465 異変 7
マリコとしては、聞くなと言われても当然気になる。表情や雰囲気から察するに、ミランダは何かが悲しくて泣いていたとしか思えないのだ。だが、ミランダの言葉からある程度の事は読み取れた。適当な理由をでっちあげればいいのに、嘘やごまかしが得意ではないミランダは、女神の所へ行くまで言えないと言ったのだ。
(それはつまり、ミランダさんが居なかったのはクエストではなく、女神様に呼ばれてたって事なんでしょうね)
これは自分の意思で言わないのではなく、口止めされていると取るべきだろうとマリコは思った。女神の所へ行くまで、などという条件が付いている以上、神様絡みの話であることは間違いなく、口止めしたのもまず女神本人以外に考えられない。存在はするらしいが未だに見た事もない他の神々、という可能性も無くはないだろうが、それはさすがに唐突過ぎるように思えた。
「分かりました。聞かないことにします。とは言ってもですね……」
一応落ち着いてはいるらしいミランダだが、このまま部屋を出ると間違いなく皆に心配される顔になってしまっている。それに治癒を施しつつ、マリコはミランダが聞いたであろう話の中身について考えを巡らせた。
しかし、マリコ抜きでミランダだけを呼んでする話となると、ちょっと見当がつかない。例の勝手に増える経験値に関する話なら、現状を既に知っているマリコに黙っているとも思えないし、泣くような話になるとも思えなかった。
「……これでいいでしょう」
「かたじけない」
目も鼻も、赤くなっていたことが分からないところまで治った。マリコはミランダを促して立ち上がる。二人とも、まだ仕事は残っているのだ。その現場であり、給油所でもある食堂へと向かうべく、二人は部屋を後にした。
◇
食堂の夜の部、酒場としての営業が終わり、翌日の準備を済ませればマリコたちも終業となる。もっとも、里に滞在する人数が増えるに従って、終業時刻が後ろにズレ込むことも珍しくなくなってきていた。
――そろそろ、誰かに店を出してもらった方がいいのかも知れないねえ
タリアもそんな事を言っていた。新しく発見された転移門の周りには、始めは何も無い。そこに宿屋を建てて人が住まうようになっても、個別の店はすぐにはできない。客となる者の数が少なすぎて、商売にならないからだ。開墾や探検がある程度進み、住人の数が増えてくるまでは、店の機能は宿屋がまとめて負うことになる。当初は販売というより注文の仲介が主であり、里を訪れる行商人や飛脚がそれを補っていた。
やがて里の規模が大きくなると、商売として成り立つ、あるいは宿だけでは手に負えないと思える業種が出てくる。そうなった時に、里長は個別の出店を許可するのである。服屋や雑貨屋などのナザールの里に今ある店は、そうしてできたものだ。そこに「飲食店」を加えてもいいのではないか、というのが今の状況だった。
ナザールの里に今まで飲食店が無かったのには訳がある。衣料や雑貨であれば、その業種の仕事を新たな店に丸投げすることで宿屋が手を引くことができた。しかし、宿泊施設である以上、宿屋が飲食部門を閉めてしまうことは不可能である。一つしかない宿屋が素泊まりのみなど不便極まりないだろう。
つまり、他の店とは違って、飲食店は「老舗で大きな同業他社」が居る状態で開業することになる。客となり得る母数がある程度以上大きくなっていないと生き残るのが難しいのだった。
ともあれ、ようやく仕事を終えたマリコたちは、シウンが寝付くのを待って女神の部屋へ向かうことにした。
◇
月光に照らされた部屋に二人が姿を現す。天蓋付きのベッドには横たわる人影があった。来るのが遅くなったせいか、猫耳女神は眠っているようだ。起こせと言われていたマリコはベッド脇に歩み寄ると、その肩に手を掛けた。
「あっ」
「え?」
小さく上がった声に振り返ると、ミランダが自分の口に手を当てていた。思わず声が出て、押えたらしい。ミランダはその手をどけると「失礼、なんでもない」と首を振った。マリコは改めて女神に向き直る。
「女神様。……女神様?」
二、三度呼び掛けると、女神はゆっくりと目を開いた。横たわったまま一度伸びをした後、ベッドの上で起き上がる。
「おお、マリコか。来たの。ミランダも」
どこかのんびりした口調でそう言った女神は、座ったままミランダに目を向けた。
「ミランダよ」
「は、女神様」
「済まぬが、これと少し話がある。しばらくの間、二人にしてくれるかの?」
女神はそう言うと、床の方をチョンチョンと指差した。これは裏側、女神の間の方へ行ってほしいということだろう。ミランダは一瞬だけ眉を動かしたが、姿勢を正して答えた。
「承知いたしました。鍛錬しておりますので、ご用の際にお呼びください」
「済まぬの」
ミランダは一礼すると少し下がり、床に通路の口を開けた。
「では、マリコ殿も後ほど」
その場でもう一度礼を取って、ミランダは開いた穴に頭から飛び込んで消えた。じきにその穴も作動音と共に消えて無くなる。それを見届け、二人は互いに目を向けた。
「同じ様な話を何度も聞かせても仕方ないからの」
マリコが聞く前に、女神が言った。マリコの予想通り、女神は先にミランダだけに話をしたらしい。何か、泣くような話を。マリコは問い質したくなるのを抑えて、ただ首を傾けて見せた。
「ふむ、ミランダは何も言わなんだようじゃの」
「当たり前です」
ミランダが神様との約束を軽んじることはない。マリコは反射的に言い返した。
「それで、何がどうなったんですか」
「何を言った、と聞かぬところがおぬしらしいの。ふ、まあよい。結論から言うとじゃな。もうじき、そう遠くない内に、このわしは動けなくなる。さらに先には消えるじゃろう」
女神は、何でもないようないつもの口調で、とんでもない事を言ってのけた。
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