435 龍の国滞在記 7
太目に作られたジョッキの柄はマリコの予想に反して冷たくなかった。持っているとほのかに温もりを感じる。光沢のある黒っぽい色から陶器だと思っていたのだが、木をくり抜いて作られた物らしい。木の割には随分重いなと思ったが、それが何故かなどと詮索する間も無く、そこへ樽からとぷとぷと酒を注がれた。
「それでは、乾ぱーい!」
マリコにジョッキを手渡して酒を注いだ大柄な男が自分のジョッキを軽く掲げる。それに釣られて、ほとんど反射的にマリコもジョッキを掲げた。
「「「乾ぱーい!」」」
乾杯に唱和した周りの人たちから、二人のジョッキに向けて次々とジョッキが突き出される。結構な勢いでぶつけられて、ゴンゴンと鈍い音が響き渡った。一通りぶつけ合った後、それぞれがジョッキをあおる。さすがにテキーラだと思われる酒を始めから一気に行こうとは思わなかったが、マリコもジョッキに口をつけた。
(あれ!?)
またしても予想と食い違うところがいくつかあって、マリコは目を瞬かせた。まずは酒自体の事である。味は確かに記憶にあるテキーラに近いのだが思ったよりきつくなかった。濃い目の水割り程度だろうか。ジョッキで飲むのならストレートよりこのくらいの方がいいだろうとは思える。
次にジョッキなのだが、大きさの割りに容量が少なかった。黒っぽい材質のせいで分かりにくかったのだが、よく見ると縁がかなり分厚く作られており、くり抜いてある穴の部分は意外と小さい。見た目は大ジョッキだが、実際には小ジョッキ分くらいしか入らないだろう。
大ジョッキ一杯分のストレートを警戒していたのだが、これならいきなりぶっ倒れることはなさそうだ。二口、三口味わった後、ぐいっと空けると周囲が沸いた。次の相手に二杯目を注がれながら何となく首を捻ると、そんなマリコの様子を見ていたらしいツルギと目が合う。ツルギは頷いて口を開いた。
「思っていたのと違うのではありませんか?」
「あー、はい」
何故分かるのかと思ったマリコだったが、改めて考えるまでもなくツルギは龍族の暮らしと人族の暮らしの両方を知る存在である。マリコの感じた疑問もとうの昔に経験済みなのだと、すぐに思い至った。
「私が人族の街へ行った時には、お酒の種類の多さに驚いたものです」
懐かしそうに目を細めて、ツルギは自分のジョッキを傾けた。龍の国で作られている酒はこのテキーラ――何とこちらでもテキーラと呼ぶらしい――だけなのだそうだ。言われて見れば、先ほど風呂の途中で上から眺めながらコウノが指差して教えてくれた中に麦畑や田んぼはなかった気がする。狩猟中心の生活ならばそれも無理はない。ただ、麦や米といった穀物を作っていないなら、当然それらを使った酒も造られないことになるのだ。
ナザールの里での事を思い返すと、マリコが飲んだのはビールとウイスキーだが、ワインやブランデーも存在することは聞いていた。そして、ナザールの里で酒造りをしている所は無い。つまり、里で飲める酒は全て、他の街から買い入れた物ということになる。ここまで考えるとマリコにも段々分かってきた。
「元の種類が一つだけだから、飲み方で工夫してるってことですか」
「そこまで格好いいものでもありませんですけれどね」
ツルギは笑いながら種明かしをしてくれた。テキーラも蒸留した段階では五十度前後あるそうだが、そのままだと強さも問題だがそれぞれに行き渡る量が少なめになってしまう。なので、加水によって濃さを調整し、何段階かに作り分けているのだという。
「今、皆が注ぎ合っているのが弱い方で、原酒を二倍少々まで水を加えたものです」
(それでも焼酎並みの濃さはあるんですか)
そう考えながらも二杯目を口にするマリコに、ツルギはぐい飲みほどの大きさのカップを取り出して見せた。
「そして、こういう物で飲まれているのが大抵は強い方です」
「なるほど」
言われてマリコは自分の前に集まってきている人たちを見た。多くはないが、その中にはジョッキではなくぐい飲みを手にしている者がいる。彼らが注いでくるのは濃い方らしい。混ざらないようにした方が良さそうだなと、マリコは呑み助らしい注意事項を自らの胸に刻んだ。
◇
しばらくお酌され続けることになるかと覚悟しかかったマリコだったが、結果的にそうならずに済んだ。「いきなり飲ませ続けて、マリコ様を潰す気か」とツルギが止めてくれたおかげである。ただし、「後にしろ」とも言ったせいで、ある程度食べたら、また飲む方に突入することになるらしい。
「早速飲んでますねー」
「さすがです」
用意された席には着いたものの、まだ片手にジョッキ、もう一方にぐい飲みという構えをとっていたマリコの前に、コウノたちが食べ物を並べてくれる。龍らしく肉が中心で、調理法も凝っておらず、鉄板焼きに串焼きとシンプルな物がほとんどだった。立ち昇る匂いからすると牛肉のようだ。
「あ、美味しい」
どうぞどうぞと勧められて手をつけたマリコは、その味に驚いた。味付けも塩とコショウだけというものがほとんどのようだが、下処理や焼き加減が絶妙なのだ。ツルギたちが誇らしげに頷いた。
「肉の食べ方については、我々は専門と言ってもいいでしょうから」
「それは確かにそうですね」
それでいて、龍の姿の時には生肉を骨ごとでも美味いと感じるというのだから面白いなあと、マリコは相づちを打ちながら思った。肉は野牛だそうで、この「始まりの地」の周りに群れや繁殖地がいくつかあるのだそうだ。他の肉食獣より乱獲しない龍の側の方が全体では結果的に安全だと分かっているようで、そうした草食獣は何種類かいるのだという。
「そういえば、さっき聞くのを忘れてたんですが」
「何でしょう?」
「この、ジョッキが妙に分厚いのはどうしてなんでしょう?」
しばらく料理を楽しんだ後、思い出した疑問を手にしたジョッキを持ち上げて口にしたマリコに、ツルギはああと頷いて真面目な顔で答える。
「人族が使っているような物では、今の中間形態で乾杯した時に砕け散るんです」
中間形態は姿こそ人族に近付くが、能力はまだ龍の方に近い。力はそこそこ鍛えた人族を軽く上回る。打ち合わせたジョッキが爆発四散して呆然とするコウノとクロを頭に思い描いたマリコは、笑いを噛み殺して納得ですと頷くしかなかった。
カンパーイ、バキャ! ってなったら、酒飲みには実際ショックですよ(経験談)。
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