438 龍の国滞在記 10
踏み込みと同時に翼が打ち振られ、しっぽが地面を叩いた。推進力を大幅に加えられた猛ダッシュは人族の比ではなく、瞬きする間に相手との間合いを詰める。前傾した身体から、輝く鍵爪を広げた拳が唸りを上げて繰り出された。これが狩りであれば、相手が余程の大物でない限り、大抵は勝負が決まるであろう一撃である。迫り来るクロの顔にかすかな笑みが浮かぶのがマリコにも見えた。
「何だって毎度毎度こういうことになるんですか……。とは言え、これはいい機会です。申し訳ありませんが試させてもらいます」
小さくつぶやいたマリコは、膝をたわめて突進を待ち受けた。
◇
ツルギたちとの情報のすり合わせは、マリコの予想に反して比較的順調に進んでいた。昨夜のコウノとクロの行動のせいでマリコが誤解したところもあるが、あれは二人がマリコに合わせた結果であり、寝る時にも龍の姿か中間形態なのが普通である。
そもそも、ここでは龍族が人型に形態変更する事自体が少なかった。非力になる上に飛ぶ事もできなくなるとあっては、わざわざ人型になる理由が無いのである。さすがにツルギも、人族が素肌を曝すのは風呂など特定の場所や男女の営みを行う時など特定の状況下に限られるという事は知っていたので、後はそれを皆に周知してもらえば人型での裸族認定は当面なんとか避けられるだろうということになった。
ただ、問題は中間形態である。男女共局部は隠れていても体型が露になるので、マリコの目から見ても十分に刺激的なのだ。だが、その上に着る服となるとシウンに渡した「ニュービーキラー」のような特殊なデザインにならざるを得ない。それに龍族の側にこれまでの習慣をいきなり変えろというのもおかしな話だとマリコは思った。
「これは逆に、来る側にそんなもんだと思ってもらった方がいいんでしょうねえ」
ツルギが言った今後に係わる心配は人族の側にも言えることである。中間形態の事だけに限らず、ナザールの里に戻ったら次の人がこちらに向かう前に伝えておくべきことも多そうだ。マリコは話を続けながら、自分もメモを取っていった。
「ここに建てることになるはずの宿ですが、亭主はとりあえず私、ということになりそうです」
いくつかの話題の後、宿の話になった折にツルギは言った。
「え、そうなんですか?」
新たに発見された転移門の場合なら、そこを初めて使った者の名前が門の名となり、そのまま宿の亭主、つまりそこにできる里の長となるはずである。しかし、この龍の国の門は昨日今日見つかった物ではない。中央四国の門と同じ時代には発見されていて、単に使われなかっただけなのだ。
故にその名は、初めて使ったであろう「ツルギ」ではなく「ドラゴン」となっている。中央四国の例に倣うなら、部族、つまり龍の長が宿の亭主になるのではないかと、マリコには思えた。その疑問を口にすると、意外な答えが返ってくる。
「今の我々には人族のような、部族を束ねる明確な長というものが居らんのですよ。何せ散らばり過ぎておりますから」
全体的な取り決めが必要になった場合には、比較的年長の者が連絡を取り合って決めたりすることもあるようだが、そんな事は滅多にないらしい。獲物を狩り尽くすようなことをしない、何かあれば「始まりの地」へ、くらいが基本ルールで、後は皆それぞれやっているのだそうだ。
「で、今回は珍しく連絡を回したんですが……」
「ああ、皆さんは元々メッセージを使えるんでしたっけ」
「原因になったのもお前だし、もうそんなに遠出しないだろうし、後を継いでくれる物好きもいるだろうということで」
頭に手を当ててそう言うツルギに、周りに居た大人の龍たちが揃って頷いた。里長は原則的に家族や親族が引き継ぐのだが、ツルギにはマリコが聞いた限りでも六人の孫が居るはずである。子、つまりシウンやコウノの親の代も居るだろうし、跡継ぎには困らないのだろう。
「いいんですか、それで」
マリコは思わず聞いてしまったが、皆何でもないように頷き返してくる。おおらか過ぎるような気もするが、マリコが口を出す話でもないので、とりあえずエイブラムには伝えることを約束する。神格研究会側からしても、窓口となる者が決まっている方がいいのは間違いないだろう。
そうして意見交換が概ね終る頃、手合せの申し入れが多いのだという話が出てきたのである。マリコとしては想像できなくもないが、大体その通りの理由をツルギが話してくれた。
「我らと比べて人族は身体も小さく、基本的には脆弱であると認識しております。しかし、いかに若く、また中間形態であったとは言え、シウンがあっさりと敗れたと聞いては、何が起きたか確かめぬ訳にはいかぬと……」
言いながら、ツルギは辺りを見渡した。マリコたちが話をしていたテーブルの周りには、いつの間にか人垣ができている。マリコは頬を引きつらせた。これが全員挑戦者だとすると十人や二十人では済まない数である。
「僭越ながら、私も」
隣りの席でそっと手を挙げるクロを見て、マリコはふうと息を吐いた。個人的な強さというものは、確かに皆思い入れのあるところだとは思うが、龍族はそれが顕著であるように思える。
(自分たちの方が大きくて強いという感覚もあるんでしょうけど、考えてみれば、龍の皆さんは全部が探検者みたいなものですしねえ)
大きな街ならともかく、ナザールの里のような最前線だと、普通の農家の人でも茶色オオカミくらいは追い払えないと暮らしていけない。それと比べるなら、龍族は全員の本業が狩人である。より強さに重きを置くのは当然なのだろう。
(それにしても、さすがに多過ぎます)
勝ち負けはともかく、全員とやっていては日が暮れそうだ。かと言って「一番強い人と!」などと言ってしまうと別のバトルに発展しそうである。少し考えたマリコが全員は多過ぎるので条件を出したいと言うと、首は傾げられたが反対はされなかった。該当者がそれでも十人近く居り、男女や年齢に偏りが出なかったからであろう。
そして舞台は広場へと移り、時間は冒頭へと戻る。
このところ、午前中の更新が難しいです。
家の都合もありますが、筆が遅い(泣)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。