463 異変 5
「く、おおっ!?」
マリコと共に門柱の間に架かった光の幕を抜けたカミルが、白い石畳の上で一歩足を踏み出したところでふらついた。ガクンと腰が砕けてその場にへたり込みそうになるが、自分の膝に手を突いてなんとか踏み止まる。
「だ、大丈夫ですか? カミルさん」
「ああ、大丈夫だ。一気に魔力を持っていかれて、ちょっとクラッときただけ。おー、粗方使っちまった感じだな。さすが、遠いって言われてただけのことはある」
二人はとりあえず石畳から降り、カミルは腰に手を当てて一度身体を反らした後、上半身を左右にグッグッと捻りながら言う。
「粗方、ってことは、まだ残ってはいるんですね?」
「まあ、水か火がそこそこ出せるくらいのもんだろうけどな」
転移門による移動は基本的に、行ったことのある門にしか行けず、距離に応じた魔力を消費する。逆に言えば、行ったことのない門には行けず、魔力が足りなくなるような遠くの門にも行けないということである。
しかし、同行者として誰かに連れてきてもらう場合には、行ったことのない門にも行けるし、自分の魔力では足りない遠くの門にも行ける。ただ、魔力についてはある分だけは消費するので、遠くの門に連れて行ってもらった時には魔力が底を突いた状態になることもあるのだった。
もしそうなった場合は、自力で同じルートを移動することは――自分の魔力量が増えない限り――できないということになる。同じルートを通るためには、また誰かに同行させてもらうしかない。
魔力は年齢を始めとして、レベルやスキルなどの上昇に従って上がっていく。故にこれまでは、「大人になれば、隣の門には十分行ける」というのが一般的な常識だったのだが、現状では「隣の門」であるナザールの門とドラゴンの門はこれまでの常識の枠に入らないほど遠かった。
だが、カミルは魔力が尽きるところまでは行っていないらしい。
「それなら帰りはというか、これからは……」
「おうよ。送ってもらわなくてもなんとかなりそうだ」
もちろん、今すぐは無理である。だが、カミルは元々こちらに一泊の予定で来ていたので、明日なら十分だろう。これはむしろ、今後の行き来に送り迎えが要らないという点で朗報だった。
ナザールの里長であるタリア一家に、タリア以外にも龍の国に自力で行ける者が居るというのも、将来の事を考えれば重要だろう。タリア本人はまだこちらに来た事は無いが、年齢や能力的に考えて魔力量がカミル以下だとは考えられない。
「ただ、カミルさんで『なんとか』だと、後がややこしそうですね」
「ん? ああ、そうか。増えそうだもんなあ、人」
ノシノシと通りを歩いて行く龍に目を引き付けられていたカミルは、マリコの言葉に少し考えてから答えた。ドラゴンの門が開通した事は世界中に知られているので、龍の国に行きたがる人は多いだろう。彼らはまずナザールの里を目指し、転移門を使って龍の国に行こうとするはずである。当然、行ったことのないドラゴンの門へは転移できないので、誰かに同行させてもらうことになる。ここまではいい。問題は帰りだ。
カミルの強さは魔力量も含めて、ナザールの里では割と「普通」である。だが、一番新しい最前線であるナザールは周囲の危険度も比較的高く、人口に占める探検者や元探検者の割合も高い。その中で「普通」であるカミルは、世界全体で見ると「平均以上」なのである。そのカミルがナザールの門からドラゴンの門へ「なんとか」転移できるという事は、半分以上の人は自力で転移できないということになるのだ。
「専業の転移屋さんができそう、というより要りそうですね」
「ああ。帰ったら義母さんに報告だな、これは」
一度使えば次からは自分で転移できるようになるのが普通なので、転移屋の客に「リピーター」はほぼいない。だからこそ、行商人や飛脚の小遣い稼ぎと言われていたのだが、ここでは距離が有り過ぎてその常識が覆ろうとしていた。
「マリコ様!」
そんな話をしていた二人に、頭上から声が掛かった。見上げれば、バサリと音を立てて中間形態の女性が舞い降りてくる。
「おおっ!?」
「クロさん! こんにちは」
「よくいらっしゃいました、マリコ様。こちらが本日のお連れ様ですか?」
「ええ、ナザールの里長、タリアさんの娘婿で、カミルさんです。って、カミルさん、何をそんなにジロジロ見てるんですかっ!」
目の前にクロが着地した時には驚いた声を上げていたが、今のカミルはクロを食い入るように見つめていた。
「うん? ああ、素晴らしいと思ってね。お嬢さん、クロさんとおっしゃられたか。貴女は実に美しい」
「またそんな事言ってる……」
「美しい女性を見たら、美しいと伝えるのが男の義務だと言っただろう。夜の闇で染め抜いたかのような、その髪、瞳、服……じゃなくて鱗。神秘的で気高い。とてもよく似合っている」
いつものセリフをマリコに返したカミルは、再びクロの方に向き直って言う。
「そうでしょうか」
答えるクロは、素っ気ないようにも、まんざらでもないようにも見えた。少なくとも気分を害した様子は無い。中間形態のクロは、黒い鱗を標準的なビキニスタイルにしている。肘から先と膝下を覆っているのも光沢のある黒なので、頭の角とも相まって、マリコにもどことなく女王様的に見えた。「神秘的で気高い」というのはその辺りを指しているのだろう。
「それではカミル殿。まずは我が祖父、ツルギの所へご案内します」
「カミルさん、里の代表で来てるって忘れないでくださいね! じゃあ、クロさん、カミルさんの言う事は真に受けないように、よろしくお願いします」
「ひでえ」
「承知しました」
クロに連れられたカミルが去っていくのを見送って、マリコも踵を返した。向かう先はエイブラムが詰めている建物だ。ツルギにも会って頼まれた品を渡す必要はあるが、カミルが挨拶に行くなら後でいいだろう。怪我人や急病人が出ていなければ、今日のこちらでの用は終わりだ。
◇
転移屋ついでのお使いを終えてナザールに戻ったマリコを待っていたのは、またミランダが見当たらないという話だった。
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