488 お出掛け準備
翌日のマリコたちは、出発の準備に明け暮れる事になった。バルトたち五人にマリコ、ミランダ、シウンが加わる形になるが、元からの探検者であるバルト組と後の三人では、準備すべき物に差がある。こういった事に慣れていないシウンの分も含め、宿組とでも言うべき三人分は一緒に準備することになった。
もっとも、マリコ自身の「探検の準備」自体はそう大した事ではない。武器防具の類は、部屋に置いておくには多過ぎるという理由もあって普段からアイテムストレージに入ったままなので、そもそも準備の必要がほとんど無いのだった。
次に食料品を始めとした消耗品である。洞窟内で一、二泊予定ということなので、ミランダと相談しつつ、余裕を見て数日分を買い込むことになった。それらは特に変わった物ではなく、小麦粉や米に野菜、肉といった普通の食材がほとんどである。乾パンや干し肉といった保存食も少しは用意するものの、これらは予備あるいは一種の嗜好品扱いとなる。
これについてはマリコが特殊という訳でもない。変質や腐敗を防ぐ保存という魔法が存在するので、大半の探検者は大なり小なり同じような事をやっている。アイテムボックスや魔力の余裕、また出掛ける期間の長さによって、普通の食材と保存食の比率が変わるのだ。マリコが特殊だと言えるのは、鍋釜どころか湯船や作業台まで持ち歩く、その「規模の大きさ」という点であろう。
「……ふむ。食器も自前の物が要るのか」
「そういうことだ。無いのなら買いに寄ろう。マリコ殿、シウンと雑貨屋も寄る故、ついでに要る物があるなら買ってくるが?」
「うーんと……。私は今のところ、特には無いですね」
食堂の隅っこに陣取っての買物リストアップは、三人共用の分を終えると次に個々人の物に移る。特にシウンについては、私物のほぼ全てを龍の国の家に置いたままこちらに来ている上、野外で泊まるのに要りそうな物は元々ほとんど持っていなかった。龍の姿で飛び回っている間は、広さだけが問題である。そこさえクリアできれば寝ようと思った所が寝床であり、例え眠っていようとも龍に危害を加えられる存在は滅多にいないのだから、これは仕方がないだろう。
「寝巻きも必要……か?」
「持っていてもいいですけど、テントだと寝るときもこのままですよ?」
恐る恐るという感じで聞いてくるシウンに、マリコは自分の身体を見下ろし、スカートの脇を持ち上げながら答えた。野営するなら、非常時に備えて寝る時もメイド服のままである。そう説明すると、シウンはなるほどと頷いた。
「人の姿で裸や薄着では、いざという時に防御力に欠けるということか。なら私はいっそ中間形態で……」
「却下です。テントや寝袋だって、強さは部屋の布団やシーツと似たような物なんですよ? サニアさんに注意されたの、忘れたんですか?」
龍族には、いわゆる裸族がそれなりに居る。龍の姿の時は服を着ることが無いのだから、それはある程度仕方がないのかも知れない。だが、人型を取っている時に裸だと周囲が困るのだ。故にそれを理解した龍族の面々は、人型の時には割と普通に服を着ている。
しかし、寝る時にはさすがに服がわずらわしいようで、何も着けずに寝る者がそれなりに居た。マリコも直接見た事はないが、シウンもそのフリースタイル就寝を好むらしい。もちろん、人型であればそれほど問題にはならないのだが、中間形態で布団に入ってしまうと、ちょっと困ったことになる。
身体を覆う鱗は中間形態の時にはぴっちりと並んでいるので、龍の姿の時のように端っこで鉛筆が削れるような事はない。それでも、しっぽの縁や翼、角など、鋭利な箇所はある。寝返りを打った時などに、それがあちこちに引っ掛かってしまう。宿で寝起きし始めた頃、シウンはそれで一度、シーツをカギ裂きだらけにしたことがあるのだ。
「うっ、わ、分かった」
サニアによる宿で暮らしていくための重要事項講座――正座でお説教小一時間――を思い出したのか、シウンはブンブンと首を縦に振る。これでテントが切り裂かれずに済むかと息を吐いたマリコがふと横を見ると、何やら怪しい笑みを浮かべたミランダと目が合った。
「何ですか」
「いや何、シウンの問題はそれで解決しそうだが、マリコ殿の問題を解決するためには、中間形態で寝てもらうのも一つの手ではないかと思ったのだ」
「は? 私の問題?」
「ほれ、いかにマリコ殿とて、刺さるほどに尖ったものに組み付いて痛い目を見れば少しは……」
「わああ! 何を言い出すんですかミランダさん!」
抱きつき癖を暴露し始めたミランダを、マリコは慌てて遮った。恐らくこの二人と同じテントで寝ることになるであろうミランダにとっては、チクチク痛いのとギュウギュウ苦しいのとどちらがマシかという問題なのである。
「組み付く……?」
「な、なんでもありませんから!」
首をひねるシウンを誤魔化すマリコに、ミランダは生温かい目を向けた。
「どうせ明日の夜にはバレるであろうに……。まあよかろう。ともあれ行ってくる、マリコ殿。ほらシウン、行くぞ」
「あ、ああ。……組み付く?」
「それはもういいですから! いってらっしゃい!」
ミランダと未だに首をひねるシウンを半ば強引に買い出しへと送り出し、マリコははあと大きく息を吐いて踵を返した。向かう先はここしばらく神格研究会が借り切っている客室である。そこには昨夜からのエイブラムの調整により、前倒しでナザールの里に来るとこができた修復希望者が待っているはずだった。
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