464 異変 6
今朝のミランダは龍担当だった。字面こそ物々しいが、平たく言えば案内係である。龍の国とナザールでは、ある物も違えば決まり事も違うので、それらを見せて回ったり、違いを説明する役なのだ。
現在、ナザールの里には、シウン、ゴケン、コウノ、クロと四人の龍がやってきている。その内、既に馴染んでしまっているシウンには最早、案内役は必要ない。むしろ、ミランダと交代で案内役の方を務めていた。
コウノとクロは交代で転移屋をやっているので、ナザールの里に居るのは大抵どちらか一人だけである。実際、先ほどマリコは向こうでクロと会った。クロはクロで、向こうでの案内係をしているようだったが、それが終わればこちらに戻ってくるだろう。その頃には入れ替わりに、コウノが誰かを連れてあちらに向かうのだ。
龍担当の仕事は昼前までで、その後はタリアに引き継がれる。そこで――主にゴケンが――里長の仕事を教わる事になっていた。つまりミランダは、ゴケンとコウノをタリアの執務室まで案内した後、姿が見えなくなっているということらしい。
もっとも、龍担当が終わった後、ミランダはそのまま早めの昼休みに入るはずだった。そういう意味では職場放棄して行方不明になった訳ではない。その点については、マリコも内心でホッとした。
「大した事じゃないんですけど、ちょっとお聞きしたい事があって」
厨房の新メンバーの一人がそう言った。聞いてみれば、質問はアニマの国についての事らしく、それならミランダを探すのも無理はないだろう。今ナザールの里に居るアニマの国出身者は、ミランダとアドレー組の面々くらいなのである。当然ながら、アドレーたちは里の外に出ていていなかった。
ミランダがいない原因は十中八九女神のクエストであろうとマリコは思った。もしそうであれば、宿中を探し回っても見つかるはずがない。それに女神のクエストは「起こりそうな事件を未然に防ぐ」ものがほとんどなので、大抵の場合は短時間で終わる。
「まあ、ミランダさんも休憩時間ですし、どこかでのんびりしてるんでしょう。見つけたら言っておきますよ」
「すみません」
さすがに昼食の時間帯が終わるまでには戻って来るだろう。そう考えたマリコは、とりあえずその場を取り繕った。それから龍の国から持ち帰った物の内、厨房宛の分を忘れずに取り出して預ける。
「それじゃあ、私はタリアさんの所へ行ってきますから」
厨房を出たマリコは執務室へと向かった。カミルの例から予想される、魔力量不足により多くの人はナザールの門とドラゴンの門の間を自力で転移できないだろうという話をするためだ。
先に戻る自分が伝えておくということはカミルにも話してあるし、龍の国ではエイブラムにも教えてきた。タリアの所にゴケンも一緒に居るなら余計にちょうどいいだろう。
「失礼します。マリコです」
「入っといで!」
マリコがノックをして名乗ると、間髪いれずにタリアの声が返ってくる。部屋に入ると、予想通りのゴケンとコウノに加えて、サニアとメイド服姿のシウンまでが揃っていた。もっとも、応接セットに着いている他の四人と違って、シウンだけは手押しワゴンの傍に立っているところを見ると、どうやらたまたまお茶の配達に来ていたようだ。
龍族の三人は人型だった。シウンはもう「いつもの事」になりつつあるが、ゴケンとコウノもこちらでは人型でいることが多い。これは中間形態だと必要以上に目立つということもあるが、背もたれのあるイスに座れないという実際的な問題も大きかった。ミランダの猫しっぽはまだ、横に流せば誤魔化しが効くが、龍のしっぽはそれをやるには太過ぎるのである。
その人型のゴケンは、この辺りでもよく見掛けるシャツにジーンズっぽいズボンをまとって、大柄な身体をソファに身を沈めていた。テーブルに並べられた書類に向けられた眉間にシワの寄った顔と丸まった背中から、何となく腰が引けているようにも見える。隣りに座ったコウノは我関せずという表情だ。
「叔父御殿は、あー、あまり細かい事が得意ではなくてな。……コウノもだが」
ススッと音も無く寄ってきたシウンが、こそっとマリコに耳打ちする。見れば、ゴケンが眺めている書類は数字の羅列で埋まっていた。いつぞやマリコも手伝った出納簿の類らしい。あれなら確かに、慣れない人に見せたら固まるだろう。ましてや龍の国である。これまでどの程度の書類があったのか。甚だ疑わしい。
「ま、まあゴケンさん。いずれそんな仕事もあるっていうだけで、今すぐ全部やれっていう訳じゃありませんから。私だってまだまだですし。ね、かあ、……女将」
「あんたはまだまだじゃ困るんだがね」
「うっ」
助け舟を出しに行ったサニアが見事に撃沈されている。どうやら、宿を運営していくのに必要な仕事の説明をしているところだったようだ。ゴケンがそのままツルギの跡継ぎになるのかどうかはマリコも知らないが、補佐役として動くなら少なくとも書類を読み取る知識は必要だろう。
「ええと、只今戻ったんですが……」
このまま見ていても終わりそうにないので、マリコはそっと声を掛けた。
「ああ、おかえり。お疲れだね。……で、専業の転移屋だって?」
「え!?」
「エイブラムと、カミルからも連絡をもらってね。詳しい事はマリコからってことだったけど、違うのかい?」
「い、いえ。違いません。メッセージが来てたんですね」
またしてもメッセージの早さに驚くことになったマリコだったが、取っ掛かりがあるなら話も早い。マリコは早速、今回の問題点について話し始めた。
◇
「さすが、この世界、というか業界? が長い人は違いますねえ」
自分の部屋へと廊下を歩きながら、マリコはつぶやいた。専業で転移屋をやろうという人が果たして居るのかと思っていたのだが、タリアは「それなりに居るだろう」と、事も無げに言ったのだ。
一番の有力候補は「元」飛脚である。魔力と実力を要するが故に、引退した探検者がなる事の多い飛脚だが、自分の脚で遠距離を歩くのが辛くなるとさすがに続けていけない。しかし、転移門間の往復が中心でその先を歩かなくていいのなら、魔力さえあれば何とかなるだろうと言うのだ。
さらに、専業ということになれば、飛脚のついでではない。平均的な魔力では行けない距離を行くことも考えれば、料金もそれなりのものになる。飛脚ついでの転移屋と調整する必要はあるが、それだけで食べていけるなら、飛脚や探検者から転職しようとする者も居るだろうとも言っていた。
いずれにせよ、現役の飛脚であるパットと神格研究会の両面から候補者を当たるという対策が、あっという間に決まってしまった。そう遠くない内に専業の転移屋が誕生しそうである。そうなったらなったで、彼らを一度ドラゴンの門へ連れて行くという仕事がマリコを待っているのだが。
(あれ? ミランダさん、帰ってる)
自分の部屋の前まで来たところで、マリコは隣の部屋に馴染みの気配を感じた。マリコも今から昼食という時間なので、ミランダは十分間に合ったことになる。ミランダもまだだろうから一緒に食堂へ行こうと声を掛けた。
「し、しばし待たれよ」
やがて部屋へと招き入れられたマリコは驚いた。
「どうしたんですか、その顔!?」
「や、聞かないでいただきたい」
「だって……」
「ともかく、言えぬのだ。今夜、女神様の所へ行く時まで、待っていただきたい」
ミランダの目は赤く、頬には明らかに涙の跡が付いていた。
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