422 龍の国へ 4
朝食時には少々早く、いつもなら食堂にはまだほとんど人がいないはずである。しかし今は、神の声を聞いた人々が続々と集まってきていた。基本的には、皆何事が起きたのか確かめに来ている。というのも、全員が全員同じように声を聞いた訳ではないからだ。
夜明けから間もないこの時間、起きている人もいれば、寝ている人もいる。既に起き出していた人はまだいいのだが、この声で起こされた人には正に寝耳に水と言っていい出来事だった。中には頭に声が響いても目を覚まさなかった者もいて、こちらは大抵、家族に「今の聞いた?」と起こされて首を傾げることになっていた。
それでも住人の半数以上が起きて声を聞いたナザールの里はまだマシな方だと思われた。今が夜中に当たる地域ではもっとややこしい事態に陥っていることだろう。
「全世界に神様の声って、考えてみれば大事ですよねえ。ああ、切れた分はそっちのザルに入れてください」
「承知した。シウン殿、玉ねぎは先に根元の部分を切り落とすのだ」
「ふむ。こうか?」
取り囲まれて話をしているタリアやエイブラムたちを横目に、マリコは厨房に立っていた。傍らにはミランダとシウンの姿もある。神の声が有ろうと無かろうと朝食の準備をしない訳にもいかない、という表向きの理由もあるが、騒ぎに巻き込まれて余計な事を喋ってしまわないように避難している面もあった。
(今繋がったばかりの転移門を使って龍がここにやってくるんです、とも言えませんしねえ)
カウンターの向こうに目を向けてそんな事を思っていたマリコは、ふとある事に気が付いて厨房内に視線を戻した。サニアを見つけると、手にしていた包丁を置いてそちらへ近付き、声を掛ける。
「これ、今からでも仕込みの量を少し増やした方がよくありませんか?」
「え? ああ、そうね。その方が良さそうね」
マリコに言われて食堂を見渡し直したサニアは、納得したように頷いた。集まってきているのは男性ばかりではない。それなりの数の女性陣も混じっている。今の時間帯に一家の主婦がここに来ているということは、その家の朝の支度が止まっているということでもある。これは先日の麦刈りや田植え時期の光景と良く似ていた。
ましてや今回は、神の声が響き、新たな部族が加わるという慶事でもある。全員が今日の仕事を放り出して宴会モード、というところまでは行かないにしても、このままここで朝食を食べて、あるいは買って帰ろうという者は多そうに思えた。サニアの決定を受けて、厨房の一同は増産体制に入る。
◇
しばらく、と言っても実際にはほんの数分の後、宿の外が再びざわざわと賑やかになった。その先陣を切るように、青い髪の男が入口から駆け込んでくる。
「あら、あなた。どうしたの?」
「どうしたのは無いだろう。門を見てきたんだよ!」
カウンターの中から声を掛けたサニアに、その男――もちろんカミルである――は憤慨した様子で答えた。だが、口にした事が事である。食堂に集まっていた人たちの注目を浴びた。続いてその人垣が割れ、中からタリアが進み出てくる。
「それで、どうだったんだい?」
「新しい門の名前は『ドラゴン』。今までと同じく、行った事が無い者は行けないようです」
もちろん、自分が確認しただけではない。転移門に集まった他の者にも聞いた結果である。流石に少し改まった口調でカミルがそう答えると、皆の口からは「おお」という感嘆とも落胆とも取れる声が漏れた。
「本当に今まで通りのようだね。他には……」
タリアがそう応じかけたところで、追いついてきたらしい一団がドヤドヤと入ってきた。その中にはバルト組の一行も混じっており、そこからバルトが進み出てくる。
「隣街の門でも同じようでしたよ」
「おや、バルト。おかえり。ふん、その辺りももう少し教えてくれるかい?」
「それはもちろん。トル」
「おう。じゃあカーさん、そっちは任せた」
タリアに呼ばれたバルトはトルステンを伴って食堂にいた皆の方へ向かう。カミルや後から来た一団もそちらに合流するようだ。カリーネたちバルト組の女性陣ら数人だけが、そこから分かれてカウンター前へとやってきた。
「おかえりなさい、皆さん」
「ただいま戻りました。それでマリコさんたちはどこに……、ああ、いたいた。マリコさん!」
サニアとの挨拶もそこそこに、カウンターの奥の厨房にマリコの姿を見つけたカリーネは声を上げて呼んだ。気が付いたマリコが包丁を置いて出てくる。
「ああ、おかえりなさいって、ええ!? ちょ、シウンさん! ミランダさん! こっちへ!」
おかえりを言いかけたマリコは、そこにいるのがカリーネたち三人だけではないことに気が付いた。一人だけ混じっていたその男の顔を見るなり、後ろを振り返ってミランダたちを呼ぶ。
「どうなされたマリコ殿。……む」
「あ……」
玉ねぎを持ったまま出てきた二人も男の存在に気が付いた。ごく普通のシャツにズボンを身に着けたその男は、タリアよりもっと上の世代に見えるものの、特におかしなところは無い。しかし。
「爺様!」
剥きかけの玉ねぎが驚いたシウンの手から零れ落ち、マリコは慌てて手を伸ばしてそれが床に届く前につかみ取った。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




