409 ドラゴンの生活入門 1
三日が過ぎた。日々夏に近付いていく空はどこまでも青く、それを貫かんとする槍の如く、細く長い稲の葉はすくすくと伸びている。ナザールの里全体としては特に変わった事は何も無い。だが、そのいつもの出来事の真ん中に立つことになったマリコにとっては、結構忙しない三日間だった。
マリコが女神の部屋を訪れた日の翌朝、マリコに近付こうとしては誰か彼かに邪魔され続けてきたバルトが、組一行と共に焦り気味な顔のまま転移門の向こうへと消えていった。例によって武器防具の整備点検のためである。流石に身の安全に係わるので行かない訳にもいかなかったのだ。
新人シウンへの興味の眼差しもあるものの、里の皆の話題の中心は未だ姿を見た者のほとんどいない龍についてである。彼らとの出会いの中心人物である――と目されていた――探検者に話を聞こうとする者は多かったのだが、そのバルトたちはいなくなってしまった。必然、質問の矛先は残る同行者へと向かう。マリコとミランダのことである。
幸いと言っていいものかどうか、宿で働く者の数は増えており、マリコがいないと回らないという場面はもう滅多に無い。それ故にマリコは頻繁に捕まった。同じ人が何度も来るようなら「いい加減にしろ」と言ってやってもよかったのだが、そうではない。このところ、新顔を見ない日がほとんど無いくらい、ナザールの里を訪れる人は増えている。いつの間にか、来る、龍の噂を耳にする、何それと詳細を聞きに来る、というルートができていた。
今後のこともあるのだ。実際に会ってきた本人が大丈夫だと言うことには意味があるだろう。そして今も、食堂から出ようとしたところで捕まっている。
(まあ、話をするのは別に構わないんですけど……)
空きテーブルに着いて、中央四国の一つであるドワーフの国から来たという初老の夫婦に、タリアたちとの打ち合わせ通りの詳細を伏せた話をしながら、マリコは視線をチラリと隣に向ける。そこにはメイド服姿のシウンが座っていた。
――マリコ殿の話に出てくる我々は、実物以上に格好良く感じられるのだ
そう言っていたシウンはマリコの話を聞くのが気に入ったらしい。今は始めから一緒に居たが、マリコが話し始めると近くに寄ってくるようになったのである。それだけならまあいいのだが、特に銀色の龍の話になると、すぐ傍で誇らしげな顔をしたり、何か言いたそうにウズウズしていたりで、マリコとしては気が気ではなかった。
やがて話を終え、お礼を言う夫婦と別れた二人は宿を出た。今日は命の日、つまりマリコの感覚で言うと日曜日であり、ミランダも含めた三人は一応お休みなのである。用があるというミランダは別行動を取っているが、マリコには仕事とは少し違った、しなければならない事があった。
ナザールの里へ来てまだ数日のシウンにとっては、今日が初めてここで迎えた命の日である。一応シウンも曜日の概念は知っていた。しかし、それはマリコたちと出会った時の服の知識と似たような物で、知っているだけという状態だったのである。
そもそも一般的な龍の生活には、曜日というものがあまり必要ではないのだ。狩猟が中心で服や家も必須ではないとなると、生活パターンはむしろ野生動物のそれに近い。そうなると平日も休日も意味が無いのである。つまり、マリコがしなければならないのは、シウンに「休み」というものを教えることだった。
「ふむ、『仕事』をしていると七日に一度『休み』がある、ということか」
「大体そうですね。もちろん、仕事の内容や時期によっては、きっちり七日に一度にはならないこともありますけど」
二人は小声で話しながら歩いた。普通の人が聞いたら「何を言ってるんだ」と思われかねないからである。もっとも、朝食時を過ぎた今の時間帯だと、それぞれ自分の仕事を始めている人がほとんどで、二人の近くを歩いている人はほとんどいない。
「そもそも、金銭を得るために『仕事』をする、というのが何となく分かりかけてきたところだ。何かにつけて手を掛けることになるが、よろしくお願いしたい」
「いえいえ、こちらこそ」
マリコとミランダとで、大体シウンの面倒を見ているが、日が経つにつれて新たな発見がある。シウンがそうだったように、ほとんどの龍はお金で何かを買うということをしたことがない。これは普段要る物――ほとんどは食べ物である――は全て自分たちで直接手に入れているからだ。生活様式が複雑になっていくほど必要な物の種類は増え、自分で直接では間に合わなくなっていく。
だからこそ「交換」が始まり、そのための便利な道具としてお金が発明される。マリコはかつて歴史で習ったような事を、今になって現実として実感した。人族と付き合うことで、龍たちは歴史を一気に飛び越えることになるのかも知れない。まだしもツルギのような存在が居たことで、知識としては伝わっている部分があるのが救いだとマリコには思えた。
(これはタリアさんたちにも報せないといけない話ですねえ)
マリコの発見は、そのまま近い将来に起こるであろう混乱の先触れである。とは言え、分かっていれば対処や説明のしようもあるだろう。
ところで、今二人は東に向かって歩いている。これはシウンに休日を過ごさせるためである。もっとも、マリコに「休みに何をしたいか」と聞かれたシウンが顔中を疑問符にしたので「やりたいことはないか」と聞き直した末に得られた結果による。シウンはこう答えた。
――しばらく飛んでいないから、空を飛びたい
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