397 最前線の先から来たりし者 2
一行は放牧場を抜けて、里と放牧場を隔てる頑丈な柵に設けられた門の前までやってきた。放牧場を囲んでいた簡素な柵と違って、こちらはずっと頑丈で二メートルほどの高さがある。将来的には里の一部となる予定の放牧場だが、現在はまだ里の外という扱いになっていた。東側の未開地と里との間の緩衝地帯でもあるのだ。
途中までやたらとシウンに話し掛けようとしていたカミルの姿は無い。家畜舎の傍を通り過ぎようとした時に何頭かの牛や羊が怯え出し、そちらの世話をするために他の仲間たちと残らざるを得なかったのである。本人は大変名残惜しそうに一行を見送った。
「私の腕で完全に気配を隠すのは、やはりまだ難しいようだ。申し訳ない」
「仕方ないですよ」
恐縮するシウンをマリコは慰めた。人型になっていても龍の気配は発せられており、大部分の動物を寄せ付けないことは昨夜までの野営で分かっていたことである。だが、シウン本人が意識すれば気配はかなり押えることができるようだった。ただ、これも先ほどのゲナーや家畜舎のように、すぐ傍まで近付いてしまうと流石に気付かれるようである。
門を抜けると今度は田畑が広がった。田植えから二週間も経つと、ひょろりと細かった苗は一回り太くなり、長さも倍近くに伸びている。水面に映る緑が少し濃くなった田んぼの間を抜けていく途中、作業をしている人たちから「おかえり」と声が掛かったり、手を振られたりした。探検者が戻った時の常で、手を止めて後を追ってくる者もいる。一行はそんな人たちを引き連れながら宿へと向かった。
◇
宿に入るとカウンターにいたサニアが早速一行に気が付いた。
「まあ、おかえりなさい。思ったより早かったのね。か、女将なら部屋にいると思うから……」
「ああ、じゃあ私が呼びに行きますよ。それとエイブラムさんとブランディーヌさんは……って、エイブラムさんは中央へ行ったんでしたっけ」
サニアが誰かを呼びにやらせようと言い出す前に、マリコはその役目を自ら引き受けた。これはバルトたちと事前に話し合った結果である。いつもなら探検から戻った際の報告は里の皆がいる前で行う。だが、今回は事が事なのでいつも通りにやっていいのかどうかを先にタリアに確認しておくべきでは、という話になったのだ。マリコの役目になったのは、直接タリアを呼びに行ってもおかしくないからである。
「エイブラムさんはとっくに戻ってるわよ。女将と一緒にいるんじゃないかしら。さっき執務室で話をしてたから。ブランディーヌさんは支部の方、だと思うわ」
マリコたちが出掛けてから十日近く経っている。ほぼ同時に出発したエイブラムが戻っていても不思議ではなかった。徒歩だったマリコたちとは違って、こちらは転移門経由なのだ。また、支部というのは建設中の神格研究会支部のことである。ブランディーヌはそちらを手伝っているか何かなのだろう。マリコは頷くとバルトを振り返った。
「じゃあ、タリアさんたちの方へ行きますから、ブランディーヌさんはお願いします」
「分かった」
そちらを任せたマリコは廊下を進んでタリアの執務室へと向かう。ノックをして中に入ると幸いなことにエイブラムもまだここにいた。ローテーブルに書類を広げて、何か打合せをしていたようである。
「ああ、マリコ。おかえり。案外早かったんだね」
「おかえりなさいませ、マリコ様」
「ただいま戻りました。それで……」
「ああ、呼びに来たんだろ? それじゃ、食堂に……」
「いえ、そうなんですが、ちょっと待ってください。先にご相談したいことが」
挨拶もそこそこに、マリコは話を始めた。
◇
「龍は人の姿になれて、話ができる……」
「それが一頭、いや一人、一緒に来てるっていうのかい!?」
マリコの話を聞き終えた二人は呆然となった。戦いになったらどうするかという予測からこの展開は流石に想定の斜め上だったらしい。
「はい。そんなわけですので、いつものように食堂で皆一緒に聞いてもらってもいいものかと」
「ああ。確かにちょっと考えるところではあるんだがね。ただ、黙ってるってわけにはいかないさね」
「それは、まあ」
「それにね。動物や魔物みたいに襲ってくるからどうしようってんならともかく、そうじゃないだろう? ならちゃんと知らせて安心させてやらなくちゃね。ただまあ、そのシウンさん、だったね。その娘はしばらくここにいるつもりなのかい?」
「ええと、いつまでとは聞いてませんけど、いろいろ見たいとは言ってましたから……」
「なら、その娘が龍だっていうのは、少しの間黙っていてもいいかもしれないね。何日か過ごして、どんな奴か分かってからの方が、皆も無闇に恐れたり避けたりはしないだろうからね」
「ああ、なるほど」
タリアの言うことも分からなくはない。龍に関しては、事実は謎だらけで物語に登場するイメージが先行している。先に龍だと分かったら色眼鏡で見られることになりかねない。
「でも、どうやって誤魔化すんですか」
「そんなものは、私とエイブラムが居れば何とでもなるさね」
タリアはそう言って、マリコに片目をつぶって見せる。思い返してみれば、マリコがどこから現れたのかを誤魔化してくれたのはタリアだった。それにエイブラムが加わるなら、言い様はいくらもあるように思える。
「さて、それじゃあ行くかね。エイブラム、あんたも手伝っておくれよ?」
「仕方ありませんな」
二人がソファから立ち上がる。続いてマリコも立ち上がった時、部屋の外、廊下の向こうから何やら歓声のようなものが響くのが聞こえた。
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