494 東二号洞窟 5
始めに勢いよく噴き出しはしたものの、幸いな事に砂が流れ出ていた時間はそれほど長くなかった。だが、現場は緩く長い坂である。流出が止まっても流れていく砂はすぐには止まってくれない。巻き込んだ一行ごと坂を滑り落ちていく。
それでも、地面との摩擦で徐々に勢いを失い、やがて流れは上流から順に止まっていった。坂の途中に残された砂の所々から身体や装備の一部が突き出している。その様子は何となく、浜辺に打ち上げられた土左衛門か何かのようだ。
その中で、肘から先だけ出ていた腕がわたわたと動いた。続いてすぐ近くから、対になるもう一本の腕が飛び出す。白いカフスと黒い袖を纏ったその二本の腕が砂を掻き分け、その下から目を閉じたしかめっ面が現れた。マリコである。とりあえず顔を掘り出すことができたマリコは、両手を後ろに回して強引に上体を起こした。身体を埋めていた砂が、ざざあっと流れ落ちる。
砂の洪水が起こった時、マリコは前に出ていたバルトとトルステンのやや後ろ、一行の先頭に居た。つまり、砂と一緒に流れ落ちてくる二人の直撃を正面から喰らったのである。元々零れていた砂で踏ん張りも効かず、あっと言う間に仰向けに押し倒されて、そのまま流されたのだった。
「ぶふっ! ぺっぺっ! み、皆は!?」
下半身を砂に埋めたまま、鼻の中にまで入り込んだ顔の砂を叩き落として辺りを見回した。するとマリコの後ろ、つまり坂の下側で一行がそれぞれ砂の中から這い出しかけているのが見えた。巻き込まれずに済んだらしいシウンはミランダを引っ張り出している。全員居るのか確かめようとマリコが人数を数え始めた時、今度はマリコの前で何かが動いた。まだ埋まっているマリコの左足が引っ張られる。
「な、何!?」
マリコのすぐ目の前で砂の中から黒い物が現れ、それが自分のメイド服のスカートだと思うと同時に、何かに引っ掛かっているらしい足首がさらに引かれた。両脚の間でスカートが丸い形に盛り上がり、それに繋がる何かがマリコの足首を引っ掛けたまませり上がっていく。その丸みに沿って自然と膝が曲がり、マリコの下半身は曲げた膝を上にして吊り上げられるように砂の中から引き出される。
「ちょっ! なっ!」
「み、皆、無事か!?」
逆さ吊りにされて焦るマリコの膝の間から、最早聞き慣れた男の声が響いた。男が背負った両手剣の大きめの鍔と男の肩の間にマリコの脚がはさまれて引っ掛かっているのだが、二人共それどころではない。声の主は首を巡らせて周囲を見渡そうとするが、その視界は黒く塗りつぶされている。
「くそ、何が……」
その男――もちろんバルト――は自分の顔に手をやってそこを覆う物に気が付いた。何かが顔に被さっている。そのままそれをむんずとつかんだ。もちろん、顔から引き剥がすために。
「待っ! ぎゃああっ!」
マリコの方はたまったものではない。逆さ吊りにされた今の状態でスカートをめくり下ろされたら、一体どういう姿になるのか。しかも、両膝の間にはバルトの顔があるのだ。マリコはバルトの両肩に掛かった脚と腹筋に力を込めた。上体がバネ仕掛けのように跳ね上がり、スカートに包まれた顔面に握り締めた拳が打ち込まれる。
「ぶべっ!?」
不意打ちでアゴにクリーンヒットをもらったバルトの意識は呆気なく飛び、その身体から力が抜けた。マリコが前にぶら下がっているので、当然前へと倒れていく。
「ひっ!?」
後ろ向きに落下する感覚に、マリコは反射的に目の前にある物――今殴ったばかりのバルトの頭――につかまった。もちろんそれで止まるはずもない。スカートに包まれた頭を抱え込んだまま、マリコは背中から地面に落ちた。抱え込んだ頭を通して、バルトの重みもマリコの上に落ちかかる。
「きゅうっ!」
それは頭突きを鳩尾に喰らうのと同じ事だった。しかも見事にツボを突いている。一瞬で肺の空気を全て吐き出させられ、マリコは奇妙な声を上げて意識を遠のかせた。当身を喰らったようなものである。岩肌ではなく溜まった砂の上だったのが、せめてもの救いだろうか。
砂の中から脱出を果たした一行はすぐに二人を見つけた。間違いなく黒い歴史に刻まれそうな光景に、ある者は額に手を当てて天を仰ぎ、別の者は何かに納得したように何度も頷く。
マリコの両脚を肩に担いでスカートに頭を突っ込んだバルトと、身体をくの字に曲げてバルトの頭をスカートごと抱え込んでいるマリコの姿は、たまたまそうなったとは誰にも思えなかった。
◇
「耳に入った砂のせいで私の声は届かず、砂の重さだと思っていて、私を吊り上げたのにも気付かなかった、と」
「……ああ」
腕を組んで仁王立ちしたマリコの問いに、自主的に正座したバルトが神妙に答える。見上げてくる顔に嘘の気配は無く、マリコは腕を解いて息を吐いた。ぶら下げたマリコに気付かなかったのはマリコが軽かったからだと言われているようで、何故かそれに密かに喜びそうになる内心はとりあえず横に置いておく。
「……はあ。分かりました。狙ってやれるような事でもありませんし」
水ならともかく、砂に流されながら一緒に流されている誰かのスカートの中に入り込むなど、マリコ自身にもできそうにない。前にも似たような事があったが、バルトに悪気があった訳では無いのも同じだと思えた。この件はこれで終わりだと告げてバルトを立たせ、頭を切り替えて坂の上を見上げる。
今のところ上から新たに砂が流れ出してくることはなかったが、途中に溜まったものの一部が時折サラサラと落ちてくる。流出が続けば、やがてここも埋まってしまうのだろう。
一行は一旦、緩い坂の下の十字路まで後退していた。あらかじめ掛けてあった防護などのおかげで、砂で擦れた程度で怪我をする事はない。だが、ダメージは防げても砂の侵入そのものは防げなかった。服の――うっかりすると下着の――中にまで入り込んだ砂を叩き出すには一度脱ぐしかなく、十字路の角を男女を分ける目隠し代わりに使ったのである。
「それで、どうします?」
「突破して進むかどうかはともかく、あれが何なのかはある程度確かめておかないといけないだろうな」
探検者だからといって全てを解決する必要は無いが、後から来る者たちのために情報は必要である。バルトは迷わず、前進を口にした。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。