469 異変 11
2020/10/19 大幅に改稿しました。それ以前にお読みの方は、申し訳ありませんがお読み直しくださいますよう。
「厄介事、ですか」
マリコは女神の言葉を繰り返した。女神は腕を組んで頷く。
「そうじゃの。一つおぬしに問うのじゃが、マリコよ。全知全能神が居ると分かっておるなら、望みを持つ者はどうすると思う?」
「……そりゃあ、自分の望みが叶うよう、神様に願ったり祈ったりするんじゃないですか?」
首を傾げて少々考えた後、マリコは疑問符の付いた返事をした。こちらで目覚めてから神様に願った事と言えば、ゴミを片付けろとか洗濯しろとかいう、自分の望みとはあまり関係ないものばかりである。前世の記憶を掘り返してみれば、自分にも祈ったことはあった。
「ふむ。ではその願いが叶わぬ、祈りが通じぬとなれば、次は何を考えるかの?」
「それは……」
確かにマリコも祈った事はある。ただ、それが叶った覚えは無い。祈りが通じていたのなら、あの男が一人取り残される事はなかっただろうし、そもそもマリコがここに居る事もなかっただろう。だからこそ、あの世界に神などいない――少なくとも祈りに応える神はいない――と思っていたのだ。
だが、それは本当に神様が居るのかどうか定かではなかった元の世界での話である。マリコの目の前には今、全知全能――という設定だったはずの――神が居る。答えに詰まったマリコを見ていた女神は、マリコの思いに気付いたかのように目を合わせた。
「おぬしの感覚じゃと、神など居らぬということになるのではないかの?」
「えっ!?」
「彼の世界には恐らく生粋の神など居らぬという話は前にもしたじゃろう。おぬしがそう考えるのはある意味、当然なのじゃ。そこでさらに考えてみよ。全知全能神が居ると思っておってなお、祈りが通じぬとすれば」
「……」
「答えは二つに絞られるはずじゃ。神は全知全能などではない。あるいは、神は人の事などさして気にしておらぬ。このどちらかじゃろう」
それは現実世界でも、特に一神教において、しばしば議論される事柄である。本当に万能の神がおわすなら、何故人々は救われていないのか、という話だ。万能の神が居るということを前提にすると、全員が救われていない現状から「神様には全員を救うつもりがない」ように受け取れてしまうのである。これについては、それぞれの宗教において様々な説や解釈が出されてはそれに対抗する意見が出てくるなど、なかなかにややこしい。
「じゃがの、現にわしは今ここに居って、かつ、人々の望みを全て叶えておる訳ではない」
女神はどこか苦しげに、手にしたカップを両手で握り締めながらそう言った。
「それは……。何故、と理由を聞いてもいいですか。いえ、私が聞いていいんですか」
「それは無論、構わぬ。聞かねば納得できんじゃろうしの」
そう言って女神はぐいとを煽って空にしたカップをトレイに置き、腰を落ち着け直した。
「まずは、そうじゃの。わしが何故顕現したかは話したの」
「ええ、ゲームで信仰心が集まったからって」
「うむ。十分以上の信仰心を得た事で、わしは設定通りに顕現したのじゃ。わしの設定は覚えておるか」
「ええと、『唯一神にして創造神、全知全能の美しく慈悲深き女神様』でしたよね」
「そうじゃ。これは言うてみれば、わしの根本じゃ。集まった信仰心がそうあれと望んだ事じゃから、さっき話した『設定変更』でも無い限り、わし自身にも変えることはできぬ。ここまではよいか?」
「はい」
「顕現したわしは、己の持つ属性に従って世界を創った。じゃが、ここにも実は縛りがあっての。わしの創る世界は、彼のゲーム世界を基としたものになる。そして、彼のゲーム世界が彼の世界を基に設定されたものじゃから、そちらの影響も受けることになるのじゃ。要するに、二つの世界からあまりにかけ離れたものは創れぬ。わしは全知全能という属性を持ってはおるが、世界を創造する際には自由裁量を持っておらなんだということじゃな」
「じゃあ、この世界の現状は……」
「ゲーム世界そのままという訳にはいかぬのは分かるじゃろう?」
「それは、まあ」
ゲームの世界はゲームを楽しむために設定されたものである。もしその通りなら、しょっちゅう世界の危機が訪れて、その度に神様が冒険者に助力を頼まなければならないことになるのだ。それは確かに困る。
「じゃから、二つの世界からいろいろといいとこ取りをして、皆でなるべく仲良く楽しく暮らせるようにしたつもりじゃ。大変じゃったのじゃぞ」
主たる種族は人型にしなければならなかった。魔法があって魔物が居る必要があった。転移門は置かねばならなかった。と、女神は具体的にあった「縛り」を並べ立ててため息を吐いた。
「そ、それはお疲れ様でした」
マリコとしては他に言い様が無かった。ここまで来ると女神がそうも頑張った理由も何となく見当が付く。彼女は「慈悲深き女神様」なのだ。放っておくと大変な目に遭いそうな世界と人々に可能な限りの慈悲を掛けたのだろう。
「これがさっきの、何故わしが人々の望みを全て叶えておらぬのかという問いの答えじゃ。人の有り様がゲーム世界や彼の世界に準じておるからの。人々の望みは容易に競合する。そしてそれらの中には、全能じゃろうとそのまま同時に叶えるのが無理なものが数多あるのじゃ」
「競合? 一つしかないパンを二人が、ってやつですか」
これもマリコが初めてこの部屋に来た時に聞かされた話だった。それは二人が同時に一つしかないパンを食べたいと思った時、元の世界ではどうなるかという話である。結果としては、望みを叶える力の強い方がパンを手にする、というものだったはずだ。
「そうじゃ。それを全知全能を以って解決しようとするならどうじゃろうかの? 二人の望みを共に叶えてやるためには、どうすればよい?」
「……単純に考えるのなら、パンを二つにしてあげるとかでしょうか。一つを半分こしろっていう話じゃなかったと思いますし」
マリコは、真っ先に頭に浮かんだ解決策を口にする。それなら二人はパンを一個ずつ食べられる。全知全能とまで行かなくても、仮にも神様であるならそのくらいはできるのではないだろうか。
「そうじゃな。ただそれは、パンのようにたくさんあっても問題無い物についてはそれで済む、という事に過ぎぬ。世の中には二つあっては困るものや分けられぬものもあるじゃろう? 例えばさっきの話で、二人が望むものがパンではなく、人じゃったらどうじゃ。二人が、一人を欲しておるとすれば」
「それは男二人が一人の女の子を好きになる、みたいな場合ですか?」
「そう考えるのが分かりやすかろうの。実際よくある事じゃろうし。その二人の望みを同時に叶えるとして、おぬしならどうする?」
「どうするって、普通に考えればそのままじゃ無理でしょう。一妻多夫を認めるよう、制度の方を変えてしまうとか……。いえ、それ以前に、今の話だと男側の希望だけで、女の子側の都合を考えてないじゃないですか」
二人に思いを寄せられたからといって、必ずそのどちらかに応えなければならない訳ではないのだ。二人以外の別の男が好きかも知れないし、男ではなく女の子が好きな性質なのかも知れない。
「そうじゃの。神に祈ろうが祈るまいが、望みの叶う者と叶わぬ者ができるじゃろう。つまり、競合する望みの中には、全能じゃろうとそのまま同時に叶えるのが無理なものがあるということじゃ。もちろん、神の力で望みの方を変えてやることはできるじゃろう。一方通行や三角関係にならず、両想いだけになるようにの。マリコよ、それは正しいと思うか」
「それは……」
マリコは即答できなかった。全知全能を以って先々まで見通し、より幸せになれる方向へ導くという事は可能なのかもしれない。しかし、そのために今胸に芽生えている感情を捻じ曲げてもいいのか。それはまた別の問題に思える。
「困るじゃろう? 安易に競合さえ解消できればよいとは言えぬじゃろう? そういう問題にわしが手を出すべきではないと思うておる」
「そ、そうですね」
「じゃからわしは『全知全能神』の存在を知られたくないのじゃ」
居ると知れれば、願いが叶わなかった者に絶望を与えることになる。しかしそれは「慈悲深き女神様」には――己の存在を隠し通したいほどに――堪えるのだと、マリコは理解した。
ややこしい話が続いておりますが、今少しお付き合いくださいますよう(汗)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。