475 ドラゴンへの道 1
狩りです。一応、残酷な描写あり、です。ご注意を。
進路上にあった邪魔な岩を浮遊の魔法で浮かせていたサンドラは、ふと左手に目を向けた。森の奥が妙に静かになっている。鳥の囀る声が、そちら側だけ聞こえなくなったのだ。
「また何か、来るみたいだよ」
そう仲間たちに言った後、自分の背丈ほどもある岩を二、三メートル脇に寄せて魔法を切った。ズシンと音を響かせて地面に落ちた岩はゴロリと転がり、下草や低木をバキバキと押し潰す。これを今からやってくる相手の頭に落とせれば楽だったのだろうが、そううまくはいかなかった。
浮遊はその名の通り、物を浮かせてある程度動かせる魔法である。だが、慣性が無くなる訳ではないので、重い物はそう早くは動かせない。動き回っている相手に当てるのは至難の業なのだ。予め浮かせておいた岩の下に相手を誘い込むか、寝ている相手の上に落とすのならなんとかなるかも知れない。
「まあ、潰しちゃったらもったいないしねえ」
「トーさん」
転がった岩を名残惜しそうに見ていたのに気付いたのだろう。声を掛けてきたトルステンの細い目はさらに細められていた。つい先ほどまで魔法を使って路面を固めていたはずなのだが、既にその手にはいつもの盾がある。剣はまだ抜かれていない。
青い髪を揺らしてそちらに振り返ったサンドラは、頭一つ分高い位置にあるトルステンの顔を見上げるように少し身体を反らして腕を組んだ。メイド服とエプロンに包まれた膨らみが、腕に押し上げられて存在感を増す。見せ付けようとしている訳ではなく、そうしないと腕が組みづらいのだ。そのまま、チチチと指先を振る。
「せっかく美味しい獲物なのに、そんな事しないよ。ミカちゃんじゃあるまいし」
「そりゃあそうか」
強調された双丘に目を向ける事も無く、トルステンは頷く。そんな二人の後ろからもう一人メイドさんが近付いて、はあとため息を吐いた。
「馬鹿な事言ってないで。二人とも、用意はいい?」
「いつでも。カーさん」
「おっけ」
返事をした二人が構えるのを見て、カリーネもそこに並んだ。首の後ろで束ねた緑の髪がふわりと揺れる。じきに三人の視線の先、木々の向こうから下生えを踏み分ける足音が聞こえ始めた。
「うわ、またでかっ」
サンドラがぽつりと呟いた。道の脇、木がまばらになった所に姿を現したのは、赤茶色の大きな熊だった。赤色クマと呼ばれる種類の中でも大きめの個体で、四足でも顔が大男のトルステンと同じ高さにある。それはフンフンと辺りの臭いを嗅ぐような動作をした後、三人の方へ顔を向けた。その鼻っ面にシワがよる。
「ガアアッ!」
「ほら来た。行くわよ、緑の拘束!」
「はいよっ! 大地の拘束!」
吼えた熊がダッシュしかかったところへ、カリーネとトルステンの魔法が発動した。周囲の木々や草むらから伸びたツタのような緑の拘束と、地面から生えた腕のような大地の拘束が四肢を捉える。つんのめった熊は、顔から地面に突っ込んだ。
「ぼぎゅ」
奇妙な声を上げて転んだ熊はすぐさま起き上がろうとするものの、二重に掛けられた拘束がそれを許さない。なんとか伏せの姿勢になったところで、三人に向かって威嚇の声を上げた。しかし、それに怯えるでもなく、一番小柄な一人が一歩踏み出してくる。
「トーさん、カーさん、そのままお願い。……いくよー、水、浮遊」
拘束を維持する二人にちらりと一度目を向けてから、サンドラは魔法を放った。水で出現したバケツ何杯分もの水を、地面に落ちる前に浮遊で浮かせるという、最近編み出した技である。宙に浮かんだ水は表面張力によって球形になろうとするが、さすがに量が多いのでボコボコと揺れる歪な塊となる。それがサンドラの操作によって、ふよふよと熊に近付いていった。
「ガアア、ボゴガボゴ……」
水の塊の中に首を丸ごと突っ込まされた熊が必死に顔を振るが、余裕を持った大きさに作られたそれから鼻を出すことはできない。浮遊を維持しながら、サンドラは熊に向かって言った。
「キミはボクを食べるつもりだったんだから、逆に食べられても文句は無いよね? じゅるり」
癖はあるが、きちんと調理された熊肉は美味しい。サンドラの好物の一つだ。獲物の立場に転落した熊の目に最後に映ったのは、揺らめく水越しに歪んで見える、青い髪を姫カットにした捕食者の笑みだった。
◇
「さすがに里から離れて来ると、そう簡単にはいかないなあ」
草を払う山刀で自分の肩をトントン叩きながら、バルトがぼやいた。とりあえずの道作りとナザールの里を出発して四日。一行の足は思わぬ事態で鈍っていた。
初日は順調だった。放牧場の端を出発した一行は、トルステンを中心に土系の魔法を駆使して道の表面を石畳に変えながら、一番近い尾根を越える所まで一気に進んだ。彼らが普段から通り慣れた順路は既に道の形を成しており、ほとんど舗装するだけで良かったからだ。その辺りに出るのは主に茶色オオカミなのだが、バルトたちは強すぎる相手として認識されているらしく、姿を見かけなかった。
問題はそれ以降である。探検者としての巡回ルートは一つではない。探索範囲をある程度広げるために、今回はこっち次はあっちといくつかに枝分かれしていた。今回、東に伸ばそうという道はその中の一つだったのだが、これはもちろん獣道よりマシくらいの、道とも言えないような道である。
だがもちろんそれは当初の予定の内だった。木を切ったり、石をどかせたりしながら、幅一メートル少々――荷車が通れる程度――の道をつけていく。初日ほどのペースは望むべくもないが、それなりには進めるはずだった。
足を引っ張ったのは、動物の襲来である。龍のせいでかき乱され、散っていた動物たちが半端に戻っているらしく、以前にはこの辺りで見かけたことの無い種類のものがポツポツ現れる。作業しつつなのでカンカンゴリゴリと音を立てている上、移動速度も巡回の時よりずっと遅い。それが余計に気を引いたらしかった。
追い払って済むのも多いが、中には逃げないのもいる。ただ、倒すだけならまだ何とかなるのだ。先ほどの赤色クマは、普段見かける茶色クマより大きいが、既にバルトたちの脅威ではなかった。問題なのは、その後の処理である。
「今日はこの辺でお開きだねえ。よっと」
溺死しかかったところで首を一突きにされた赤色クマは吊るされて血抜きされ、今トルステンに下ろされたところだ。大分陽が傾いたというのに、これから解体作業が待っている。仮にも狩った獲物を放置するのは論外だった。せめて埋めないと臭いで他の動物を呼び寄せるだけだし、何よりもったいない。特に熊は、毛皮に肉に一部の内臓まで、需要が高いのだ。
「ここらで一回引き返さないと無理かなあ」
「だねえ」
バルトはトルステンと顔を見合わせてため息を吐いた。ここまでに狩った獲物は、灰色オオカミに茶色クマに赤色クマにはぐれ野豚――何をトチ狂ったか、男も居るのに掛かってきた――といろいろだ。複数狩ったものもいる。
毛皮や肉と解体してアイテムボックスに仕舞ってあるので、移動や作業には支障がない。だが、予定通り往復に二週間掛けると、毛皮以外はほぼダメになるだろう。アイテムボックスに入れても普通に時間は進むし、五人で食べ尽くせる量でもない。毛皮も干せなければ怪しいものだ。
「とりあえず、タリアさんに連絡入れてみる」
「その辺は任せた、リーダー!」
パシンとバルトの肩を叩いて、トルステンが踵を返した。調子いいなあと思うものの、夜までにやっておく事は多いのでトルステンも暇ではない。
(まさか、肉が腐るからとかいう理由で中断を検討する羽目になるとは……。フレンド登録しておいて正解か。ええと、タリアさん、と)
「トーさん、お風呂!」
「解体が先でしょー?」
聞こえてくる声に笑みを浮かべつつ、バルトはポチポチとメッセージを打ち始めた。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




