460 異変 2
女神の部屋にマリコとミランダが現れる。マリコは早速ベッドに目を向けるが、そこは空だった。流しの方にも居らず、風呂場、トイレ、物置部屋と一通り見回ってみたがどこにも姿が無い。
「向こう側に居られるのではないか?」
石畳の床をチョイチョイと指差してミランダが言う。ゲームだとPCが時折訪れる「女神の間」がこの床の裏にある。否、今マリコたちが居る女神の部屋の方こそが、本来の表である女神の間の裏側にあるのだ。
「そうかも知れませんね」
頷いたマリコは「開け、ゴマ」の合言葉を唱えて指を鳴らし、床に通路を開いた。しかし、すぐには飛び込まず、早速飛び込もうとしていたミランダを急いで止める。
「どうなされた?」
「いや、もし向こうを『女神様』として使ってたら、まずいじゃないですか。他に誰か居たらどうするんです!」
「え? ああ!」
女神の間は、言うなれば「謁見の間」である。そして、ゲームのPCほどの数ではないが、そこに呼ばれて謁見する可能性のある者は存在するのだった。それは神々の加護を与えられた者たちである。
もっともマリコが見聞きした限り、加護にも強弱や内容の違いなどいろいろあるようなので、全員が女神の間に呼ばれる訳ではないらしい。かつて加護を受け、ナザールの転移門を発見したタリアからも「女神の間に行った」という類の話は聞いた事は無い。
しかし、女神が部屋側に居ない以上、女神の間で誰かと会っている可能性を無視する訳にはいかない。もし本当に謁見中で、そこへ二人が飛び出して行ったとしたら。いろいろと台無しな上に、言い訳にも困る事になるだろう。
そんな訳で、二人はしばらく耳を澄ませた。
「……何も聞こえませんね」
「わたしもだ」
ミランダの耳にも何も聞こえず、女神もいない可能性も高くなったが、頷き合った二人は順に頭から穴へと飛び込んだ。穴をくぐる途中で重力の向きが変わり、女神の間にスタッと降り立つ。
「やっぱり居ませんね」
部屋側とは違って、こちらには何も無い。無人であることは一目で分かった。
「どこかへ出掛けておられるようだな」
マリコはベッドに寝転がる猫耳女神ばかり見てきたが、改めて考えてみればずっと部屋に籠っているとは思えない。二人のところに降りてくる人助けクエストにしても「女神の代わりに」行っているのだから、元々は全部女神が出掛けていたのだろう。
「どうしましょうか」
「元々修練に来る予定であったからな。折角だからして帰る。マリコ殿もであろう?」
「そうですね。私も清めの儀をしてきます」
女神宛に、尋ねたい事がある旨のメッセージを送った後、マリコは部屋側へと戻る。
(まあ、何か用があって出ているなら、すぐに返事もできないでしょうけど)
結局、二人が帰る頃になっても女神は戻らず、メッセージの返事も無かった。
◇
「おっ!?」
翌朝、朝練後の風呂で汗を流している最中、洗い場に座っていたミランダが驚いたような声を上げた。
「どうされた?」
「あ、いや。……掛けた湯が思っていたより冷たくて、少々驚いただけだ」
隣りに居たシウンに問われたミランダが取って付けたような返事をする。差し迫った危険があるような話ではなかったからか、シウンはそれで一応は納得したようだった。そのシウンが身体を洗い終えて湯船に向かうのを待って、ミランダはマリコに真面目な顔を向ける。
「マリコ殿、後ほど」
「! 分かりました」
今風呂場に居るのはマリコたちだけではない。朝練に出た女性陣数名も一緒に居る。ここで口に出せない話となれば大体の予想はつく。マリコとミランダは身体を洗い終えると周囲に「お先に」と声を掛けて早々に風呂から上がる。シウンは気持ち良さそうにお湯に浮かんでいた。
「先ほど、レベルが上がったのだ」
マリコの部屋に入るなり、ミランダは言った。お湯をかぶっているところでレベルアップのチャイムが鳴ったので、驚いて声を上げてしまったらしい。
「もうですか。……見せてもらっても?」
「ああ」
昨夜の勝手に経験値が増えていく現象には驚いたが、増えるペースはゆっくりだった。次のレベルまでの残りと比べて考えると、これだけでレベルアップするには丸一日以上は掛かるだろうと思っていたのである。早速ミランダが開いたメニュー画面に、二人は目を向けた。
「スピードが上がってませんか、これ」
「マリコ殿もそう思われるか」
経験値欄を見た二人が頷き合う。昨夜の二倍とまでは行かないだろうが、数値の増える速度が明らかに上がっていた。ミランダのレベルは何度かあった女神のクエストのおかげで既に四十台になっている。さっきレベルが上がったところなので、そうそう続けて驚かされる事はないだろう。だが、それは問題の本質ではない。
「何なんでしょうね、これ。……あ」
マリコがそう言ったところで、今度はマリコにしか聞こえないチャイムが鳴った。レベルアップの音ではない。メッセージの着信音だ。
「女神様!」
「返事か! 何と書いておられる?」
「はい、ええと『そちらの今夜は、おる。来て、寝ていたら起こせ』って、それだけですか!」
長文は書けないとは言え、それでも極端に短い返事にマリコは思わず声を上げた。
「女神様もお疲れなのではないか? その感じだと戻られたばかりか、まだご用向きの途中なのだろう」
敬う度合いが違うのか、ミランダは女神に同情的な事を言う。だが、言われてみれば確かにそういう風にも受け取れる。
「じゃあ、改めて今夜ですね」
「そういう事だな」
現象自体は不可解だが、害がある訳ではないのでミランダは気楽に答えた。一応、先の予定は立ったということで、二人して食堂に向かう。
「「おはようございます」」
「来た!」
挨拶しつつ、裏口から厨房に入ると、カウンターの向こうにブランディーヌが立っていた。カウンターに両手をついて、前のめりに構えている。むふーと噴き出す鼻息が荒い。
「ミ、ミランダさん!」
「む、私か!?」
いつもならマリコが食いつかれる事がほとんどなので、自分の方だと思っていなかったミランダは驚いた。ブランディーヌが荒い息のままコクコクと頷く。
「そう、ミランダさん。貴女が、風と月の女神様の化身なのではないかっていう噂が」
「「はあぁ!?」」
二人が驚くどころでは済まない事をブランディーヌは口にした。
※女神のメッセージに「そちらの今夜は~」と変な表現があるのは、時差がある(女神の部屋にはまともな昼夜が無い)からです。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。