455 戻ったら戻ったで 13
驚いて反射的に声を上げてしまったマリコだったが、一度大きく息を吸って心を落ち着かせた。マリコとミランダが頼まれた――あるいは押し付けられた――クエストは基本的に「風と月の女神の代わりに、生命の危機に陥りそうな子供を助ける」ものである。
一口に「生命の危機」と言っても、実際には様々なパターンがある。それに応じて助け方も「野生動物に襲われているところに現れて相手を追い払う」といった直接的なものから「川に落ちて溺れるはずの子供を、そもそも川に落ちないよう誘導する」のような間接的なものまで、いろいろだった。
また、これは表向き「普通なら助からないところだが、たまたま風と月の女神が見つけて助けた」という体裁を取っている。「神様がなさったこと」で押し切るからこそ、人間離れした能力を遠慮無しに使って助けることができるのである。そのため、このクエストは女神の姿を借りて、つまり「変神」して行われることになっていた。ミランダはそれを忘れてしまったらしい。
「もう少し詳しく聞かせてください」
「承知した。一昨日の昼過ぎなのだが……」
◇
このところ急速に人が増え、それに応じて順当に仕事が増えた食事時の食堂は戦場の様相を呈している。主な担当が接客であるミランダも戦場を縦横無尽に駆け回った。
昼の部を何とか乗り切り、休憩時間に入ったミランダは自室のベッドに倒れ込んだ。幸い、日々の鍛錬のおかげで体力的にはまだ余裕がある。だが、精神的にはそれなりに疲れるのだ。一眠りしておこうと目を閉じる。
そこにポーンというクエストの発生音が響いた。開いたウィンドウに並ぶのは「落石に巻き込まれる子供を救え!」の文字。ミランダは飛び起きた。転移機能――クエスト専用で事件発生予定地に行って戻って来られる――を使って現場に飛ぶと、山道を歩いていた少年とその母親と思しき二人を発見する。
「そこで止まるのじゃ!」
自分たちしかいなかったはずの山の中で声を掛けられた母子が驚いて振り返った。今回迫っている危機は「落石に巻き込まれる」であり、ミランダはその落石が起こる前に現場に着いている。
故に、後は落石が起きるまで二人が問題の場所に近付かないよう、ほんの少し足止めしてやればいいのだ。それだけで巻き込まれる事態は回避できる。ミランダに怪訝な目を向けているとは言え、二人が止まって振り返った時点でクエストは半ば成功しているのだ。
ミランダは内心で安堵の息を吐いた。
◇
「……で、ここへ戻って変神を解除しようとしたら、できなかったと」
「うああぁっ!」
そもそも変神していなかったのだから、解除できるはずもない。話を聞き終えたマリコの言葉に、ミランダは頭を抱えてベッドの上を転げ回った。思い出すと恥ずかしさに耐えられない。
――見ての通り、わしは女神と呼ばれておる者じゃ!
――程無くそこの崖の上が崩れ落ちる故、しばしそこを動くでないぞ!
不思議なものを見るような二人の目付きに何故気付けなかったのか。ミランダは自分の姿のまま、猫耳女神をノリノリで演じ切ってしまったのだ。それでもミランダの予告通りすぐに落石が起きて、無事に済んだ二人は態度を改め、自称女神のミランダに丁寧に礼を述べて去って行った。だからこそミランダは、部屋に戻るまで自分の間違いに気付けなかったのだが。
「ふむ」
マリコしか居ないためか、メイド服のスカートが捲れるのも気にせずに転がるミランダを横目に見ながら、隣りに腰を下ろしたマリコは考えを巡らせた。恥ずかしさの表現の一つなのか、裾から飛び出した銀色のしっぽがくねくねとのたうっている。
「変神」すると、姿形と服装が猫耳女神になる。具体的には、サリーかトーガのような服を纏った小学校高学年か中学生くらいの小柄な女の子の姿になるのである。
一方のミランダは、ショートタイプメイド服を纏った、高校生か大学生かといった風情の女の子である。身長も百六十センチくらいあるので、決して小柄とは言えまい。
だがこの二人、それ以外はかなり似ているのである。まず、どちらも猫耳としっぽがある。元々は赤トラだったミランダの髪――というか毛並み――は、女神の加護を受けた影響かその色を変化させ、今ではすっかり女神と同じ銀色に輝いていた。そして、彼女たちの顔立ちは驚くほどよく似ているのだ。二人並べば姉妹にしか見えない。
「ふむ」
マリコはもう一度同じ事をつぶやいて頷いた。実際にどういう影響が出るのかは女神に相談してみないと分からないものの、そこまで深刻にならなくてもいいような気もする。少なくとも、マリコが変神を忘れてそのまま行ってしまうよりは大分マシなのではないだろうか。
「ミランダさん」
転がるのに疲れたのか、うつ伏せになったところで止まっているミランダに声を掛ける。話はもう一つ、あったはずだ。そう伝えると、ミランダはごろりと仰向けに転がった。
「そうそう! マリコ殿、これを見ていただきたい!」
ミランダはそう言うと一度両脚を振り上げ、やっと勢いを付けて起き上がる。ストッキングに包まれたスリムな脚が目の前に突きつけられ、つい凝視してしまったマリコだが、それを見せたかった訳ではないだろうということは分かった。起き上がったミランダが広げて見せたのは、メニュー画面である。
「これなのだが」
「レベル……、百!?」
基本ステータスが表示されたタブ。そこに浮かんだ数値は、ミランダがレベルの限界に達したことを示していた。
「レベルリセットの通知は時折来ていたのだが、マリコ殿に勧められた通り、ずっとキャンセルしていたのだ」
ミランダのもう一つの話は、そのレベルリセットについてだった。していいものかどうか、という相談である。
ゲームにおいて、筋力や体力といったステータスは、各種条件の積み重ねで構成されていた。レベルや年齢、スキルに付随するものなどがあり、レベル由来のものは基本中の基本である。レベルが上がる毎にじわじわと上がっていく。レベルアップ時には、スキルレベルを上げるのに必要なスキルポイントももらえるので、レベル上げは必要不可欠なものだった。
しかし、レベルの上限が百なので、そこに達してしまうと最早レベル由来のステータスは上がらないし、スキルポイントも得られない。ただ、それではゲーム的に困るので、それをリセットできるシステムになっていた。レベル九十に達すると可能になるレベルリセットを行うとレベルは一に戻り、再びレベルアップが可能になる。
同時にレベル由来のステータスもリセットされ、キャラクターが弱体化することになるのだが、そこには若干の考慮がなされていた。レベル由来のステータスはリセット後も幾分かが持ち越されるのである。つまり、リセット直前よりは弱くなるが、前回のレベル一の時よりは強くなっているということだ。そうしてレベルリセットを繰り返しながら、ゲームのキャラは強くなっていくのである。
「レベルリセットとやらを、お願いしたいと思う」
マリコからそうした話を改めて聞き、ミランダは頷く。一旦は弱くなるとは言え、先のことを考えればその方がいい。
「これも女神様案件ですねえ」
ミランダのメニューをある程度いじれる権限を渡されているマリコだが、さすがにこれは範疇外のようだった。
「今夜、仕事が引けたら一緒に女神様のとこに行きましょう」
どれだけ話をしてくることになるのか。マリコは内心でため息を吐いた。
(今夜は寝かせません。いや、寝ていても叩き起こしますからね、女神様)
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