006 世界の始まり 3 ★
「うん、アイテムボックスだよ。こないだやっと十歳になったから使えるようになったんだー」
「??」
マリコは目を瞬かせて首を傾げた。アイテムボックスというからにはアイテムをしまっておく所を指すのだろう。マリコがやっていたゲームにも同じような機能があった。荷物を入れておける自分用の空間。手に持つ必要の無い便利な物入れ。ただし、それは「アイテムストレージ」という名前だった。
(そんな物があるということは、やはりゲームの中なのだろうか。アイテムストレージと名前が違っているのは、続編とはいえ違うゲームになったことによる変更点だとすると……)
「アイテムボックスも分からなくなってるなんて、やっぱり寝ぼけてるんだよ。ほら、それ飲んで。目を覚ました方がいいよ」
再び考え込みそうになったところで少女にそう言われ、手の中のマグカップの存在を思い出したマリコは、まだ少し湯気を立てているカップを覗き込んだ。中身に温められた白い陶器のカップに入っているのは、わずかに緑がかった澄んだ黄色のお茶だった。
カップを顔に近づけると普段飲んでいる緑茶と同じような香りがした。少し口に含んでみると、味も見た目通りのお茶の味だった。むしろ、家で飲んでいる適当に買ってきたお茶よりはるかにおいしい。渋みや苦味は少なく、微かに甘みを感じる。マリコは程よい温度に冷めていたそれを一気に飲み干した。
「ふう」
息をつく。自分の喉が相当渇いていたということに今さら気付いたマリコは、正に一息ついた。それを見ていた少女はちょっと目を丸くして笑った。
「ふふっ。そんなに喉がカラカラだったんだ」
「そうだったみたいです。お茶、ごちそうさまでした。おいしかったです」
(ゲームの中でもスキルで料理や飲み物は作れたけれど、当然味なんか感じようもなかった。でもこのお茶はちゃんと、しかもかなり上等な味がする。私は一体どうなったんだ)
「よかった。目も覚めたみたいだし」
「ああ、そうでしたね。おかげで目は覚めたみたいです」
とりあえず話を合わせ、空になったマグカップを少女に返して、マリコは初めて辺りを見た。
よく晴れた青い空の下、真っ先に目についたのは、目の前に連なる深い緑に覆われた山地と、そちらへと続いている草原だった。草原には柵や建物も見え、牛や羊らしき動物が放たれているようだった。ここは山の裾野にあたる場所のようだ。次に後ろを見ようと体を捻ったマリコは、目の前に立つ物に気付いて目を見張った。
黒い石の六角柱が立っていた。三メートル程離れた所に同じ柱がもう一本立っている。
(転移門!)
マリコは立ち上がって柱の方に向き直り、改めて自分の足元を見回した。マリコが少女と座っていたのは白い石畳の端だった。五メートル角程の広さに敷かれたその石畳の上に黒い一対の石柱が立っている。それはゲームの中で何度も利用した、転移門そのものだった。
自分の動きに合わせて翻る黒いスカートの裾も目に入ったが、そちらはとりあえず置いておくことにした。
「これは……」
「おねえちゃん? 門がどうかしたの?」
黒い柱に向かって一歩踏み出したところで足元から声を掛けられ、マリコは少女を振り返った。
「これが何か、知っているのですか?」
「え? 転移門のこと? 遠い所へ行ったり来たりできるんだよね? おねえちゃんもこの門で来たんでしょ。いいなあ」
水筒を籠に片付けながら、少女は何でもない調子で言った。
「十歳になってアイテムボックスを使えるようになっても、まだ門は通れないんだって。でも、十二歳になったら通れるようになるよってお父さんが言ってた。再来年、十二になったら、門を通って遠くの大きい街へ連れてってくれるって」
嬉しそうに話す少女は、とても嘘や冗談を言っているようには見えなかった。マリコはますます訳が分からなくなってきた。
(転移門に年齢制限なんかなかったはず。でも、ゲームそのままの形の転移門がここにあって、この辺りの景色もゲームが始まるあの田舎の村に似ている。ということは、やはりここはあのゲームの続き、いや、ゲームの世界に入り込んだということなのか? そんな馬鹿なことが……)
「おねえちゃん……。また?」
考えて結論が出るものでもなく、マリコの思考はループし始めた。
「そこで何してる! 早くそこから離れるんだ!」
「えっ?」
「あっ!」
マリコのループを断ち切ったのは男の声だった。思わず、声がした方を見てマリコは驚いた。一人の男が草原の方からやってくるところだった。が、驚いたのはそこではなかった。
マリコたちと男のほぼ中間。男が四つん這いになるのと同じくらいはありそうな大きな犬が、口を開け舌をダラリと出して、こちらに向かって猛然と駆けてくるところだった。
2017/04/23 イラスト追加。古川アモロ様より頂きました。
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