453 戻ったら戻ったで 11
酒の次はアテという訳でもないが、サニアと一緒に厨房に戻ったマリコは、向こうでもらった野牛の肉の塊を取り出した。もちろん塊は一つだけではなく、いくつかの部位を持たされている。夕食の仕込みが始まる時間でもあり、マリコがそれを作業台に並べていると厨房に入っていた何人かが集まってきた。
「これは牛の肉ね」
さすがにサニアは一目で言い当てる。ナザールの里で食べられている肉は野豚と鶏が中心だが、牛や羊も食べない訳ではなかった。
放牧場の牛と羊は基本的に牛乳と羊毛を得るために飼われているので、日常的に食用に回されることはない。また、食料品店を営むブレアが他所から仕入れてくることもあるが、肉牛を育てている所が近場に無いそうで、頻度は低かった。
そうした理由から、ナザールの里における牛肉は「ちょっと珍しい」くらいの位置付けである。
「お酒と一緒にこれも頂いたんですが、こちらの牛肉とはちょっと違ってまして……」
肉にされたものしか見ていないのですがと断りを入れて、マリコはツルギに教わった野牛の話を皆に話して聞かせた。野牛はナザールで飼われている牛より身体が大きく、姿も少し違うらしい。聞いた話からすると、マリコが知っているバッファローに近い種類のようだ。それをこちらの野豚のように狩ってくるのだ。
「じゃあ、味も違いが?」
「ええ。ただ、こればっかりは口で言ってもどうにもなりませんから……」
試しに食べてみてもらいましょうと、包丁を取ったマリコは塊の一つ――バラ肉に当たる部分――から薄切り肉を削ぎ取った。塩コショウを振る前に何人分に切り分けるべきかと顔を上げたところでマリコの動きが止まる。最近加わった者も大分慣れつつある厨房メンバーの中に、当然あると思っていたはずの顔が無い。
「ミランダさん、こっちじゃなかったんですか?」
「あら? マリコさんが来る前までは居たと思うんだけれど」
シウン絡みのバタバタでそのままになってしまっていたが、ミランダは何か相談事があると言っていた。酒と肉の始末を頼んだら落ち着いて話が聞けると思っていたのだ。
「ええと、ミランダさんなら……」
新顔組の一人がそっと手を挙げた。ミランダは何か急用ができたと言って、少し前に出て行ったのだという。じきに戻るとも言っていたし、時間的にもまだ余裕があったので聞いたままになっていたと、その娘は恐縮気味に頭を下げた。
「気にしなくても大丈夫よ。それなら戻って来るでしょ」
サニアがパタパタと手を振って言う。宿で働く者が増えた関係で、ミランダに限らず元から居た者は教える側、フォローする側に回る事も増えている。その日の担当場所以外からヘルプに呼ばれる事もあるので、いちいち目くじらを立てられることも無かった。
そういう事ならと、マリコはその場の人数にミランダを足した分に薄切り肉を切り分け、フライパンで簡単に焼く。肉の味を確かめるのが目的なので、塩コショウも最低限だ。焼き上がった物をフライパンごと台に置くと、爪楊枝を持った手が四方から伸びた。
「固め?」
「美味しい!」
「脂身にちょっとクセが……」
次々に味の感想が上がる。まとめると、やはり飼われている牛よりは若干野性味があるようだ。ただ、どちらかが明らかに美味しいという差ではなく、個々人の好みが出そうだということで概ね意見が一致した。
「さて、このお肉も今夜、例のテキーラ? と一緒に出す訳なんだけど……。どうしたものかしら」
頂き物だということもあり、今夜についてはテキーラも肉も龍の国との国交開始記念という名目で無料で出してしまおうということになっている。とりあえず味を見てもらって、皆が気に入るようなら真っ当に取引を始めればいいのだ。
サニアの独り言のような質問を受けてマリコは首を捻る。牛肉だとシチューの具や煮込み料理なども定番なのだが、味見という意味ではどうだろう。
「あまり凝った料理にすると肉そのものを味わうのが難しくなりますから、今みたいに焼くのがいいと思います」
「そうよねえ」
「なるべく皆に行き渡るように、と考えるのなら、串焼きにするのが良さそうですけれど」
「あ、あのっ!」
定番、というところでいつもの焼き鳥を思い浮かべたマリコが串焼きを推していると、横から声が上がった。先ほどのミランダの伝言を受け取った娘である。
「ええと、今夜は振舞いで、お金をもらわないんですよね?」
「そうね」
「それなら、無理に一人前とか一本にこだわらなくてもいいんじゃないかと思うんですが」
例えば、焼いたステーキを先に切り分けておいて、それを一、二切れずつ取ってもらうというのはどうでしょう、というのがその娘の案だった。普段ならステーキ一切れだけなどという売り方はしないが、今回は売る訳ではないのだ。
「それ、面白いですし、手間が省けていいかも知れませんね」
マリコはその意見に乗った。焼き鳥サイズの串焼きだと、準備の手間もあるが、一切れがかなり小さいという問題がある。バラ肉ならそれでもいいのだが、ロースやヒレだと食べ応えが無いように思えた。ちょっともったいない気もする。
その後、さらにああだこうだと言い合った結果、バラ肉だけは串焼きにして、他は切り分けステーキということになった。この二本立てなら、別のかまどで同時に焼けるので出すスピードも上げられるだろう。
実際の作業は今居る面子に任せて、マリコは厨房を後にする。やる事をいろいろ抱えているのは知られているので、特に引き留められることは無い。しかし、この時になってもミランダはまだ戻っていなかった。
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