448 戻ったら戻ったで 6
一通り話を聞き終えたところでタリアが頷いた。
「なるほどねえ。今の話で思い出したよ」
「何をですか?」
皆の視線がそちらに集まる中、代表するようにマリコは聞いた。
「ああ。野豚のその『ブオオ』っていう声と、向こうから集まってきたっていう話さね。私もここへ来る前に一度、話に聞いたことがあっただけなんだがね」
そう前置きして話し始めた。よく知られているように、野豚は基本的には臆病である。飢えてメスに寄ってくる若いオスでさえ、男の匂いを嗅ぎ付けると森の奥に引っ込んでしまう。ただ、それにも例外があるのだと言う。
それは群れ全体が危機に陥るような強い敵が近付いた時で、その時には群れの周囲で暮らすオスや、時にはボスまでが出張ってきてその敵に立ち向かうらしい。その際、群れに危機を報せている、あるいは仲間を呼んでいるとされるのが「ブオオォ」と長く伸ばす吼え方なのだそうだ。
「もっと詳しい事はエイブラムにでも聞いた方が早いだろうがね。確かそんな話だったはずだよ。ただ、実際にそれが起きたらしいっていうのは初めてでね」
そこで一旦言葉を止めたタリアは、シウンではなくマリコとミランダに目を向ける。以前はいなかったであろう、野豚の群れを警戒させるような存在となれば、タリアもそれが「誰か」というのは分かっているのだろう。
実際、ナザールの里にやってきた時には、人型になっていてもシウンから龍の気配が漏れていたらしい。放牧場の動物たちに恐れられていた。しかし、その後はかなりマシになっていたはずである。
多少の慣れはあるにせよ、動物が龍の気配を気にしなくなるとは思えず、これはシウンの方が人型に慣れて気配を押えられるようになったのだとマリコは思っていた。もしそうでないのなら、シウンが野豚の森に近付いた段階で騒ぎが起きていないとおかしいのである。
何か理由がありそうなのだが、それがはっきりとは分からない。タリアにどう答えるべきか迷ったマリコがミランダと顔を見合わせていると、横からひょいと二本の手が挙がった。エリーと、もう一人は当のシウンである。
「何だね、エリー?」
タリアは片手を向けてシウンを制すると、先にエリーに水を向けた。シウンが何を言うつもりなのか読めなかったのだろうなとマリコは思う。
「ん。先に確認。シウンは、龍?」
「「え!?」」
予想外の問いに、マリコとミランダは驚いたが、周りを見るとシーナたち三人に加えてダニーも、エリーに同調してうんうんと頷いている。シウンだけがキョトンとした顔をしていた。「ニュービーキラー」こそ着ているものの、頭には角、背中には翼、腰からはしっぽが生えた姿のままである。
(どう見たって中間形態、って、ああっ!)
ここでようやく、マリコは気が付いた。先日来、龍の国への転移門だの親しき者機能解放だのと、龍絡みの騒ぎで盛り上がってはいるが、実際に本物の龍の姿を見た者は一握りしかいないのである。
龍の姿自体は、物語に描かれるものとそう変わりないということが、マリコを始めとした「目撃者」たちから伝わっている。しかし、人型になれるということと、特に中間形態のことは、さてどれだけの人が知っているのか。タリアやエイブラムなどはツルギが来訪した時に話題に上ったはずなので知らないということはない。だが、それ以外の皆はどうだろうか。
目撃者の一人として、いろいろな人に話を聞かれたマリコではあるが、ほとんどの人はまず龍そのものの姿や大きさに興味が向いていた。だからそんな話は山ほどしたが、人型になれる話はともかく中間形態のことまで話した記憶がほとんど無い。
つまり、今のシウンを見ても「龍なのかどうかよく分からない」からこそのエリーの質問だった。タリアは額に手を当ててしばらく考えた後、シウンではなくマリコに顔を向ける。
「話が後先になっちまうけど、あんたが戻ってるってことは向こうも一段落したってことなんだろう? どうなったんだい?」
転移門で戻った途端にこの騒ぎで、帰還の挨拶さえまだだったのだ。マリコはあちらでの治療の様子や決まった事、頼まれた事について簡単に説明した。詳しい事はまたエイブラム辺りを交えて改めて話すことになるだろう。それを聞いてタリアは頷く。
「ならもう、無理に隠しておくこともないかね。聞く相手ができたんなら、細かい事はそっちに聞けって言ってやれる」
元々シウンの正体を隠していたのは、龍としてはただの娘であるシウンに質問が集中したりするのを避けるためである。窓口ができるのなら「公式見解」をするのはそちらの役目ということだ。
「エリー、その通りさね。シウン、本来の姿の事も含めて話しておやり」
「心得た。改めて、我が名はシウン。大空を統べる龍族の末座に連なる者。今のこの姿は中間形態と呼ばれるもので……」
以前、食堂で述べたのと同じような名乗りに始まり、シウンは形態変更について説明していった。そして最後にエリーに向かって頭を下げる。
「済まなかった、エリー殿。今日の野豚の件は、私のせいだ」
「どういうこと?」
首を傾げるエリーに、シウンは答える。
「こちらで世話になるようになって数日、人型になっていても動物たちに気配を気取られぬよう努めてきた。かなり上手くなってきたと思っていたのだが、剣を抜いたところで気も抜いてしまったらしい。誠に申し訳ない」
先ほどシウンが手を挙げたのは、これを伝えたかったようだ。野豚狩りの後半、近接戦に移る段階で気配を隠し切れなくなったということらしい。それを野豚たちは群れ全体の危機ととらえたのだろう。
エリーは一瞬目を見開いた後、ほとんど無意識に左腕を撫でた。体力を使ったことでやや疲労感こそあるものの、一度はちぎれかけたはずのそこには傷跡さえ残っていない。
「いい。マリコさんが居てくれたし、私もまだまだ未熟」
マリコやミランダであればもっと上手く立ち回っただろうと、エリーは思っている。だから軽く首を振って右手を差し出した。
「エリー殿!」
握った右手を引き寄せ、シウンは感極まった様子でエリーを抱き締めた。翼も使って、やや小柄なエリーを包み込むかのような抱擁である。少し顔を赤らめたエリーが抱き返すと、何故か拍手が上がった。
「やれやれ。一件落着かね、ここは」
タリアが息を吐いて、扉の方に目を向ける。その先には、恐らくさらに増えているだろう、ナザールの里の人々が待っているはずだった。
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