湯船に浸かっている。今はやや湯が減っているものの、湯船は深い所だと座って首が出るくらいの深さがあり、四人が足を伸ばして浸かっても、広さにはまだまだ余裕があった。
「うーん。やはり、湯に浸かると疲れが取れるような気がするな」
「そうね」
「ん」
「そうですね」
伸びをしながら言うミランダに、他の三人もそれぞれ同意する。
(それにしても……)
マリコは湯船の縁に身体を持たせかけながら、初めて味わう感覚に感心していた。
(胸がお湯に浮くっていうのは、真理子のを見て知ってたけど、浮いていると本当に軽く感じるものなんだな)
一日動き回っているうちに、「揺れる」感覚はもうあまり気にならなくなっていなかったのだが、やはり重さは感じていたものであるらしい。湯船に浸かると肩がちょっと楽になるのだった。その感覚が面白くて、マリコは何度か身体を上下させて、肩に掛かる重さの違いを確かめていた。
「マリコ殿はさっきから、何を立ったり座ったりしておられるのだ?」
隣で浸かっていたミランダが不思議そうに首を傾げて聞いてきた。サニアも一緒にマリコを見ていた。ちょっと楽しくなっていたマリコは素直に答えた。
「お湯に浸かると、肩がちょっと軽くなるんですよ。面白いですねえ」
瞬間、浴室の空気が凍った。
「あ」
凍りついたミランダとサニアに、マリコは己の失言に思い至った。少し離れたところで、エリーが静かに首を振っている。
「それは確かに面白いことだな、マリコ殿」
「面白いわねえ、マリコさん」
「あっ、いえっ、そのっ。なんでも、なんでもないんですっ」
湯船の縁に沿って後ずさるマリコに、笑顔の二人が迫っていく。
「お湯に浸かると軽くなるモノとは、どういうモノであろうかな、サニア殿」
「確かめないといけないわね、ミランダ」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ。ああっ、待って、待ってください……に゛ゃあああぁぁ」
マリコは思い切り確かめられた。
暴投気味変化球の後は、お約束ということで……。
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