400 最前線の先から来たりし者 5
マリコたち六人は既に湯船の中におり、それぞれの目の前に丸っこいものを浮かべていたりいなかったりする。浴室に入ってきたブランディーヌは、ズンズンという擬音が似合いそうな足取りで洗い場を横切って湯船の手前に立った。また何かの作業で汚れたのか、青いはずの髪が全体的に白っぽくなっている。流石にそのまま湯船に飛び込んで来るほど我を忘れているわけではなさそうだ。
ブランディーヌは湯船の六人に目を向けた後、風呂場の中を油断無くぐるりと見渡した。それから顔を上げて女湯と男湯を隔てる壁、正確にはその壁と天井の間にある湯気抜きのための空間を見やる。六人は予想外に真剣なブランディーヌの雰囲気に呑まれて黙り込んだ。何となく身動きするのも憚られる。
女湯が時ならぬ静寂に支配されたことで、壁の上の空間からわずかに男湯側の音が聞こえた。マリコたちが来た時、風呂は男女とも無人だった――と番台にいたエリーに聞いた――ので、向こうにはバルトとトルステンだけが居るはずである。しかし、聞こえてくる音は籠っており、水音と話し声が混ざっているらしいことは分かるが話の内容まではとても聞き取れなかった。
「ふう」
息を吐いたブランディーヌは安堵したようにその場に腰を落とした。湯船の縁に手をついてわずかに身を乗り出すと、真剣な様子のまま口を開く。
「エイブラムから一応話は聞いたんですけど、自分で確かめたくて。貴女たちだけで入ってるって聞いてつい来てしまいました。それで、シウンさんが……だっていうのは」
当面内緒ということも聞いたのだろう。ブランディーヌは龍という言葉を口にせずに聞いた。六人は顔を見合わせる。時折暴走する癖はあるものの、ブランディーヌはこの里にいる神格研究会のメンバーの中ではエイブラムに次ぐ立場を持っており、こうした場面でふざけたり嘘を言う人物ではない。アイコンタクトの結果、代表してマリコが答えた。
「本当です」
「どうしてマリコさんが答えるんですか」
「友だからな。何かと頼らせてもらっている」
「あ、ちょっ」
不思議そうに聞いてきたブランディーヌに、マリコが何か言う前にシウンが答えてしまった。ブランディーヌの目が一瞬妖しげに輝いたが、彼女はオホンと一つ咳払いしてそれを抑え込むと表情を改める。
「それも含めて、お話を伺いたいという申し入れが、近いうちにエイブラムの方からあると思います。その前にお聞きしたいことが一つありまして……。それは今のその姿についてです」
「姿? ああ、人型になっていることか」
「そうです。それは魔法か何かで変身しているんでしょうか」
「魔法、ではないな。形態変更と呼ばれている」
「形態変更?」
姿を変える魔法に、そのものズバリ変身というものがある。ブランディーヌはそれだと思っていたのだろう、シウンの答えに首を傾げた。もっとも、変身には効果時間などいろいろと制約があるので、普通ならこれを掛けたまま悠長に風呂に入ったりはできない。こちらも細かい事を分かっていない、あるいは気にしていなさそうなシウンに、マリコは助け舟を出すことにした。
「私が聞いた話だと、形態変更はアイテムボックスと同じ様に神様から頂いた能力なんだそうですよ」
「神様から!? それは一体、変身とどこが違うんですか」
「ええと、変身みたいに何にでもはなれないはずです。なれるのは……」
「この人型と中間形態の二つだけだ。それに元々の姿を足して、形態は三つだけということになる」
形態変更に関しては、マリコもこの数日で見聞きしたことしか知らない。今度はシウンの方がマリコの話を補足する。それを聞いたブランディーヌは少し考え込んでから顔を上げた。
「中間形態というのもよく分からないけれど、とにかく形態変更でなれる姿は決まっている、つまりシウンさんは龍としても女の子だってことなんですね」
「もちろんそうだ。貴公には私が男に見えるとでも言うのか」
お湯に浸かったまま、シウンが憤慨したように腕を組んだ。押し上げられた双丘が存在を声高に主張するが、ブランディーヌはそれを特に気にも留めない。
「いえいえ、そういうわけじゃありません。でもそうすると、男性の龍もいらっしゃるんですね?」
「当然だ」
「そして、形態変更すると人型の男性になる」
「そりゃそうだ」
どこかテンションが上がってきたように見えるブランディーヌに対して、男疑惑を掛けられた気分なのか、シウンの返答はおざなりになってきた。とっとと話を進めるべく、マリコはまた話に加わる。
「シウンさんのお祖父さんにお会いしましたけど、普通に男の人になってましたよ」
肥満状態のまま人型になっていたらどうなっていたかは分からないが、痩せたツルギはいたって普通の男性に変身していた。そんな話をすると、ブランディーヌの目が何やらさらに輝き始める。
「男龍、人型、ロマンスグレー、若者……」
「あ……」
ブランディーヌから漏れるつぶやきに、マリコは彼女が何を考えているのかが分かった。分かってしまった。湯船の中から腕を伸ばしてその両肩をつかむ。
「何を書こうとしてるんですか、貴女は!」
「あ、ちょ、揺らさないで。折角のシーンが、文章が、消える消える」
「忘れてしまいなさい!」
新たな部族とお付き合いが始まろうかという時に何をするつもりなのか。マリコはつかんだ肩をガクガク揺らした。大きい方に分類される二対の膨らみも触れ合わんばかりにたゆんたゆん揺れたが、そこには色気もへったくれも無かった。
「……マリコ殿と彼の御仁は、一体何の話をしてるんだ?」
「シウンちゃんは気にしない方がいいわ」
カリーネが、そっとシウンを二人から引き離した。
後年、タイミングを計って発表された作品には、それなりに需要があったとかなかったとか(笑)。
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