418 ドラゴンの生活入門 10
しばらくの間、龍の事はそっちのけでエイブラムとマリコによる修復談義が続いた。しかし、エイブラムが興味を示すのは修復についてのマリコの見解ばかりで、ツルギの状態がどう変わったのかシウンに確認を取ることはあっても、その知識の出所についての質問はいつまで経っても出てこない。流石に訝しく思ったマリコは自分から切り出すことにした。
「ええと、話しておいて何ですけど、こんな話を信じるんですか」
「マリコ様が嘘を吐かれるはずがありません」
「え」
あまりにきっぱりと言い切られて、マリコの方が驚かされる。何かヤバい人を見る目になったマリコの様子に、エイブラムは慌てて付け足した。
「ああ、いえいえ。マリコ様が一切嘘を吐かないとか、そういう意味ではありません。魔法、特に回復系魔法に関して、いえ、命に係わる事に関してと言った方がいいでしょうか。これまでのなさり様からも、命の女神様のご加護を受けておられる事からも、マリコ様が嘘を言う理由が無い、と申し上げております。ごほっ、失礼……」
咳き込んだエイブラムはそこで一旦言葉を止めるとローテーブルの上に視線を落とし、それから何かを思い出したように身体を捻って後ろを向いた。そこにはタリアの執務机があり、端の方にカップが二つ載っている。マリコたちが入ってきた時にそこへ追いやられたものらしい。その一つを取ったエイブラムは、冷めているのに構わず口をつけた。
マリコが視線を巡らせると、壁際にお茶のセットが載ったワゴンがある。急いでやってきてそのまま話を始めたので一息つくことさえ忘れていたのだ。
「とりあえず、お茶でも……」
腰を浮かせかけたマリコは、肩に伸びてきた手によってソファへと戻された。その手の主が入れ替わりに立ち上がりながら言う。
「話が途中であろう。そちらは私がやる故、マリコ殿は続けられよ」
銀色のフワフワなしっぽを優雅に揺らして、ミランダがワゴンに取り付いた。料理はともかく、お茶を淹れるのは未だミランダに一日の長がある。しばらくぶりだなと思いながら、マリコは腰を落ち着け直した。執務室以外でミランダがお茶を淹れることはあまり無く、マリコとミランダが同時にここへ来ることもこのところなかったのである。
「オホン、失礼致しました。それで、先ほどの続きですが、神々の加護を得られた方々の中には、それまで知られていなかった知識を授けられた方も結構いらっしゃいます。マリコ様が我々の知らない事を知っておいででも、それほど不思議ではないのですよ。お分かり頂けましたか?」
「は、はい」
転移門然り、アイテムボックス然り。身の回りにも神々がくれたものは多いのだ。知識も例外ではないらしい。考えてみればマリコ自身、その命も身体も女神にもらったものとも言える。擦り付けるまでもなく、責任――というより原因――は神々にあると思われているようだった。
「『七柱の神々は世界をつくり、我らに命を与え、今もひっそり我らと共にあり、我らの移り変わりを興味深く眺めているという』……これもまた我々が移り変わるために必要なものなのでしょう。ありがたいことです」
エイブラムは神話の一節を暗唱して話を締め括った。研究者でありながら普段は実務者として様々な案件を取り仕切っているエイブラムだが、こういう時にはどことなく宗教家然として見える。寝落ち女神の姿を思い浮かべたマリコは、そんなにありがたいかなあと密かに思った。
その後、パンパンと手を打ったタリアによって、話し合いは無事軌道修正された。ミランダが配ったお茶が気分を切り替えるのに役立った事は言うまでもない。
◇
「ええと、『経路や所要時間については、我らにもやってみなければ分からない。分かればまた連絡する』とのことだ」
シウンがツルギから送られたメッセージを読み上げる。話し合いは結局マリコの提案通り、マリコ自身が行くということで決着がついた。向こうの提案を受けるには事実上他に選択肢が無いのだから仕方がない。エイブラムは修復希望者の調整と、同じく修復を使った二度童治療の検証が大変だと頭を抱えていたが、それでもどこか楽しそうな雰囲気をにじませていた。
シウン経由でマリコが行く事を知らされたツルギから、まずは喜びのメッセージが届いた。その後、数回のやりとりを経て、今に至る。陽は既に傾いていた。後はもう、今日の事にはならないだろう。
「それにしても、そのメッセージを送る能力はすごいものですね」
恐らく初めて目の前でそれが使われるのを見たエイブラムが、感心すると同時に興味津々で言う。能力についても当然だが、それが神々から与えられたというところが余計に興味を引くのだろう。もっとも、傍から見る限り、アイテムボックスをいじっているのとほとんど変わらないのだが。
「これが無ければ、今日の我らは無かったであろうことは間違いないな。だが、履き違えて頂いては困る。これはメッセージを送る能力に在らず、親しき者を守らんが為の力の一端に過ぎぬ。誰でも彼でもというわけにもいかぬし」
シウンはそう答えると、チラリとほんの一瞬の間だけ視線をマリコに向けた。マリコはそ知らぬ顔を取り繕う。人族にこれを使える者は滅多におらず、内緒にしていると口止めはしてあったが、内心冷や汗ものである。今の状態でバレたら、また何を言われるか分かったものではない。
(さて、女神様はどうするつもりなんでしょうね、これ)
先日の猫耳女神との話を思い出し、マリコはこっそり首を捻った。
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