445 戻ったら戻ったで 3
「エリーさん!」
「エリー!」
近くに居た人たちが一瞬の驚きの後静まり返る中、マリコたちはシウンに駆け寄った。シウンに横抱きされたエリーは気を失っているらしく、首は力なく反り、太めの茶色い三つ編みが垂れ下がっている。抱えたシウンの腕や胸にも血が着いており、マリコは目を見開く。だが幸いな事に、真っ赤に染まっているように見えていたのは、全てが血という訳ではなかった。エリーが着込んでいるジャケットの色である。
野豚狩りの面々は、同士討ちを避けるために目立つ色のジャケットを着る事になっていた。リーダー格が赤、他のメンバーは白である。先日までミランダが着ていた赤いジャケットをエリーが受け継いでいたらしい。
ポーションは既に使ったのだろう。出血は止まっているようで、呼吸も安定している。顔色も良いとは言えないが、それほど悪くもない。最悪の事態は避けられている事が分かって、マリコは詰めていた息を吐き出した。しかし、エリーの左腕に目を止めて眉を顰める。
丈夫な革でできているはずのジャケットの二の腕に大きな破れ目があった。その中は血の汚れでよく見えないが、袖の先から出ている指がひどく青白い。マリコは思わずシウンに顔を向けた。シウンは厳しい表情で「恐らく」と頷き返す。何があったのか、と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、マリコは辺りを見回した。今は先にすべき事がある。
「宿へと思ったんですが、エリーさんの家がすぐそこです。行けますか?」
「雑貨屋だな? 昨日連れて行ってもらったところだから、分かる」
エリーの父、ダニーがやっている雑貨屋は、ついさっきマリコたちが前を通り過ぎたところである。シウンはエリーを抱え直すと、早速そちらに足を向ける。
「じゃあ、そこへ。それと、ミランダさん」
マリコはシウンと一緒に歩き出しながらそこまで言った後、声を潜めて続けた。
「シウンさんの事で騒ぎになりそうですから、タリアさんに事情を話して、できれば来てもらってください」
言われてミランダは周囲に視線だけを走らせる。シウンの飛来とエリーの怪我という突然の事態に、近くにいた者たちは驚いて半ば固まりつつも見守っているという状態であった。だが、それぞれが我に返れば、マリコの言う通り大騒ぎになるだろう。押えるにせよ鎮めるにせよ、タリアに任せるのが間違いが無い。
「承知した。ただ、一点だけ確かめたい。シウン殿、一緒に行った他の者は?」
「大丈夫、皆無傷だ。今、こちらに戻ってきている」
エリーの怪我があったので、シウンだけが先行したのだと言う。それを聞いたミランダはほっと安堵の息を吐くと、エリーをマリコに任せて宿へと駆けて行った。
程なくマリコたちは雑貨屋へと駆け込んだ。数々の商品が並ぶ店内に居たダニーが何事かと立ち上がる。シウンが降り立った時に辺りに居た人たちも一緒に来ていたが、さすがに店の中まではついて来なかった。
「ああ、マリコさん、と、え? ……エリー!」
マリコと中間形態のシウンを見て目を白黒させた後、その腕の中の娘に気付いて声を上げる。
「大丈夫です。怪我はしてますが命に別状はありません。治療しますから、どこか寝かせられる所へ。ああ、汚れるかも知れませんから、できればベッドではない方が」
驚くダニーがパニックに陥る前に、マリコは状況を捲くし立てた。命に別状無い、が効いたのか、ダニーは「ああ」と少し気の抜けたような声を漏らした。
「で、では、こっちへ」
ダニーは店の奥にある扉を開いて、中へ入って行った。ついて行くとそこは在庫を置いておく部屋らしい。大は家具から小は食器まで、むき出しの物や箱に入った物が所狭しと並べられており、とても人を寝かせられるスペースは無い。ダニーはそこを抜けて、次の扉を開いた。
「ここへ」
次の部屋は作業場のようだった。そこそこの広さの部屋に、大小の作業台が並んでいる他、万力や金床も据えられている。一方の壁には金槌や鋸を始めとした、様々な工具類が掛けられたり立て掛けられたりしていた。ダニーは大きな作業台の一つにさっと莚を敷いて示す。シウンがそこへエリーをそっと横たえると、意識の無いはずのエリーが「んっ」と小さく呻いた。
「ジャケットを脱がせるのは無理そうですね。切るしかありませんか」
「なら、これを使ってくれ」
顔色を青くして見守っていたダニーから、大きな鋏が差し出される。マリコは受け取ったそれで、ちぎれかけているジャケットとその下のシャツの袖を、縦に裂くように切り開いた。中に溜まっていた赤い液体が流れ出る。血と、ポーションの残りである。次いで肩側も、今度はジャケットだけを袖側から襟元に向かって切り開く。
「浄化! ふう」
「エ、エリー!」
「うっ」
汚れを消し去ると、マリコの予想した通りの状況になっていた。左腕がちぎれかけ、肩側の傷だけが出血が止まる程度に塞がっている。皮一枚、のような状態ではポーションの効果が及ばなかったのだろう。腕の方はそのままだ。ここでさらにポーションなり治癒なりを使えば、肩の傷は完治するだろうが、もちろんそれでいい訳がない。
「体力回復!」
「マ、マリコさん……」
「大丈夫です」
縋るような声を上げるダニーに頷き返して待つ事しばし。やや青ざめていたエリーの顔色が戻ったところで、マリコは改めて構えた。静かに唱える。
「修復」
塞がっていたはずの肩側から繊維状の物がいくつも伸びていく。骨が、皮が、筋肉が、次々と腕側と繋がり、あっという間に太さを増して元通りの姿を形作っていった。血の気を失っていた腕に赤みが差し、指がぴくりと動く。
「もう大丈夫ですよ」
ダニーががくりと膝を突き、息を詰めて見つめていたらしいシウンが長い息を吐き出した。何度見ても、奇跡だとしか思えない。この時ばかりは、物ぐさ女神に最大限の感謝を捧げたくなるマリコだった。
この後、「何で見てたの、恥ずかしい」と怒られるダニー父ちゃん(笑)。
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