456 戻ったら戻ったで 14
湯船に足を入れると、チャポンと小さな音を立てて丸い波紋が広がった。しかしそれも、続けて入った三人分の身体が立てた波と重なって複雑な小波の群れと化していく。それが湯船の反対側に届いて跳ね返った頃、三人の口から声が漏れた。
「「「はぁあああ……」」」
そこには気持ちよさと同時に、ため息の成分も多く含まれていた。お互いそれに気付いて、苦笑気味の顔を見合わせる。先ほどやっと今夜の仕事が終わり、マリコとミランダ、それにシウンはようやく風呂に入ることができていた。髪や身体を洗い終えた後、湯船の一辺に設けられている段に、並んで腰を下ろしたところだ。
「仕方ない状況とは言え、さすがに疲れた」
「私もです」
シウンとマリコが頷き合うとそれぞれの双丘が浮き沈みを繰り返し、形通りの丸い波紋を作り出す。それを横目に見たミランダは、胸元辺りまでお湯に浸かった自分の身体を見下ろした。そこにもきっちりと膨らみはあり、お湯に浸かれば浮力が働いていることも確かに感じられるものの、浮かんだと視認することは難しい。それについての感想は片方の眉をわずかに上げるだけに留めて顔を上げた。
「二人は中心人物故な。ただ、それを抜きにしても今日の人出はすごかったが……」
「タリアさんたちの作戦が無かったら、もっと大変だったんでしょうね」
「ああ、さすがに長と呼ばれる一族は違うな」
ミランダの言葉を引き継いだマリコに、シウンが頷き返した。新たな波紋が広がる。
◇
夕方が近付き、食堂の本格的な夜の営業時間が始まるのを待たずに集まってきた人たちの数を見て、サニアとタリアは今夜の路線に修正を加えた。里の人数が増えて以来、建物の外にも席が作られるのは既に常態化しており、ビールなどの飲み物を提供する売り場を外にも設けることは、麦刈りや田植えの時にも行われている。今夜はそれに加えて、厨房機能の一部も外に出すことにしたのだ。
と言っても、そこまで本格的なものではない。レンガなどを使って臨時のかまどを急遽組み上げ、そこに大きな鉄板と網が載せられた。予備の作業台がいくつか持ち出され、その背後を守るように囲う。今夜の料理の目玉となるであろう、野牛の肉を焼く部門を独立させたのだ。マリコの感覚だと、戦国の世に城の前に作られたという出丸を髣髴とさせる。
「この最前線をマリコさんに任せます!」
出丸の主はサニアによって当然のように指名され、シウンとミランダが配下に付けられた。こちらも今夜の話題の主、龍の国帰りのマリコと龍そのものであるシウンをまとめての配置である。これには厨房としての理由もあった。
マリコには急いで組まれた、実質バーベキューコンロのようなかまどを使いこなす腕があったし、その助手として最も高い経験値を持つが故のミランダの起用である。シウンは厨房要員としてはまだ心許なさ過ぎるので、これは仕方がない。
サニアたちの修正点はもう一つあった。時折外に設けられる飲み物の出店を、今夜はテキーラ専用としたのだ。味見が目的なのでメニューもストレートやロック、水割りなど基本的な物に限られ、こちらは厨房の新顔組に任された。
「それでは今日の……」
やがて陽が傾き、テキーラと野牛肉がお試しで無料、ただし、ちゃんと感想を出せといったサニアによる注意事項の説明があり、食堂の夕食時間が始まった。とは言え、雰囲気はほとんどお祭り状態である。皆、早速それぞれ一番の目的の物があるところに向かっていく。野牛は出丸、テキーラは出店、いつものなら食堂へ。
さて、マリコの出丸である。ここはメイド服三人組で回すことになった。シウンが中間形態になると必然的にニュービーキラーを着る、あるいは何も着ないということになり、インパクトがあり過ぎると無難に落ち着いた結果である。
マリコはひたすら肉を焼いた。串焼きもステーキも下ごしらえは済んでいるので、本当にひたすら焼くだけである。ミランダはシウンに指示を出しつつも、マリコの指示に従って薪を足したり材料を渡したりしている。シウンはカウンター代わりになっている作業台越しにできた料理を手渡しながら、龍関係の質問に答えていた。そちらの話にはマリコも加わる。
(なるほど)
出丸の話が出た時点で予想はしていたが、実際に動き出すとじきに、マリコは「楽さ」を実感していた。火の前でずっと焼き物を続けるのはもちろん楽ではないのだが、それは同時に楽しい事でもあり、慣れてもいた。ただ、今日については龍の国の話を聞きに来る人がいるので、もっと忙しない事になるだろうと思っていたのだ。
しかし、こうしてシウンと一緒に動かずに居ると、話をするのに掛かる時間がかなり短くて済むのだ。ほとんどオープンスペースで調理をしているので、「声を掛けてはいけないタイミング」があるのも見ていれば分かる。それでも話し掛けようとする者もいないではなかったが、それは周囲の人たちに止められていた。マリコに肉を焦がされるのも困るからだ。
その分、シウンの方に話が行くのだが、皆がある程度集まったところで話すことになるので、同じ話を何度も繰り返さずに済んでいる。習慣の違いなどからくる話の通じにくい部分はマリコやミランダが補足や「通訳」をすることもできた。もしシウンがこれまで通りに給仕の手伝いをしていたら、しょっちゅう呼び止められて引率のミランダ共々恐らく仕事にならなかっただろう。
(これは今回だけですけど、お金もらわなくていいのも楽ですね)
もし厨房のカウンターでまとめてやっていたなら、代金をもらうビールや普段の料理と混ざってややこしかっただろう。今の出丸はそれを考えなくてもいいので、三人だけで回していられるのだ。ふと気付いて振り返ってみると、テキーラの出店の方も並んでいる人数の割りに混乱無く進んでいるようだ。あちらも同じなのだろう。マリコはサニアたちの英断に感心した。
◇
「まあ、それでも大変ではあったのだがな」
「ですねえ。あの人数でしたから」
ミランダと二人、肩まで浸かって足でゆっくりとお湯を蹴りながらマリコは答えた。最終的には里中の全員が来たのではと思える人数が来ていたのだ。出丸の周囲を埋める人たちにした話の回数と、空けた支援物資の数を、マリコは指を折って数えた。
シウンはというと、少し前から湯船に浮かんでしっぽをくねらせている。泳ぎ回れる広さではないが、ある程度は動けるのだ。その姿はマリコに、なんとなく水槽の中でぐるぐる回る鯉を思い出させる。翼を持つ肌色の鯉を目で追いながら、マリコはつぶやいた。
「そう言えば、返事が来てませんねえ」
「こちらもだ」
夕食時の前、女神宛にも後で行きますという内容のメッセージをミランダとそれぞれ送ったのだが、今のところまだ何の反応も無かった。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。