476 ドラゴンへの道 2
タリアにメッセージを送ると、早々に返事が来た。「対策を考える。追って連絡するので、当面そのまま」という、要点だけのごく短い物だ。バルトとしては分かり易くてありがたい。ふと改めて、わずかに赤味がかり始めた空を見上げる。
(引き返すにしても、今日はもうこの辺で泊まるしかないしな。ああ、誰かに荷物を取りに来させるというのも有り得るのか)
そう考えながら、バルトは里の方を振り返る。ここまでは道ができているのだ。迷う事も無いだろうし、荷車を引いていても二日は掛かるまい。渡すのは狩りの成果だけなので、アイテムボックスの容量がそこそこ大きい者が来るのなら荷車さえ不要かも知れない。ただ誰かが来る場合、途中で熊に出遭う可能性がある。本来、里の東側は最も危険度が高いとされていた方角なのだ。
(東側に来ても大丈夫そうな面子……)
バルトの頭に何人かの顔が浮かぶ。マリコやタリア、それにミランダ辺りなら余裕だろうが、今の里の忙しなさを考えると荷物運びのためだけに里を空けてまで出ては来ないだろう。後は他の探検者の組くらいか。アドレーたちも最近メキメキと腕を上げているので、今なら赤色クマが出ても何とかなりそうだ。
その時、軽快なメッセージの着信音がバルトの耳に響いた。これはもちろんバルトにしか聞こえない。送り主はまたタリアで、「荷物の引き取りを向かわせる。目録を作って一緒に渡してほしい」と、また簡潔な内容だった。目録が要るというのは、宿の受付での買い取りと同じ扱いにするつもりなのだろう。誰かを仲介にする時には付き物なのだ。
「さすが早いなタリアさん。とは言え、いつ誰が来るとは書いてないな。決めるのはこれからか。ならこっちはこっちの事を進めとけばいいか」
バルトは独り言ちると、目録の内容を考えつつ、そこに一項目増やすために作業している皆の方へ足を向ける。執務室の自席でメッセージを受け取ったタリアがその場を一歩も動く事無く全てを決め、既に引き取り役が動き出しているということまでは、さすがにバルトも想像できなかった。
赤色クマは皮を剥がれ内臓を抜かれと解体され、それぞれアイテムボックスに仕舞われていく。皮は丸めてそのまま、内臓は薬になる肝臓――熊の胆というやつだ――などが壷に入れられて、さらに氷と一緒に保冷箱に入れられる。それで当面は持たせられるが、半月ともなると難しいだろう。
一方、身体は丸のまま仕舞いこむことになる。食肉としては、いわゆる熟成期間を置かないと美味しくならないので、この保管方法は一般的だ。熊や野豚のような大型動物を一頭分入れられるような保冷箱はそうそう持ち歩けないので、腐敗を遅らせる意味でも丸のままの方が都合がいい。部位ごとに分けてしまうと足も速くなるのだ。
◇
掘った穴に持ち帰らない部分を埋め終わった頃には、野営の準備を始める時刻になっていた。女性が三人も居るので、というよりミカエラとサンドラの料理の腕を上げるためという意味が強そうだが、このところ食事の準備は女性陣がやることが多い。トルステンは風呂場やら何やらを作るという役目がある。そんな訳で、バルトはこの時間帯の見張り役になることが多かった。
煮炊きの匂いに釣られて来る動物も居るので油断はできない。バルトはゆったりと周囲を見回す。特定の位置に焦点を合わせないのがコツだ。その方が視界の中で何かが動いた時に気付き易い。そんなバルトが西に目を向けた時、山の木々の上空で何かがキラリと光った。
「ん?」
バルトが目を凝らすと、最初は点にしか見えなかったそれはじきに横長に見え始めた。背にした夕日を反射しているらしく、時折キラリキラリと光る。
「鳥か? ……ああ」
この辺りであまり大型の鳥は見掛けた事がない。一瞬警戒したバルトはじきに安堵の息を吐いた。さらに近づいてはっきりと見えるようになったそれには、人の顔と手足が付いていたのだ。ナザールの里の方から飛んで来るそんな存在はそうはいない。彼女は一度野営地の上を通り過ぎると、ゆったりと旋回した後、バルトの前に降り立った。
「「「シウンさん!」」」
「お疲れ様です、バルト殿。タリア殿の依頼により、荷物を受け取りに参りました」
誰に習ったのか、中間形態のシウンはピッと腕を上げて敬礼のようなポーズを取る。白銀の翼と鱗を輝かせたシウンがやると、どことなく軍人めいた雰囲気があった。もっとも、腕と背中がむき出しの短いセーター――ニュービーキラー――を着ているので、グラビアアイドルのコスプレのようにも見える。
「誰か向かわせるって、こういう事だったのか……。いや、シウンさんこそお疲れ様です」
「何、我らの翼なら一っ飛びだ。で、早速なのだが……」
確かに龍の飛行速度なら、徒歩数日の距離も一時間と掛からないだろう。帰って宿で夕食を食べるというシウンに、一行は荷物と目録を渡した。量的に一人で大丈夫なのかという懸念はあったが、シウンは全部の荷物をあっさりとアイテムボックスに収めて見せる。狩猟民族とも言える龍族は狩りで得られる経験値が多くなるので、結果的に若くともそれなりにレベルが高い、つまりアイテムボックスの容量も大きいということらしかった。
「あと、これはタリア殿からの差し入れだ」
一包みの荷物が差し出される。大きさは大した事がないが、ずっしりと重い。
「これは?」
「熊肉だそうだ。赤色クマを狩ったとは聞いたが、熊はすぐに食べても美味くないだろうから持って行ってやってほしいと。茶色クマで申し訳ないが、と言っておられた」
「やた。タリアさん、分かってる!」
バルトの手から包みを掻っ攫ったサンドラが、それを掲げて小躍りしている。今夜のメニューには熊の焼肉が追加されそうだ。
「で、もう一つ。進行速度が思ったほどではないという話だが、進路はこのまま真っ直ぐでいいのだろうか?」
バルトたちが敷いてきた道の端に立ってシウンが言う。元々バルトたちが通っていた獣道は、木を避けるなど通り易そうな所に付いているので、かなりぐねぐねと曲がっている。だが、新たに付けている道は、後の利便を考えてなるべく短距離で真っ直ぐになるようにしていた。魔法も駆使するので現代日本の工事より早いだろうが、手間は掛かる。動物襲来の件もあって予想より進んでいないのは事実だった。
「それは、そうだけど」
バルトが答えると、シウンは皆に近付かないようにと言った後、さらに数歩前へ出た。
「形態変更!」
虹色の光がしばし――シウンが服を脱ぐ間――その身を隠し、やがて巨大な銀龍が現れる。それは東に広がる林に向かって構えると、大きく息を吸った。
「まさか……」
バルトたちが何かをする間も無く、空気が炸裂する音がした。次いで甲高いヒィィィンという音が続き、地面から土ぼこりが舞い上がる。その位置が前進していくにつれ、そこに生えていた木がバキバキと倒れ、岩がゴロゴロ転がっていく。バルトたちが見るのは二度目となる、シウンのブレスだ。やがてブレスが終わり、土ぼこりが治まった時には、向かいの尾根の途中まで木々が左右になぎ倒された道ができていた。
「少しは手伝いになっただろうか?」
中間形態に戻ったシウンが言った。
「あ、ああ、もちろん。さすがにすごいな」
傾斜の問題などもあるので手を入れなければならないところはあるだろうが、大きな障害物はほぼ無くなったと言っていいだろう。数時間から半日分くらいは稼げたように見える。
「それでは、私はこの辺で。ああ、明日は別の者が来ると思うので、何か要り様の物があればそれまでにタリア殿に連絡してくれ、とのことだった」
「え、明日?」
いくら襲ってくる動物が増えたといっても、一日で持ち切れないほど狩ることはないだろう。そう伝えると、シウンはどこか歯切れが悪そうに視線をうろつかせて頬を掻いた。
「あー、そうなんだろうが、我らにも事情というものがあるのだ。……と、ともあれ、また、明日、誰かが! では!」
言い訳のようにそう言うと、シウンは挨拶もそこそこに空へと舞い上がり、そのまま夕日に向かって飛んでいってしまった。残された面々は思わず顔を見合わせる。
「何なんだろう? あれ」
「龍の事情って言われてもねえ?」
つぶやくバルトにトルステンが肩をすくめた。熊肉をもらったサンドラだけはご機嫌である。
シウンが龍の気配を撒いていったからだろう。その夜、野営地に近付いてくる動物はいなかった。
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