458 戻ったら戻ったで 16
「女神様女神様。……起きませんねえ」
マリコが肩を揺すってみたものの、女神は目を覚まさなかった。スウスウと穏やかな寝息を立て続けている。さらに揺すってみたが、やはり女神は眠ったままだった。
「よく寝ておられるな。これは無理に起こさない方がいいのでは?」
「うーん。そうしたいのは山々なんですけど」
龍の国に関する事は、それほど急がなくてもいいように思える。本格的に行き来が始まれば問題も疑問も出るだろうが、今のところはまだそこまで行っていないからだ。神格研究会と龍の国との話し合い次第だろうが、当面それぞれの代表となるエイブラムとツルギには既に面識があり、お互いの人となりを知っている。いきなり大きな揉め事が起きる可能性は低いように思えた。
だが、ミランダの問題は放っておく訳にはいかないのである。レベルリセットについては次の時に回しても構わないようにも思えるが、その場合はミランダが損をすることになってしまう。レベル百に達してもうレベルが上がらないというのは、何かをしても経験値が得られない、スキルポイントも増えないということでもあるのだ。
そしてそれ以上に放っておけないのが、「変神し忘れ」だった。どこにどういう影響が出るのか、マリコにもちょっと見当が付かない。少なくともこれについてだけは、女神に影響と対策を聞いておかなければならなかった。
「とは言っても……」
どうしたものかと、マリコは腕を組んで、眠る女神を見下ろした。身体を揺すっても起きないとなると、次はどうするべきか。さすがにぶん殴って起こすのは最終手段だろう、などと不穏な事を考えていると、どこからか「くぅ」という可愛らしい音が聞こえた。マリコは思わずミランダの顔を見た。
「私ではない!」
反射的にお腹に手を当てて、ミランダはブンブンと首を横に振る。もちろんマリコでもなかった。夕食の後、お腹が鳴るほど時間が経ってはいないのだ。二人は改めて女神に目を向ける。タイミング良く、もう一度腹の虫が鳴いた。出所は間違いなく女神である。そのまま見ていると、鼻も時々ピクリピクリと動いている。
「なるほど」
部屋の様子から、女神が長時間――恐らくは丸一日以上――眠り続けているのは確かだろう。その理由は分からない。しかし、それだけ寝続ければお腹も空くだろうという事はマリコにも分かった。一つ頷くと流しの方へと向かった。
流し台の端にはコンロが設置されている。それもマリコにはとても見覚えのあるやつだ。日本の家の台所にあった物と同じ形の、三口あるガスコンロである。女神が再現したのだろう、少なくとも見た目はそのままだった。マリコはそこにフライパンを二つ掛けると、ツマミを捻ってそれぞれ火を点けた。後ろから覗き込んだミランダが感嘆の声を上げる。
「これはまた見事な魔道具だな」
ナザールの宿では薪を燃やすかまどが使われているが、都市部では冷蔵庫のように魔晶を組み込んだコンロが使われ始めているという話はマリコも聞いていた。もっとも、ほとんどは一口の物らしい。三口もあるのにこんなに小型なのがすごいと、ミランダがしきりに感心しているが、多分これと同じ魔道具は存在しないだろう。女神謹製という意味では魔道具どころか神器である。それに気付いたマリコは思わず笑いそうになって、なんとかそれを飲み込んだ。
温まった二つのフライパンにそれぞれステーキ肉や串焼きを置いていく。持って来た物をそのまま並べただけでもそれなりに匂っていたのだ。温め直されたそれらは、暴力的とさえ言える芳香を周囲に撒き散らし始めた。それに応じるように、女神の鼻も動きを増していく。
マリコは肉の山を皿に盛り付け、女神の枕元に持って行った。既に女神の鼻は絶え間なくスンスン動き、お腹からはサイレンが鳴り続けている。串を一本取って、女神の鼻に近づけながら呼びかける。
「女神様、起きてください」
女神の目がクワッと開かれた。
「おはようございます。今日のお供え物はいかがですか?」
◇
「ふう、ご馳走じゃった!」
テキーラをあおりつつ、肉の小山を食べ尽くした女神が手を合わせる。やっと人心地ついたという雰囲気の女神から空いた皿を受け取り、マリコは代わりに手拭いを手渡した。
「口の端に、タレが」
「む? 済まぬの」
「随分寝てたみたいですけど、何かあったんですか」
口の周りを拭う女神に問いかける。
「あー、このところ結構力を使ったからの。節電モードというか、充電期間のようなものじゃ」
「力。ああ、龍の国の」
「そんなところじゃ」
龍の国と転移門が繋がり、神様からのお祝いとしてフレンド機能が解放されたのは一昨日の事だ。世界中の人が相手なのだから、それは確かに大変そうだとマリコにも思える。巨乳を常に支えておくのとは、使う力の桁が違うだろう。
「それでもお腹は空くんですね」
「肉体がある以上、それは仕方なかろう。オホン。それで、二人して今日は何じゃ? 龍の話かの?」
空の皿に目をやって微妙に顔を赤らめた女神は、咳払いを一つした後、話をそらしに掛かった。それに気付きはしたものの、用があるのも事実である。マリコはその流れに逆らわないことにした。
「それも無い訳ではないんですが、まずはミランダさんの事で……」
マリコとミランダはようやく事情を話し始めた。
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