402 最前線の先から来たりし者 7
三人がシウンの部屋を出る頃には、もうかなり陽が傾いていた。窓や押入れの使い方や扉に鍵を掛ける方法と意味など、普通なら教える必要の無さそうな事もシウンは知らず、それらをいちいち教えていたからである。龍は基本的に家に住んだり道具を使ったりしないので、これは仕方がない。マリコたちと一緒にテントで泊まったこの数日間の経験はあるものの、それだけでは追いつかないところである。何せテントには窓も扉も付いていないのだ。
まず向かった先はタリアの執務室である。幸いタリアは部屋にいたので、早速シウンの仕事と魔晶の話を持ち出す。
「そうさねえ。仕事についちゃあ、ミランダに付いててもらう方がいいだろうね。もちろん、ミランダ以上に料理ができるってんならマリコと厨房に入っても構わないけど、どうなんだい?」
「い、いえ、それは流石に無理かと」
タリアに水を向けられたシウンが慌てて首を振る。野営の時に包丁を試させてもらったことはあるが、まだその程度である。現状では厨房の戦力として数えるのは不可能だった。
「なら、今日のところはそれで決まりだね。で、後は魔晶が千個かい。そうだねえ……」
あごに手を当てて少し考える様子を見せたタリアは、しかしじきにその手を離して立ち上がる。ちょっと待っておいでと言い置いて部屋から出て行き、戻った時には行李を一つ抱えていた。先ほどシウンの部屋に置いてきたような物である。タリアはそれをローテーブルの上に置いてフタを開けた。
「全部売り払うってんでいいんだろう? それならここへ、持ってる魔晶を出してごらん」
「分かった」
頷いたシウンがアイテムボックスを操作する。透き通って輝く大量の魔晶が、ザラザラと音を立てながら行李の中へ流れ込んだ。やがて、子供なら入れそうな大きさの行李を八割方満たして流れは止まる。
「こりゃあ、本当に千個じゃきかないねえ。しかも半分以上が一型かい。ふむ、これは私が預かっても構わないかい?」
「え、ええと」
タリアにそう言われたものの、判断に困ったらしいシウンはマリコに目を向ける。マリコは代わりに頷いた。
「構いませんけど、どうするんですか?」
「ああ。この量じゃ、カウンターで受け付けたらどうやったって目立つしね。探検者でもない女の子の持ち込みだとなりゃ余計さね。だからね、エイブラムのとこに任せるんだよ」
「エイブラムさん? 神格研究会ってことですか?」
「そうだよ。そもそも、宿が買い取った魔晶はどこに行ってると思うんだい?」
「え? ああ!」
魔晶の主な使い道は魔道具の電源である。そして、魔道具の製作販売の最大手は神格研究会なのだ。各地の宿が探検者から買い取った魔晶は神格研究会へと集められ、そこで使われたり、さらに他の地域に送られたりする。時々整理や検算を手伝っている宿の帳簿にも、魔晶の取引相手として神格研究会の名前があったことをマリコは思い出した。研究会の流通網が無ければ、魔晶の供給が少ない――つまり狩られる動物の少ない――都市部では魔道具が使えなくなるだろう。
「シウンの事はエイブラムも知ってるからね。引き受けてくれるだろうさ」
タリアはそう言うと、膨らんだ革の袋を大小二つ取り出した。シウンの前に置かれる時、チャリッと音を立てる。
「小さい方はマリコとミランダも知ってる支度金さね」
そう前置きして、タリアはシウンに支度金の説明をした。いわば、働き始めの者に無利子無期限で貸し付けられる準備金である。マリコもかつて渡されたが、給金以外の収入が入ったため、早々に返してしまった。
「で、こっちは魔晶の売り上げの一部。五十G分入ってる。全部でいくらになるかは数えて質を確かめないと分からないけど、この量なら三百Gは下るまいよ。前渡し分ってことで持っておいておくれ」
残りは総額が決まってからだという。要するにタリアは売り上げの一部を立て替えて渡してくれようとしているのだが、実際の金銭のやり取りをまだしたことがないシウンには今ひとつよく分からなかったらしい。マリコに複雑そうな表情を向けてくる。
五十Gあれば、武器などの高額商品に手を出そうとしなければ当面の買物には十分である。マリコはある程度説明した後、大きい方の袋は受け取るように勧めた。支度金の方はもちろんその場で返却である。
「さて、それじゃあ……」
買物には明日行くことにして、シウンを慣れさせるためにもとりあえず食堂の手伝いにと、マリコたちは腰を上げた。里に住む人口が急に増えたことで、食堂はほとんど丸一日開いているようになっている。夕食時など、来客が一時に集中してしまうと席が足りなくなりかねないからだ。食堂側の人数も増えているが、手が多いに越したことはないだろう。マリコがそう思っているとドアがノックされ、エイブラムが顔を見せた。
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