432 龍の国滞在記 4
「ポーション? ありますよー。むしろ、無いと困りますねー」
話が飛躍したからか目を瞬かせたものの、コウノは答えた。頷く動きにつれて、お湯の中に広がった赤い髪が海草のようにゆらゆらと揺れる。マリコはそれを聞いて内心でふうと息を吐いた。龍の身体は人より丈夫で回復力も高いと聞いたが、ポーションは使っているようである。人族以上に治癒の使い手が少ない龍族であれば、無いと困るというのも当然と言えば当然の話だった。
「じゃあ、作れる人も居るんですね」
「よいしょっと。そりゃ、居ますよー。さすがに全員じゃありませんけどそれなりには」
仰向けに浮いたままマリコを逆さまに見て話すのに疲れたのか、コウノは身体をぐるりと横に回してうつ伏せになって答えた。湯船の縁に手は掛けたものの、顔だけを水面から出し、身体は伸ばして湯に沈めたままである。
ポーションは傷を治す、つまりHPを回復させる薬であり、魔法ではなく生産系のスキルである調薬を用いて作られる。スキルレベルが上がると、複数の材料を使って効果の高いポーションを作れるようになるのだが、マリコのレベルはそれほど高くなかった。一応、そこそこの物が作れるという程度である。
治癒と役割が被るポーションだが、治癒が使えれば必要無いかというともちろんそんな事はない。ゲームにおいては、MPの都合という問題もあるが、使いどころが違っていたのである。
戦闘中に前衛のHPを回復させる際、後衛なら治癒を使い、前衛が自身を治すならポーションを使うというのが一般的だった。これはそれぞれを使う場合に必要な時間の差に起因する。治癒には詠唱時間があるので、その間戦闘の手が止まるのである。ポーションにはそれが無く、ショートカットキーに登録しておいて叩けば使えるという仕様だった。
一方、この現実においては少々事情が違う。マリコは再現されたゲーム時代の所持品として、アイテムストレージ内にポーションを持っていたが、それはコルクのような木の栓の付いた小さな陶製の容器という形をしていた。飲んでも振りかけても効果を発揮するとは言え、栓を抜いて飲むなり、容器を割って被るなりしなければならない。ショートカットキー連打で大幅回復という訳にはいかないのである。
だが、今のマリコが気にしていたのはそこではなかった。コウノの答えを聞いた後、あごに手を当てて何やら考え込んだマリコは、じきにまた口を開く。
「龍の皆さんが大怪我をするのって、どんな時でしょう?」
「ええー!?」
今度はコウノも少々微妙な表情になった。マリコが何故そんな事を聞くのかが分からない。だが、ふざけている訳でも興味本位な訳でもなさそうだということは、顔を見れば分かる。呆れを引っ込めたコウノは首を傾けて少し真面目に考えてみることにした。
「……一番多いのはー、やっぱり墜落ですかねー」
「墜落!?」
黙り込んだコウノがようやく口を開いたかと思うと、吐き出された言葉は随分と衝撃的で、マリコは思わずコウノの顔をまじまじと見つめた。しかし、コウノは至って本気のようで、マリコの目を正面から見返してくる。
「だって皆、飛ぶじゃないですかー。そうすると、後は降りるか落ちるかのどっちかなんですよー。始めから上手に飛べる人って、まず居ませんし」
「あ、ああ、そうですよね」
龍は翼を持ち、空を飛ぶ。マリコもそれはもちろん知っていたが、飛び立った以上、いずれは地面に戻らなければならないのだ。シウンやコウノの危なげない慣れた動作しか見てこなかった事もあるが、彼女たちのように上手く着地できなければ、墜落するしかないのだというのは想像できた。
コウノが言うには、翼がそれなりに育って大きくなってくると、皆飛ぼうとし始めるのだそうだ。個人差はあるが、それは数歳から十歳頃だという。もちろん、始めから高くは飛ばないし、親や家族が見ていて教えもする。それでも、ちゃんと飛べるようになるまでには何度も落ちるものなのだそうだ。
(歩いていて転んだり、自転車の練習してて転んだりというのと同じですか)
もちろん、墜落したからといって必ず大怪我をする訳ではないが、高さと速度と落ち方によっては、大怪我で済まずに死に至る。大人であっても、高空から全くの無策で落ちればまず間違いなく死ぬ。墜落死する龍は老若を問わず、多くはないものの、皆無でもないのだとコウノは締め括った。
「それじゃあ、墜落して大怪我したけど元気になったっていう人も……」
「それなりには、居ると思いますよー。それもポーションが有ればこそ、ですけどー」
子供の場合、落ちた時にも大抵親が見ているか、近くに居る。大人の場合、普通は何本かポーションを持っている。即死や単身時の気を失っての失血死でなければ、何とか助かることが多いのだとコウノは付け加えた。
「なるほど、そうですか。ありがとうございます」
マリコは湯船の縁から手を放して座り込む。お湯から出ていて少し冷えた背中が浸かって心地良い。膝を抱え、口元まで潜ってぶくぶくと泡を吐きながら考える。
(治癒を使える人が極端に少ないというだけで、使えるようになりそうな人はそれなりに居るっぽいですね)
エイブラムが把握していた治癒の取得条件。それは次の三つである。
・治癒を五回以上受ける
・ポーションを一回以上使う
・瀕死の重傷を負う
人族の場合は三つ目の「瀕死の重傷を負う」が最難関のようだった。だが龍族にはそれをクリアしている人、つまり後は一つ目の「治癒を五回以上受ける」だけになっている者が結構居るのだと思われる。元々の身体の頑丈さ、あるいはHPの高さによるものだろう。
それだけではない。ツルギや今日マリコが二度童を治療した人たちは、病気治癒、状態回復、そして修復も受けている。まずは治癒を取得してスキルレベルを上げてと、時間の掛かる手順を踏む必要はあるものの、各スキルの取得条件の一部をクリアしていることが明らかなのだ。つまり、使い手となれる可能性がある。
(まずはとにかく、治癒を使える人を増やす事を考えるべきですね)
目の前で弾けては消えていく泡を見つめながら、マリコは考えた。
全編素っ裸なのに、艶っぽさが皆無だという(笑)。
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