489 東二号洞窟へ
翌早朝、出発の準備を整えた一行は宿の前に集まった。全員が宿に寝泊りしているにも係わらず、集合場所が宿の中にならなかった主な理由は、今が食堂としての業務が忙しい時間帯の真っ只中であり、席が足りなくなるという至極現実的な理由からである。そのせいで、見送りというか、見物人の数はそれほど多くなかった。行きは空路、つまり龍による空輸の予定なので、外で集まってそのまま出発という行程の都合でもある。
「さて皆、出発するが、忘れ物は無いか?」
何やら気合いの入った様子のバルトが、一同を見回して言った。今回洞窟に潜るのは、バルトの組五人に、マリコ、ミランダ、シウンを加えた八人である。もっとも、男二人以外が全員メイド服という、どこからどう見ても「今から洞窟に潜る」とは到底思えない一行だった。
バルトの言葉に頷きつつ、マリコは油断すると眉間に浮かびそうになる縦ジワに中指を当てて揉んだ。視界の端に浮かべた、マリコにしか見えないウィンドウに目を向ける。
――おぬしが洞窟から戻ったら、話をするとしよう
あまりにも簡潔なメッセージ。もちろん、こんなものを送ってくる相手は猫耳女神以外にはいない。昨夜、出発準備を終えたマリコが女神の部屋に突撃しようとしたところ、そのタイミングに合わせるかのように届いたものである。内容としては明らかに「待て」という事なので、マリコもさすがに突撃は控えた。
(何を言い出すつもりなんですかねえ。それとも……)
話の内容もちろん気になるが、洞窟から戻ったらというのも何となく引っ掛かる。マリコが洞窟に潜っている間に何かするつもりなのかも知れないが、洞窟そのものに何か仕込んであるのではないかという気もしてくる。龍の国との転移門が開通したと思ったら、今度は新しい洞窟――しかも大きいらしい――が発見されるという、ご都合主義的展開がどうにも怪しく感じられた。
(まあ、そこを怪しんでいるのは私くらいなんでしょうけど)
何か思惑があるらしいバルト一行はともかく、里や研究会の皆は新たな洞窟を警戒しつつも、基本的には喜んでいるように見えた。魔物が出るということが何らかの資源があるという事とほぼ等しいのだから、これが普通なのだろう。マリコが半端に裏側の事情を知っているせいで、あちこちが怪しげに見えてしまうのだ。
「マリコ殿マリコ殿」
「え、あ、はい?」
ミランダに横から腕をチョンチョンと突かれて、マリコは我に返った。考え込んでいる間に、何か聞き逃してしまったらしい。
「ジャンケンだそうだ」
「じ、ジャンケン!?」
「ああ。この五人でジャンケンしてくれと、シウン殿が」
顔を上げて見回すと、ミランダに加えてバルト組の三人の女性陣が目の前に来ていた。指示を出したというシウンはその向こうで、コウノ、クロと並んでいる。残る男性陣はと見ると、三人連れ立って運動場の方へ向かっていた。
「え、何を決めるんですか!?」
「一人、勝ちを決めてくれとしか聞いておらぬ。行くぞ、ジャンケン……」
「「「「「ポン!」」」」」
ミランダの勢いに釣られて、マリコも思わず手を出した。マリコのチョキ以外は全員がパーである。五人も居るにも係わらず、珍しく一発で決着が着いた。
「ではマリコ殿はこちらへ。後の四人はもう一回やって、勝った順に二人ずつに別れていただきたい」
シウンが勝ったマリコを呼んで、次の指示を出した。再びジャンケンの掛け声が響き、勝ち組カリーネとサンドラ、負け組ミカエラとミランダに分かれる。勝ち組にはクロ、負け組にはコウノが近付いた。マリコはシウンを振り返る。
「これ、何を分けたんですか」
「ああ、単に誰が誰を運ぶか決めただけだ。私は向こうに残る組ということで、割当が一人だけということだな」
今回は移動時間短縮のため、龍の四人に空輸してもらう事になっていた。歩けば数時間以上の道程も、空を行けば一時間と掛からない。二人運ぶのに二往復したとしてもずっと速いのだ。シウンはその割当だと言った。バルトとトルステンがゴケンと行ったのは男女で分けたのだろう。
「なるほど。シウンさんは二往復しなくていいんですね」
「確かに私は片道だけだが、コウノたちも一往復だけだぞ?」
「え?」
マリコが首を傾げた時、運動場から声が聞こえた。
「形態変更!」
虹色の光が渦巻き、巨大な赤い龍が姿を現す。見送りの面々から歓声が上がった。ゴケンはそのまま翼を羽ばたかせてホバリングに入る。
「近くで見るとすごいな」
「すごいよねえ」
「デハ、イッテマイル!」
「え!? ちょ!」
「うわ!」
ゴケンは、龍の姿を感心したように見上げていたバルトとトルステンを後足で素早くつかむと、大空へと舞い上がった。そのまま東に進路を取る。ドップラー効果を伴った男二人の叫び声を残し、その姿は小さくなっていった。
「手の平や足の裏には鋭い鱗が無いからな。ああすれば一度に二人運べると、皆で話し合ったのだ」
「……、ハッ!?」
絶句して固まっていたマリコは、ふと我に返ってミランダたちを振り返る。だが、そこには既に四人の姿は無かった。宿屋を囲む壁に設けられた門を走り抜けていくところだ。
「コウノ! クロ! 行け!」
「ニガシマセンヨー」
「ハイ!」
形態変更した二人は、壁の上を通過して四人を追っていった。あの様子だとじきに捕獲されるだろう。一人取り残されたマリコは、ギギギとシウンに顔を向ける。
「わ、私も?」
「マリコ殿は一人だけ故、この前と同じだ」
中間形態対応に改良されたメイド服をまとったシウンが、銀の翼と両腕を広げる。マリコは若干の恥ずかしさを覚えつつも、ジャンケンに勝った幸運を噛み締めながらその手を取った。
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