004 世界の始まり 1
白一色に埋め尽くされた世界はそのまま終わりを迎えるかと思われた。
しかし、一旦真っ白に染まった画面は徐々にその光を失っていき、白い光が去った後には、先ほどまでと変わらずマリコが立っていた。ただし、立っている場所はさっきまでいたはずの山道の途中ではなかった。
真っ暗な闇に浮かぶ、石でできた四角いステージ。床以外には何も無い、そのステージの中央にマリコはぽつんと立っていた。一緒にいた馬のヤシマもおらず、竪琴も持っていなかった。
ここはゲームをやっていると時折訪れることになる場所だ。新しいキャラクターでゲームを始める時や、レベルリセットを行って改めてゲーム世界に降り立つ時には、必ず一旦ここに来ることになる。そして、続いて現れる女神様と会話して、初期配布アイテムをもらったりこの世界の基礎知識を聞いたりするのだ。
(まだなにか演出が?)
予想していなかった状況に、男はただモニターを見つめて待った。
数秒後、これまでに何度も見てきたのと同じように、マリコの前に虹色の光が渦を巻いた。そして、光の渦が消えた後にはいつもと同じ一人の女神様が立っていた。
女神ハーウェイ様。
このゲーム独自の創作神話における唯一神にして創造神であり、母なる神とも呼ばれている存在である。足元まで届くクセのないまっすぐな銀髪に金色の瞳、雪のように白い肌と細く長い手足、重力の影響を受ける事なく突き出された巨大な胸と見事にくびれたウエストを持つ、純然たる美女である。
その見事な肢体に、透けそうで透けない絹のような白い布をサリーかトーガのようにまとった女神様は、その整いすぎた神々しい顔に微笑を浮かべて口を開いた。細い首に巻かれた、白い細身のチョーカーの正面に付けられた石がキラリと光る。
「この世界を楽しめておるかの?」
メッセージウィンドウに女神様の台詞が表示された。レベルリセットをしに来た時と同じ台詞である。女神様は二十歳そこそこにしか見えない外見にも係らず、老婆のような口調で話す。その口調と巨乳から、一部のユーザーからは「盛りババア」――ロリババアに掛けたものらしい――と呼ばれている。これまでと同様に選択肢はなく、男は「次へ」をクリックして会話を進めた。
「じゃがおぬしも知っておる通り、この世界は今日この時、終わりを迎えることになってしもうた」
いつもとは違う、初めて見る台詞が表示された。
(何かエンディングのようなものだろうか?)
一般的に、サービス終了となるゲームにエンディング演出などない。打ち捨てられる物に無駄な開発費を掛ける意味などないからだ。しかし、他のネットゲームをプレイしたことのなかった男はそんなことは知らず、特に疑問に感じる事なく「次へ」を押した。
「おぬし自身も終わりじゃ。その姿も、その力も、今日を限りに消えて無くなる。後には何も残らぬ」
(今さら何を言い出すんだ、この人は)
分かりきった事をわざわざ告げる女神様に軽い苛立ちを覚える。
「それを残念だとは思わぬかの、おぬしは。どうじゃ?」
画面には「残念だ」と「残念ではない」の二つの選択肢が表示されて点滅している。
マリコを失うことが残念でないはずがない。当然、「残念だ」を選んだ。
「そうじゃろう、そうじゃろう。おぬしもそう思うじゃろう」
整った顔に満面の笑みを浮かべて女神様は頷いた。
「そこでじゃ」
拳を握った両手を腰に当ててふんぞり返る女神様。いつもの神々しいイメージからかけ離れた言動に男は少々面食らった。しかし、続いて表示された台詞はさらに驚かされるものだった。
「おぬし、今の姿のまま、新たな世界へ降り立ってみる気はないかの?」
ふんぞり返った姿勢のまま、ずびしっ!と効果音付きで右手を振り上げてこちらを指差し、そう言った。見下ろす様な角度でこちらに向けられた目は、挑戦者を募るチャンピオンの様な光を湛えていた。
「無論、基本料金は無料じゃ!」
びんっ!と音を立てて中指が伸ばされ、女神様の右手はVサインになった。
(えっ? 新たな世界? 続編?)
初耳だった。公式ホームページの発表はサービス終了を告げる物だけであり、続きや新しいゲームの告知などは載っていなかった。しかし画面には「新たな世界へ行く」と「このまま消え去る」の選択肢が点滅している。
迷う理由はなかった。マリコがこのまま消えずに済むのなら。男は「新たな世界へ行く」を選んだ。
「おお! 行くか! もちろん分かっておったとも。おぬしならここで消えたりせぬということはな!」
女神様は嬉しそうに腕を組んで頷き、画面上には新たなウィンドウが開いた。
使用許諾同意書。新規にプログラムをインストールした際に表示される、いつものあれである。「同意する」を押すとウィンドウは消えた。
「うむ。それでは送るとするかの。次に会えるのは向こうでじゃな」
女神様は微笑んで頷き、小さく手を振った。チョーカーの石がまたキラリと光り、画面は再び白く輝き始めた。
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