430 龍の国滞在記 2
「なら、ここはお風呂場?」
最上階にお風呂とは洒落ているなと一旦は思ったものの、マリコにはそれが何となく不自然に感じられた。現代日本のような技術があるのなら別だが、そうでない場合は水を使う設備はなるべく下の階に作るものである。そうしておかないと水漏れなどがあった時にその下にある階に被害が及ぶ。日本でも少し古い木造建築なら二階以上に風呂場があることはほとんどない。
それに、マリコがコウノたちに湯船を譲ったのは十日程前の事である。それから今日までのわずかの間にこの穴を掘ったのだろうかと、マリコは改めて部屋の中を見回した。イシヅチたち龍が住んでいた部屋ほど広くないのは始めに見た通りだが、天井までもそれほど高さは無い。とは言っても、龍の姿でも頭を打たない程度――四、五メートルくらい――はある。中央が一番高く、壁に近付くにつれて低くなる、緩いドーム型の天井だった。
「んん?」
しかし、その天井と壁を見てマリコは首を捻った。天井も壁も濡れており、外からの光を反射して光っている。風呂場なら湿気で濡れていてもおかしくはないのだが、それが常に垂れて流れ落ちていくのが見て分かるほどとなると結露にしては多過ぎる。どうやら、天井から水が染み出しているらしい。よく見ると壁には所々緑色になっている部分があり、どうやら苔が生えているようだ。少なくとも、ここ数日で掘られた部屋ではないことだけは間違いない。
壁を伝う水の行方を追うと、それは床の端に沿って掘られた溝に入ってさらに流れていき、最後は部屋の隅に口を開けた排水口らしき穴の中へと消えていった。そこまで見届けたマリコはコウノを振り返る。
「ここ、元々は何の部屋だったんですか」
「よくぞ聞いてくれましたー」
胸を張ったままだったコウノは、更に腰に手を当ててふんぞり返ると話し始めた。それによると、この部屋は上から漏れてくる水を下の階に通さないために作られたものなのだそうだ。
岩肌に穴を開けて作られているこの集合住宅は、当然ながら上に山を頂いている。そこに降った雨は、そのまま流れ落ちる分も多いがそれなりに地面へと浸み込む。それが岩の割れ目などを通って各自の部屋に流れ出すことがあるのだそうだ。もちろん、そうして見つかった割れ目や隙間は、魔法を始めとした各種の方法で塞がれるのだが、別の場所に新たなヒビができたり水に侵食されたりと結局はイタチごっこになる。
そこで考え出されたのが、今居る最上階なのだそうだ。つまり、水が下の階まで届く前に集めて捨ててしまおうということである。岩壁の上の方、岩が土になる境目のすぐ下にこの部屋は作られており、下の階を守る傘のような役割を果たしているという。もちろん、この一部屋だけではない。同じ高さに入口が開いているものは全て、住むためではなく水抜きのための部屋なのだそうだ。
また、この手の部屋にある排水口から下に伸びている穴にはもう一つ役割があるという。龍たちが住む各部屋から出た排水も、管状に掘りぬかれた穴を通ってここに流れ込むのだそうだ。最終的には全てが合流して、近くの川の下流に放出されるという。下水道も兼ねているということらしい。
「ここならー、お湯を流しても迷惑になりませんからー」
一番奥行きが浅く、中の部屋が一つだけのここを試しに使う許可をもらったのだと、コウノは再び胸を張った。今はこれを使っての「布教中」であり、信者は着々と増えているそうだ。
「そんな事よりー、折角来たんですから入りましょー!」
話は一通り済んだと、部屋の中をあちこち見て回っていたマリコは、湯気の上がる湯船の前へと引っ張って行かれる。トルステンが作った現物を見て、作り方や構造も教えられていたので、マリコが譲った湯船の方は先日の野営地とほぼ同じ形になっていた。ただ、煙突部分だけは先端が岩の壁に刺さるように繋がっている。聞けばこれも、外へと穴が通じているのだと言う。
「そりゃそうですよねえ」
多少広いといっても、ここは室内である。煙突の先をここに出してしまうと、じきに煙が充満することになるだろう。マリコは頷いた。
こちらはまあそれでいいとして、よく分からないのは隣りに並んだもう一つの浴槽らしき物である。縦横共にマリコの湯船の倍以上、つまり二メートルほどあるそれは、全てが土系統の魔法で作ったと思われる石製で、下に風呂釜が無い。その上、何故か縁に一辺だけ幅が妙に広く、隣りと同じく湯気を上げるお湯の中には一抱えくらいありそうな大きな石が三つほど沈んでいた。
「これは一体……」
何をしたいんですかと聞くのも気が引けてマリコが言葉を濁すと、コウノは翼と両腕を広げて見せた。
「頂いた湯船ですとー、この姿で入るのが難しいんですよー」
翼ごとお湯に浸かりたいのだと言うコウノに、湯船のサイズに関する疑問は解けた。マリコの湯船は八十センチ角ほどで、人族がしゃがんで入る大きさである。両腕を広げるのさえ難しいのだから、翼を広げるのは明らかに不可能だった。
「それでですねー、大きいのを作ってもらおうと思ったんですけどー、無理だって言われちゃいましたー」
龍族にも農具などを作るために鍛冶や木工ができる者は居るそうで、マリコの湯船なら再現できそうだとは言われたらしい。マリコの湯船は底が一面鉄板で、その上に木製の格子を取り付けてある、五右衛門風呂の親戚のような作りである。それを単純に二メートル角に拡大するなら、同じく二メートル角の鉄板が必要になる。それを作るのが難しいらしい。
「あー、それはまあ、ねえ」
五右衛門風呂式で大きな湯船を作るのは強度の問題で難しいのだろうとマリコは思った。お湯自体の重さと入る人の重さに耐えられるようにしようとするなら、かなり分厚くしなければならない。大きな湯船にはナザールの宿の風呂のように、横に焚口を作るタイプの方が向いているのだろう。そういう話をすると、見事にコウノに喰いつかれ、後で詳しい構造を思い出せる限り教えると約束させられた。
「湯船の事は分かりました。それでこの沈んでいる石は?」
「このままでは沸かせないのでー、お爺ちゃんに倣いましたー」
「ツルギさんに?」
「この縁に石を置いてー、ブレスで焼いてから水に落とすんですー」
「ああ、なるほど」
先日ツルギが話していた焼き石でお湯を沸かす方法である。そして、火龍であるコウノならブレスも炎を吐くのだろう。確かにそれなら下から焚かなくても済みそうだ。
(それにしても、龍のブレスで湯沸しですか……。何かすごい贅沢なような、無駄遣いのような)
自分がこれまでにやらかしてきた事を棚に上げて、マリコはそう思った。
ともあれ、外で待っている人たちも居るので、あまりのんびりもしていられない。さっさと入ろうということで、頭のホワイトブリムに手を掛けたところでマリコは気が付いた。この部屋には湯船しかない。その湯船の前には、洗い場のつもりらしい、数センチほど高くなった床が二メートル幅ほどあるが、着替えを置ける台のような物が何も無いのだった。
(ああ、そうですねえ。龍族の人たちには要らないんですよねえ)
この風呂場が今の高さにある以上、彼らは龍の姿か中間形態で飛んで来る。そして、人の姿を取っている時以外、基本的に服を着ない。故に着替えを置く所は必要ないのだった。
(まあ、脱いだ順にアイテムボックスに仕舞っていけばいいだけですか。コウノさんもそのまま入るんでしょうし)
マリコは隣でごそごそと風呂用品を出しているらしいコウノにちらりと目を向け、そこで目を剥いて固まった。
角はある。翼もある。鱗の生えたしっぽもある。だが、その身体と手足を覆っていた、ビキニアーマー状の鱗が消えていた。
「脱げたんですか、それ!?」
引っ張っておいて続きます(汗)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。