005 世界の始まり 2 ★
「……ちゃん、おねえちゃん! 大丈夫? こんなとこで寝てるとキツネかオオカミに齧られちゃうよ!」
呼びかけられる声と肩を揺すられる感触に、マリコの意識はゆっくりと浮上した。
「う……んっ」
「あ! おねえちゃん! 目が覚めた?」
(おねえちゃんって誰のことだろう?)
そう思いながら薄目を開いたマリコに見えたものは、青い空と自分を覗き込む人影だった。
(女の子……、って髪が緑色!?)
十歳くらいだろうか。目を開けた自分を嬉しそうに見つめる少女の、お下げに結った髪の色がおかしい事に驚いたマリコは、後ろに手をついてガバッと上半身を起こした。手のひらに石の様な硬く冷たい感触、鎖骨の下の皮膚を引っ張られる様な感触を感じながら起き上がって、まず目に入った物は前に伸びている足だった。
(私の足……ではない?)
黒いスカートに途中まで覆われた細いすねと黒いブーツ。自分の足ならサイズは二十七センチあるはずで、見えているブーツは明らかにそれより小さい。そもそもパソコンの前に座っていたのだから、いつものジーパンにスリッパ履きだったはずだ。思わず自分の身体を見下ろした。
(腹が、見えない)
年齢なりに出ていたはずの自分の腹部は、その上側にある盛り上がりに遮られて見えなかった。黒い服と白いエプロンに覆われた、二つ連なる膨らみがそこにあった。
(何これ。胸?)
訳の分からない状態に混乱しながら身体を見下ろしていたマリコはさらに、視界の左右を遮る紫色の影に気が付いた。
(髪? これ、私の髪!?)
思わず髪をつかんで毛先を目の前に持ってくる。サラサラとした紫の髪と一緒に目に入ったのは、自分の記憶より一回り小さい、細く長い指ときれいな形の爪が付いた、明らかに男の物ではない手だった。
「なんだ、これ!?」
「だ、大丈夫なの? おねえちゃん」
思わず上げた叫び声に返事をされ、マリコは声の方にバッと音を立てて振り向いた。
「ひえっ」
いきなり自分の方を向いたマリコに驚いた少女は小さな悲鳴を上げて尻餅をついた。
「……」
「……」
(何がどうなったんだ、これは)
少女と見つめ合いながら、マリコは懸命に自分の記憶を探った。
(ハーウェイ様と話をして、続編ゲームを始めることに決めて、許諾書に同意したら画面が白く光って……いや、違うな。あの時光っていたのはモニターだけではなくて部屋全体、というか、私の視野全部だったような……。それで、何か眠くなって……)
「おねえちゃん?」
(ということは、今見ているこれは夢? いや、それにしては現実感があり過ぎる。今触った石の感触も髪の感触も本物としか思えないし、陽の光も暖かいし、草や木の匂いもしてくる。こんなはっきりした夢は見たことがない。では、この現状は……)
「お、おねえちゃん?」
(まさかゲームの中? いやいや、仮想世界にダイブするゲームとかフィクションでしか見たことはないし、もし私が知らないだけで実用化されているのだとしても、うちのパソコンに付いているマウスとキーボードでできるような物ではないだろう。とすると……)
「……」
(これはもしや転生!? 最近ネット小説でやたらと見かける、事故で死んだら異世界の誰かに生まれ変わっていた、というやつ。いや、それこそフィクションだろう。異世界の誰かというか、今の私はどうもマリコの姿みたいだし、そもそも私は事故で死んだりしていない。んん? 本当に死んでないのか? もしかして、視界がホワイトアウトしたのは……)
「おねえちゃん!!」
「はい!」
思考の渦にはまり込んでいたマリコは、大声に驚いて思わず返事をした。
「寝ぼけてるの?」
「え、ええと」
目の前の少女を見直す。おそらく十歳くらいで髪も瞳も明るい緑色。顔の造りは西洋人っぽく、色白で目もパッチリしていて将来は美人になりそうだ。ブラウスというには厚めの生地の生成りのシャツに深緑のベストと同じ色の膝丈くらいのスカートを着け、茶色の革の靴を履いてマリコの横に座り込んでいた。
「んー。お父さんに持っていく途中なんだけど、一杯くらいいいよね。よいしょっと」
少女は自分に言い聞かせるようにつぶやくと、何も無いところから一抱えほどある手籠を取り出した。
「ええっ!?」
マリコが驚いて見ていると、少女は手籠の中から大き目の水筒と陶器のマグカップを取り出した。そして、水筒からマグカップに何か湯気の立つ液体を注ぐと、マリコに向かってそれを差し出しながら言った。
「はい、お茶。少しは目が覚めるよ」
「あ、ありがとうございます」
反射的に礼を言って受け取りながらマリコは聞いた。
「今その籠、どこから出したのですか?」
「どこって、もちろんアイテムボックスからだよ?」
「アイテムボックス?」
聞き覚えのない言葉だった。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。