065 入浴時間 1
ミランダに手を引かれて、マリコは廊下を歩いていく。既に日が落ちて外は真っ暗だが、壁面の所々に設けられたランプ――食堂の物と同じ、重ねた皿に灯芯が乗っている物――に掛けられた灯りが廊下の闇を払っている。
じきに部屋の前に着くと、ミランダは手を離してマリコを振り返った。
「では、マリコ殿。準備してくるとしよう」
「ええと、ミランダさん? 準備って何のでしょう?」
マリコが問い返すと、ミランダは一瞬きょとんとした顔をした後、今度はあっという顔になった。
「ああ、すまぬ。マリコ殿は今日が初めてだということをすっかり失念していた。風呂だ、マリコ殿。今から風呂に入りに行くからその準備をしよう、ということだ」
「ああ、お風呂ですか……って、ええっ!? 今からですか!」
「今そう言ったではないか」
ミランダは少し呆れた顔になった。
(そうだよ。夜に一緒にお風呂って、夕方に言われてたんだった。料理のドタバタですっかり忘れてた……。しかし、いいのかそれ。なんとか避ける方法は……)
「ええと、今入らないといけませんか?」
「我々が最後だからな。早く済ませてやらないと、あそこが持ち場のエリーの仕事が片付かない」
「う。で、では、一日くらいお風呂に入らなくても大丈夫……ですかね?」
「それはさすがに大丈夫ではないだろう。マリコ殿は今日一日ほとんど火の前にいたではないか。汗をかいていたのは知っているし、今はお互い、鼻が慣れてしまっているから分かりにくいのだろうが、多分我々はかなり油臭いと思うぞ」
「そ、そうでしょうか」
マリコは自分の髪をつまむと鼻先へ持ってきて嗅いでみた。すると、確かに揚げ油の匂いが染み付いていて、マリコはわずかに顔をしかめた。その様子を見たミランダは腕を組んで得意気に胸を反らせた。
「それ見たことか。大体、マリコ殿は昨夜も風呂に入れておらぬではないか。二日も風呂に入らぬなど、旅の途中ならともかく宿の仕事をする者に許される事ではなかろう。そんなことをタリア様がお許しになるとは思えぬな。洗濯機に叩き込まれるのがオチだと思うぞ」
「ううっ。そうですよねえ……」
ミランダに畳み掛けられたマリコは最早退路を見出せず、がくりと肩を落とした。
(くっ、仕方がない。申し訳ないけど、女の人の裸を見るのが初めてってわけでもなし、諦めよう。避けすぎる方がかえって不審だ)
「分かったら早々に準備を……あ、しまった。着替えもまだ持っておられぬのであったな。まあ、そちらはエリーの所でまた寝巻きを借りれば済むとして……」
一旦言葉を切ったミランダは、マリコを上から下まで一通り眺めた。
「うむ。履物だけだな。マリコ殿、部屋に突っかけがあったであろう? 今日のところは靴をそれに履き替えるだけだ。他の物は浴場まで行けばなんとかなる。さあ、私も準備してくるから、マリコ殿も急がれよ」
「はあ」
マリコが気の抜けた返事をすると、ミランダはさっさと隣の部屋に入っていってしまった。マリコは仕方なく、鍵を取り出して自分の部屋の扉を開いた。当然、中には明かりが点いていないので暗い。廊下の明かりが差し込むおかげでなんとか真っ暗ではない、という程度だった。
(ああ、これ自分で点けないといけないのか。あれ?)
扉を開けたまま、薄暗い部屋の中を見渡す。薄暗いはずの室内は色の鮮やかさこそ欠けるものの、それでもマリコの目にはどこに何があるかはっきりと見えていた。
(これは……)
マリコは部屋に入ると扉を閉めた。すると、月明かりか星明かりか、正面の障子窓の外が一番明るく感じられ、室内もさっきよりさらに彩度を落としたものの、それでも見えなくなったわけではなかった。
(これはもしや、プレイヤーキャラの暗視能力か!? すごいもんだな。暗いっていうのはちゃんと分かるのに、それでも見えてるよ)
マリコは部屋の中をあちこちと見回した。すると、窓側の壁に、窓を挟むように二ヶ所、廊下と同じように頭くらいの高さにランプが取り付けられているのに気が付いた。
(ああ、朝はこれがランプだとか思ってなかったな。これに火を点ければいいのか。無くてもなんとかなりそうだけど、色が見えにくいし、うん、どうせなら魔法を試してみよう。灯りも水と同じ感じで、どこにどれくらい、でいいんだろう。よし、考えるのは位置、明るさ、持続時間くらいか?)
マリコは右手を上げて、片方のランプの灯芯を指差した。
(位置はあのランプの芯、明るさは六十ワット電球くらい、持続時間は……うん、とりあえず二時間で)
「灯り」
マリコの身体から、水の時と同じように何かが流れ出し、ランプの灯芯に明かりが点った。
「おお! 点いた。点いたよ。魔法、すごいなあ。でも、こんな簡単でいいんだろうか」
マリコが一人で盛り上がっていると、コンコンとノックの音が響いた。
「はい?」
返事を待って扉が開くと、ミランダが顔を出した。見ると、服はそのままだが靴がサンダルに変わっている。荷物はアイテムボックスらしく、手ぶらである。
「マリコ殿、準備はよろしいか? おっ、灯りを使ってみたのだな」
「ええ、はい。思ったより簡単にできました」
「ふむ。やはりマリコ殿はできないのではなく、何かで忘れているだけなのだな。その分なら、他のこともじきに思い出せるであろうな」
「そうだといいのですが」
「まあ、無理をすることもあるまい。では、早々に靴を履き替えられよ。きっとサニア殿も待っておられる」
「あっ! はい」
マリコは急いで編み上げブーツを脱ぐとサンダルに履き替え、ミランダと共に部屋を後にした。
風呂場に辿り着けませんでした(汗)。
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