468 異変 10
「まあ待つのじゃ。説明してやるから、そう青筋を立てるでない。脳の血管が切れても知らぬぞ?」
「誰のせいだ、誰の!」
事も無げに自らの死に言及する女神に、瞬間的に意識が沸騰して思わず怒鳴ってしまったが、女神はまだ可能性を示唆したに過ぎない。実際こめかみに血管を浮き上がらせていたマリコは、ギロリと女神をにらみ返した後、目を閉じてすううと大きく息を吸った。次いで、自分を落ち着かせるように、はああとゆっくり吐き出す。顔を上げた時にはなんとか青筋が消えていた。
「聞きましょう?」
わずかに上がった語尾に不信感をにじませながら、マリコは背筋を伸ばして座り直した。女神がふむと頷く。
「さっきも言うたが、神であっても死ぬ奴は死ぬ。多神教にはそういう話が多い。翻って一神教じゃとそれは少ない。唯一のものが死んでいなくなっては困る事が多いからの。それ以前に『生死を超越した存在』として扱われるのが普通じゃ。死んでも復活する、というのはここに入るじゃろう。不死というより、不滅ということじゃな」
「じゃあ、女神様も?」
「基本的にはそうじゃな。じゃが、この不滅も必ずしも絶対とは言えぬのじゃ」
「は?」
「前にも言うたじゃろう。ほぼ全ての神は人によって創られたものじゃと」
「ええ」
これも初めてここへ来た時に聞いた話である。人々が皆で幸せに生きていくために創られたのが神々だという。
「それは逆に言えば、人々の手によって『神の設定』は変える事ができるということでもあるのじゃ」
「ええ?」
「考えてもみよ。成立した時のまま、全く設定変更をされておらぬ神などほとんど居らぬわ。一神教に飲み込まれた土地の神なぞ、悪魔にされておるのじゃぞ?」
「あー。そ、それはまあ……」
人々の移動に伴って宗教も移動し、広がっていく。移動した先に別の宗教があった場合、様々な変化を起こすのは歴史的にも知られている事だった。多神教の場合、そうした「地元の神」も取り込んでしまう事がある。大雑把な例を挙げれば、仏教に出てくる「何とか天」は大抵、それ以前からインドに伝わっていた神々が前身なのだ。
一方で一神教の場合、神は一柱だけなので他の宗教の神を「神」と認める訳にはいかない。故に「人心を惑わす悪魔」とされてしまう事も多かった。それはその宗教の中では「公式設定」になってしまうのだ。
「つまり、設定や属性は後付けされ得るということじゃ。これはわしにも起きる可能性が、一応ある」
「一応?」
「今後、わしの設定が変わることがあるとすればじゃな。それは彼のゲームの『関連作品』が作られた時じゃろうな」
ゲームの続編、あるいは世界観を同じくする作品の事だと女神は言う。それが例えば「女神ハーウェイの死後何百年……」とか「魔王によって女神ハーウェイが斃され……」といった話だった場合、「女神ハーウェイは死ぬ」という設定ができてしまうと言うのだ。なるほど、それはマリコにも分からなくもない。
「でもそれって……」
「……じゃから、可能性の話じゃと言うたじゃろうが!」
今度は少し顔を赤らめた女神がクッションをバシバシ叩いた。終わったゲームであっても、何年か後に突如続編が作られたりする事が無い訳ではない。可能性としては、高いとは言えないがゼロでもないのだ。
「では消滅するというのは?」
「ゴホン。うむ、こちらは簡単じゃ。その神に関する記憶と記録が全て失われれば、存在自体が消滅してしまうのじゃ」
「記憶と記録? それが全て失われるって、そんな事があり得るんですか」
「うむ。今でこそ記録の方法や場所が多くなって、消滅する神は減ったがの。昔は多かったようじゃぞ」
口伝でしかその存在が伝わっていないような神は、伝える者が絶えれば消えてしまうということらしい。文字が発明される前なら十分ありそうな話だ。
ただ、ゲーム自体はサービス終了になったとは言え、プレイヤーだった者はまだ覚えているだろう。攻略サイトやファンサイトもあったし、アンソロジーも含めて、本も何冊か出ていたはずだ。そう簡単に全部無くなるとは、マリコにも思えなかった。
「なら、女神様が本当に死んだり消えたりする事は……」
「可能性は高くないが、無いとは言い切れぬ、というところじゃの」
「そうですか」
元の世界の話では手を出せるものでもないが、それなら当面は大丈夫だろう。マリコは一応頷いたものの、心の中に別の疑問が浮かんだ。
記憶と記録が全て失われれば消えると知っているのに、何故こちらの世界で表に出ないのか。こちらでも女神ハーウエイとして振舞えばいいのではないか。その疑問をぶつけられた女神は答える。
「実在する全知全能神など、厄介事の種にしかならんじゃろうが」
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。
 




