431 龍の国滞在記 3
マリコの驚いた声に、コウノはキョトンとした顔をして目を瞬かせる。
「脱げたって、あー、これのことですかー。見たことありませんでした?」
そう言って両手を胸の前まで上げ、手の平をマリコに向けてグーパーと開け閉めして見せた。それは丸っきり人の手で、肘近くから指先までを覆っていた鱗も爪も無くなっている。
一方、言われたマリコは記憶を探る。シウンとは野営地とナザールの宿で一緒に風呂に入ったが、どちらの時も人型だった。特に宿の方は他の誰かが入ってくる可能性もあったので、中間形態になれるはずもない。飛びたいと出掛けた時には中間形態になっていたが、そこからさらに脱ぎ着をしているのは――例のセーターを除いて――見た事が無かった。マリコは首を横に振る。
「そうですかー。これは脱いでるんじゃなくて、こうなるんですー」
コウノは手を前にかざしたままそう言うと、少し力むようにフッと鼻から短く息を吐いた。すると、人の手だったコウノの手から鱗が生え始めた。ほんの数秒で前腕部は両手共、元通り鱗に覆われる。
どうやら、脱いだり着たりではなく、引っ込めたり生やしたりということらしい。しかも、全身一度にではなく、場所を選べるようだ。鱗が生えたのは腕だけで、身体や脚は人型のままだった。コウノがもう一度フンと力んで鱗を引っ込めていくの見ながら、マリコは考える。
(これはどこか変神に似ていますね。いや、元の機能から言えば容姿変更でしょうか)
マリコやミランダが人助けクエストの際に使う変神は、特定の容姿への変更と着替えを一度に行えるように、女神が整えた物である。マクロを組んだような物なのだろうとマリコは思っている。ゲームでのキャラクターの容姿変更は本来、メニューを開いて「容姿」タグを選んで行わねばならなかった。
しかし、この世界ではそもそも、メニューを開くという事自体が普通ではない。そのため、「ゲームではメニュー操作が必要だった事」をメニュー抜きでできるようになっている部分がそこここにあった。その最たる物は、数々のスキルの取得であろう。
(ならこれも、そういう変更点なんでしょうかね)
詳しい事は女神本人でないと分からないだろうが、目の前で起きている現象から考えるとそうとしか思えない。考えてみれば、龍型から人型へ変わる形態変更の方がよほど大掛りなのだ。「脱げた」ということには驚いたものの、些細な差でしかないのではないかとマリコには思えてきた。
「どんどん毒されてきている気がしますね……」
「え、何にですかー」
「いえ、何でもありません。ところで、その鱗なんですが……、あー、これも後にしましょう。お湯に浸かってからでも十分です」
誤魔化した後、次の疑問を口にしようとしたマリコだったが、ふと我に返った。脱ぎかけの自分自身と、既に脱いでしまっているコウノ。風邪を引く前に風呂に入ってしまうのが正解だろう。
◇
「ふひゅー」
「はあぁ」
二つ並んだ湯船から、それぞれ気持ち良さそうな声が上がった。互いに身体を洗い合った、というより、マリコによる洗い方指導講座が開かれた後、湯船に浸かったのである。マリコにとっては、このところ毎日の様に入っている宿の湯船より小さく手足も伸ばせないのだが、それはそれで懐かしさも感じて十分に気持ちがいい。
百数える程浸かってそこそこ身体が温まったマリコは、湯船の中で膝立ちになってコウノの方を覗き込んだ。マリコ側に頭があり、左右に広げた腕の向こうにすらりとした身体と脚が伸びている。翼も伸ばして入れると言っていた通り、コウノは広めの湯船に浮かぶように仰向けに浸かっているのである。バランスを取っているのか、時折水面下で翼やしっぽが魚のひれの様に揺れるのが見えた。
(これがシウンさんだったら、胸だけ出て寒いとか言いそうですね)
マリコと変わらないサイズのシウンに比べるとコウノはささやかで、概ねちゃんと浸かっていた。口に出せば怒られそうな事を思い浮かべつつ、実際の口からは先ほどの疑問を言葉にして出す。
「鱗が有るのと無いのと、お風呂に入るのにどう違うんですか?」
「ええとー、鱗の厚みの分、中まで温まりにくいのとー、ちょっとだけ重みがあるのでー、こうやって浮くのが難しくなるんですよー」
コウノは十文字の形でお湯に浮いたまま、目だけをマリコに向けて答えた。なるほどと思うものの、マリコの頭には別の疑問が浮かぶ。龍の尾と翼には鱗が残ったままなのだ。
「じゃあ、そのしっぽと翼の鱗は……」
「なんでか引っ込まないんですよー」
問いを言い切る前にコウノが答え、マリコははてと首を傾げる。ただ、思い返してみると、自分が猫耳を生やした時にもメニューに「毛の有無」という項目は無かった気がする。それと同じなのではないか。つまり、猫や龍の尾には毛や鱗があるべき、ということなのだろう。これも何か、女神の造形に対するこだわりのように思えた。
(確かに、龍の翼としっぽに鱗が無かったら、それが何のなのか分からないでしょうしねえ)
「ところでコウノさん」
「はい?」
一応納得したマリコは次の、落ち着いたら誰かに聞こうと思っていた疑問を紡ぎ出す。
「龍の国にポーションはあるんですか?」
何故か「ひょっ○りひょうたん島」が頭に浮かびます。
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