420 龍の国へ 2
マリコは思わず周りの人たちの顔を見回した。ミランダもタリアもエイブラムも、近くに居た人たちは皆同じように驚いて辺りを見回している。それはそうだろう。その声はそう大きくなかったものの、耳元で囁かれているようにやけにはっきりと聞き取れたからだ。
「今のは誰が……」
『つい先ほど、五番目の部族が住まう土地の転移門が開かれた』
タリアの上げかけた声は、続いて響いた声に遮られた。タリアは息を飲み、皆は改めて顔を見合わせる。今の言葉が何を指しているのかは、この場に居る者には分かる。しかし、その内の誰かが発した声ではなかった。ならば、これは誰の声なのか。その疑問を口にする前に次の声が響く。
『これで全ての部族は、一応の繋がりを持ったことになる。もちろん、全ての者がどこへでも行ける訳ではないのは知っての通り。未だ開かれぬ転移門も少なくない。だが』
そこで声は一旦途切れた。どことなく息を吸うような気配が伝わってくる。逆に聞いている方は皆息を飲んで次の言葉を待った。マリコも同じ様に息を飲んだが、その胸中は周囲とは少々違っていた。
(何をするつもりなんですか、女神様!)
のじゃのじゃ言う、どこか年寄り染みたいつもの言葉遣いでこそないものの、聞こえてくる声は猫耳女神の可愛らしい女の子の声だったのである。
『目出度き事には変わりない。祝い代わりにいいものをやろう。親しき者と念じよ』
マリコは目を見張る。メッセージ機能を含めたフレンド登録については、つい数日前に女神から意見を求められたばかりである。どうやら女神はこの力を解放することにしたらしい。自分の献じた意見がどう影響したのかは分からない。そこにややプレッシャーを感じながら、マリコも親しき者と念じた。
視界のやや左下にウィンドウが開く。最早見慣れたフレンドの管理ウィンドウである。一覧には風と月の女神を筆頭に三人の名前があった。ふと周りに目を向けると、皆それぞれに操作をしているようである。ウィンドウ自体はアイテムボックスや転移門の操作でも知られているからだろう、必要以上に驚いている者は見当たらなかった。
じきにまた声が響き、フレンドに対してできる事の説明が始まった。マリコが聞いた限り、その辺は元の機能と変わらない。といっても大枠を説明しただけで、詳しくはヘルプを見ろとか言っている。キーボード操作についてのヘルプが増えているのが、ここまででマリコが気付いた最も大きな変化だった。
『……次に、親しき者の登録方法を伝える。登録したい相手に意識を向けられた上で、登録を申請せよ。申請された者は……』
(あ、ここは変わってます)
前にあったIDナンバーによる申請が、目の前の相手にということになっていた。思い返してみれば、シウンからの申請は目の前で直接だったので、こちらの方法こそがこの世界での普通なのかも知れない。
相手に意識を向けられた上でとある以上、一方的に申請を送りまくることはできないようだ。ゲームの時には適当にIDを入力して誰彼構わず申請を送るイタズラもあったので、その対策かなとマリコは思った。登録数の上限といった新たな制限なども増えており、女神も全くの野放しにするつもりはないようである。
『……それでは、皆でなるべく仲良く楽しく暮らせ』
そのセリフを最後に声は止んだが、次の言葉を待っていたのだろう、しばらくは誰も口を開かなかった。やがて、誰からともなく溜め息が漏れ、それはすぐに大きくなってじきに大歓声へと変わっていった。
「神様だ、神様の声だ!」
「新たな力を賜ったのね!」
「なんと雄々しい!」
「ああ! 女神様! 素晴らしい力をありがとうございます!」
口々に声が上がった。まだ食堂の準備中で人数が多くなかったこともあって、それぞれが何を言っているのかは概ね聞き取れる。だが、それを聞いたマリコは首を傾げた。フレンド登録に関する部分への反応は同じだが、どこかおかしい。そんなマリコの袖がつと引かれた。振り向くと、ミランダが怪訝な顔で立っている。
「マリコ殿。今のはかの女が、……様の声に相違ないな?」
「ええ、私にもそう聞こえました、けど……」
小声でこっそりとそう言い交わして周りを見回した。女神様と言っている者も居るが、明らかに女神に対するものではない形容を述べている者も居る。いくらなんでも、猫耳女神の声に「雄々しい」はないだろう。マリコがそう思っていると、一際大きな声が上がった。
「皆さん!」
よく通るこの声はエイブラムである。食堂内が一瞬静まり返る。その隙を逃さず、エイブラムは続けた。
「今の神託、私には麗しき女神様のお声に聞こえました! 皆さんはいかがでしたか!?」
一息に言い切られた質問に戸惑いの雰囲気が広がる中、エイブラムのすぐ隣で手が挙がった。ブランディーヌである。
「何言ってるんですか、エイブラムさん! すっごいイケメンボイスだったじゃないですか!」
「女神様だったよな!?」
「ええ!? 男性の声だったわよ?」
ブランディーヌの声を皮切りに、次々と声が上がった。しかし、それぞれが言っている事はバラバラである。マリコとミランダは顔を見合わせた。元凶となったエイブラムはというと、目を閉じて胸の前で指を組んで手を合わせ、何やら感極まった顔をしている。やがて、その目がカッと見開かれた。
「素晴らしい!」
再び食堂がシンとなり、またその隙にエイブラムは問う。
「それは確かに、神様のお声でしたか?」
皆にまたしても戸惑いが広がるが、感じた事は同じだったのだろう。それぞれに頷いた。その様子を見回し、エイブラムは再び目を閉じて天を仰ぐ。
「神話の通りです……。そして恐らく、仮説は正しい……」
「仮説って、ああ!」
皆が頭に疑問符を浮かべる中、またしてもブランディーヌが、一人納得したような声を上げる。疑問符が彼女の方を向いた。
「あ、ええとですね……」
全員の視線を向けられたブランディーヌはちらりと隣に立つ男に目を向けた。しかし、エイブラムは祈りを捧げるかのようなポーズのまま動かない。ブランディーヌは小さく息を吐いて皆に向き直った。
「うちのエイブラムが申し上げた、神話の通りというのは、私たちが神々からアイテムボックスと転移門を贈られた時のお話です」
そこで「ああ」と納得の声を上げた者もいたが、ブランディーヌは説明を続けた。かつて人々が神様からアイテムボックスと転移門を贈られた時、多くの人が神様の声を聞いた。その声は聞く人によって男性の声にも女性の声にも聞こえたというものである。これは神話の本に載っていた話で、マリコも思い出せた。今さっきの出来事はこれと同じ。だから神話の通りなのだという。
ついでに仮説というのは、神格研究会の中で以前から提唱されていたもので、「各々が持っている神のイメージに沿った声を聞いたのではないか」というものなのだそうだ。確かめる方法が無かったので仮説止まりだったものが、今回の件で実証されそうだということらしい。
そこまで聞くとマリコとミランダにも納得できた。何せ自分たちは猫耳女神に会って話をしている。イメージも何も本人の声を知っているので、当然その声で聞こえたということになる。二人が「なるほどね」と頷き合ったところで、宿の外が騒がしくなった。
何かあれば宿に事情を聞きに来るのはここでの常識である。神の声を聞いた里の皆が押しかけてきたのだ。
神の声の話は「022 世界の始まり 19 二冊目『神々からの贈り物』 1」に出てきます。
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