477 ドラゴンへの道 3
翌日の昼過ぎ、バルトたちは早々に次の尾根の半ば辺りまで道を伸ばしていた。昨日シウンがブレスで切り開いてくれたルートだ。ブレスがなぞった線の大部分は木々が倒されて下の土が露出しており、障害物を取り除く手間が格段に減っていた。むしろ、抉られ過ぎて道どころか溝になってしまい、周囲から土や石を持ってきて底上げしないといけない所があったくらいである。
「さて、ここから先は上じゃなくて、横に回り込む方が楽だろうなあ」
「そうね。山になってるからって、天辺を越えなきゃいけないっていう決まりは無いもの」
尾根を見上げながら言うバルトにカリーネが答えた。ブレスによる爪跡はもう少し上まで続いているが、今居る位置から先は傾斜が少しきつくなるのだ。自分たちが通るだけならさほど問題にならないが、今拓いている道はいずれ来るであろう普通の人たちのためのものである。最短距離だからといって、急勾配の難所では困るだろう。
「なら、しばらくは坂にならないように……ん?」
等高線に沿って尾根の中腹を行くルートを示そうとしたバルトは、鳥の声を耳にして振り返った。昨日、同じ様に道を付けながら通過してきた西の方だ。ギャアギャアと騒ぐ鳥の群れが山から次々と飛び立ったと思うと、その向こうから大きな影がヌッとせり上がってきた。
「え、龍!?」
昨日、中間形態でやってきたシウンと違って、龍の姿のまま飛んで来る。逃げ出す鳥たちで、バルトたちの周りもあっという間に騒がしくなった。それを気にした様子も無く、その赤い龍は一行の手前にズズンと地響きを立てて着地した。龍の姿になったシウンより一回り大きい。バルトたちが何か言う前に、その巨体を虹色の光が包み込む。やがて、その光が消えた後には、壮年の男性が立っていた。
「やっぱりゴケンさんでしたか」
「やあ、バルト殿に御一行」
豪快な登場にバルトは少々呆れ気味の声を出したが、中間形態のゴケンは気にした様子もなく、むしろ楽しそうだ。赤い鱗をまとわせ、筋肉の盛り上がった片手を振った。
「今日も誰か来るとは聞いてましたが、随分早かったんですね。……もしかして、里の方で何か問題が?」
昨日のシウンの話から、バルトたちは誰かが来るにしてもまた夕方だと思っていたのだ。
「い、いや、特に何も無い。……そうだ! これを早く届けようと思ってだな」
微妙に目を泳がせたゴケンは、取って付けたように言うとアイテムボックスを操作した。取り出した袋をバルトに手渡す。袋の口を開いて中身を確認し、バルトは頷いた。入っていたのは昨日の内に頼んであった、塩といくつかの香辛料である。
これらはもちろん料理にも使うのだが、実際には解体した皮や肉の処理の際に使う量の方がずっと多い。このところ獲物の数が想定以上だったために、残り少なくなってきていたものだ。今日使う分に困るほどは切迫していなかったとは言え、余裕があるに越したことはない。バルトは礼を言って受け取った。
「いやいや、礼には及ばん。足りなくなってからでは困るだろうからな。それで、何か預かって帰る物はあるかね?」
ゴケンが少し早口に言った。焦っているというより、どこかソワソワしているように見える。獲物に期待しているようにも見え、バルトは少々申し訳ない気持ちで口を開いた。
「いえ、それなんですが、今は無いんですよ」
「無い?」
昨夜から狩らねばならないような動物が現れないのだと、驚いた様子のゴケンに向かって、バルトは事情を話した。
「多分、シウンさんやブレスの影響で、近くに居た動物が逃げてしまったんだと思うんです。ちょっと惜しい気もしますけど、道作りを進めるにはその方がいいのかも知れません」
「なるほど。なら、今日の私の役目は終わりということだな」
「そういう事になります、が」
半ば無駄足を踏ませたようなものなのだが、ゴケンの声にはむしろ喜色が感じられてバルトは内心首を傾げた。
「ああ、今思い付いたんだが、私もここでブレス……はまずいか。この辺で飛び回ったりしておけば動物避けになるかね?」
「ええと、それは、まあ」
ゴケンのブレスは炎なので、昨日のシウンのような事をすれば山火事になってしまう。だが、予定外の狩りを減らすためということなら、龍の気配を撒いておくのは有効だろう。
「ならそうしよう。この辺りを何周かして、少し東に足を伸ばした後、ナザールの里に戻ることにする」
「分かりました。今日はわざわざありがとうございました」
一行と挨拶を交わしたゴケンは、早々に龍の姿になると空へと舞い上がった。バルトたちが居る山の周囲を何度か周り、急上昇や急降下を繰り返すと、今度は低空を猛スピードで東に向かって飛んでいく。下の森からは次々と鳥が飛び立つのが見えた。
「大騒ぎだろうなあ、あの辺」
バルトがふと漏らす間に、ゴケンの巨体は点のようになっていた。それはじきにまた大きく見え始める。再び一行の頭上に戻って来たゴケンは、一旦スピードを落として見事な宙返りを決め、そのまま西へと飛び去って行った。
「何だったんだろうな、あれ」
通過するゴケンに向かって手を振っていた一行は、その姿が見えなくなると顔を見合わせた。
「龍族の人たちは時々飛ばないといけないってやつじゃない?」
「それにしては、飛ぶのに妙に気合が入ってたような気がしない?」
マリコから伝わった話を持ち出すミカエラにカリーネが応える。それを聞いていたトルステンは、似たような光景を見た覚えがあることを思い出した。
「ねえ、カーさん。昔、ミカちゃんが勉強してた時に、何時間か机に向かった後、『脳が溶ける! ちょっと走ってくる!』って飛び出して行った事があったよねえ」
「ああ! あったわねえ」
「あれと同じなんじゃないのかなあ」
トルステンとカリーネは懐かしそうに頷き合った。ミカエラは「そんな事あったけ?」と首を捻っている。
「ゴケンさん、タリアさんたちにいろいろ詰め込まれてるんだっけ。宿の事」
ゴケン、コウノ、クロの父娘が宿の運営について教わっているという話はバルトたちも聞いている。クロはともかく、ゴケンとコウノはそういう細かい話があまり得意ではないということも。
「シウンさんが言ってた事情って、そういう事なのか」
向き不向きや個人差はあるだろうが、イメージ的に龍と出納帳とは確かに結びつけて考えにくい。息抜きあるいはストレスの発散なのだろう。明日はコウノが飛んで来るのかも知れないなと思いながら、一行はゴケンが飛び去った西の空に目を向けた。
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