060 夕食戦線異状あり 3 ★
ジャージャーと心地よい音を弾けさせながら、熱い油の中で鶏肉が踊る。パチパチと炭火の上に時折油を垂らしながら、焼き鳥から食欲をそそる煙が上がる。ダラダラと額に汗の筋をつけながら、マリコがかまどとグリルの前を行き来する。
マリコはひたすら炎と戦っていた。
昼にから揚げを食べた者はまだの者に一旦譲って、とりあえず「串焼き」を注文して欲しい、というジュリア達の説明に、待っていた者達も「それはそうか」とおとなしく従ってくれた。串の種類を聞いてそれぞれが注文していく。そこまでは良かった。注文の第一陣がそれぞれの席に届いたところで、雰囲気が変わった。
――あっ、から揚げに昼間と違うものが付いてる!
――何だ、あのうまそうな小さい串焼きは!?
――この串もすごくビールに合う!
似たようなセリフがあちこちの席で囁かれ、ビールも含めた追加注文が殺到し始めるのに、大した時間は掛からなかった。
できればサニアやシーナといった調理組に焼き方のコツやらを伝えながら、などと考えていたマリコはそれどころではなくなってしまった。タリアはひっきりなしに来るビールの注文に掛かりきりになっており、ミランダもマリコの補助に洗い物にと忙しい。数は少ないものの、サラダや野豚料理といったから揚げ・焼き鳥以外の注文も入る。その辺りをサニア達に任せて、マリコが鶏料理に専念するのが現状では一番効率的なのだ。
揚げる揚げる揚げる。焼く焼く焼く。マリコは時々手拭いで汗を拭いながら炎の前に立ち続けた。
◇
やがて、注文の品が一通り行き渡り、焼き鳥に売り切れる種類――元から数が少なかったぼんじりなどは後に幻の品呼ばわりされた――が出始めた頃、マリコの目の前に小さめのジョッキがヒョイと差し出された。
「女将さん」
「マリコ、あんたはちょっと何か飲みな。倒れちまうよ」
そう言ってタリアが手渡してくれたジョッキの中には白い泡が浮いている。それに気が付いたマリコは目を見張ってタリアの顔を見返した。
「おや、飲みたそうな顔をしてると思ったんだけど違ったかい? 要らないんなら代わりに水を汲んでやるからお返し」
「要ります要ります! ありがとうございます!」
マリコはジョッキを持ったままあわてて一歩下がると、それに口をつけた。年齢的、立場的に問題ないことはもう分かっているし、この量でどうこうなるとも思えなかった。
「ん!」
冷たさに少し驚きながらも、口に広がるホップの苦味に誘われてジョッキを傾けた。程よく冷えたビールが喉の奥を滑り落ちていく。
「んくっ、んくっ、んくっ、んくっ。……はあああぁ」
一気にジョッキを空にしたマリコは笑顔で息を吐き出した。乾いた喉に流し込んだビールは、胃に届く前に全部吸収されてしまったようにさえ思えた。
一息ついた後、マリコは改めてジョッキを見つめた。
(違和感がなかったからそのまま飲んじゃったけど、これはラガービール!? 魔法があるからよく冷えてるのは分かるけど、ホップもちゃんと入ってたし、ビールも現代風なのか。一体どこで作ってるんだろう)
「くっくっくっ」
マリコがふと顔を上げると、タリアが肩を震わせて笑っていた。
「女将さん……」
「いや、好きそうだって話は聞いてたけど、それにしてもいい飲みっぷりだったねえ」
「いえ、さすがに、その、喉が渇いてましたので……」
(好きそうって、誰がそんなこと言ったんだ!?)
「そうかいそうかい。くくっ。それでどうするね? もう一杯いかなくても大丈夫かい?」
まだ肩を震わせながらタリアがそう聞いてくる。
「……いただきます」
わずかな逡巡の後、マリコはそっと空になったジョッキを差し出した。
◇
マリコはまた密かに注目されていた。もちろん、から揚げを作っているのは彼女だという話が流れたからである。
マリコに給仕して欲しい、という声も少なからず上がった。しかし、それが無理な注文であることは、厨房の奥でせわしなく動き回るマリコの姿を見れば一目瞭然である。声を上げた者はから揚げを待つ人々からの無言の圧力に押さえ込まれた。
その上、今回は焼き鳥である。これまで、串焼きと言えばもっと長い串に肉やら野菜やらを刺した大振りなものだった。こんなに小さくては食べがいがないじゃないか。そう思った者も、それとビールの組み合わせに頭を殴られたかのような思いを抱いた。
――これは酒のつまみとして一つの完成形ではないだろうか。
ビールをあおる。焼き鳥をつまむ。またビールをあおる。また焼き鳥をつまむ。この連鎖を止めるのは難しかった。どちらかが尽きれば次を頼みたくなる。そして、実際に頼んだ。
また、その味と食べやすさから子供達も食いついた。家族連れで来ていた者達の席では最後に残った串を挟んでにらみ合う父と子さえいたという。
そのうち、注文が一段落したところで、マリコがタリアにジョッキを手渡されたのに気付いた者達がいた。密かに注視される中、マリコはそれを一気に飲み干すと素晴らしい笑顔を見せる。口元に泡のヒゲがついているにも関わらず、実に嬉しそうな顔だった。男達は密かな決意と共に次のビールを注文する。
――今度、絶対誘おう。
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