385 ドラゴンスレイヤーへの道? 12
ズラリと並んだ象牙色に輝く牙は一本一本が数十センチ程もあるだろうか。その牙の行列に囲まれた赤い口内の真ん中で、唾液に滑光る舌が咆哮と共に震えていた。
(爬虫類だと青やら黒やらのも居るらしいんですが、龍の舌は肉の色なんですね)
自分が丸ごと入れそうな巨大な口が目の前で大きく開いているにも係わらず、マリコはそんなのん気なことを考えた。というのも、ツルギの咆哮は単に身体のサイズに応じた音量だったというだけで、野豚や灰色オオカミが吼えた時の声とは違って、殺気らしきものが全く無かったからである。
実際、口を閉じたツルギは目の前にいるマリコに何かしようとするわけでもなく、しばらくマリコをしげしげと見ていたかと思うと、ついと首を巡らせた。その先にコウノを見つけると、さっきと同じ様に吼える。どうやら何か言っているらしいが、流石にその意味までは分からない。
マリコは疑問の表情をシウンに向けた。するとシウンはどこかバツが悪そうにマリコを見返し、おでこをポリポリと掻きながら言った。
「あー、さっきのはだな、爺様が『昼ご飯はまだかのう』と言ったんだ」
「は!?」
「お爺ちゃん、お昼は寝る前に食べたでしょう? 今から食べるのは晩ご飯ですよ?」
思わず目が点になるマリコをよそに、コウノはのんびりと返事をしている。いつもの事なのだろう。それを聞いたツルギは首を傾げながら「ゴオオォ」と唸り声を上げる。首を傾げる龍はどことなく可愛らしかった。
「『そうじゃったかのう?』と言っている」
「え、ええと……」
シウンが同時通訳のようなことをしてくれるが、マリコは反応に困った。バルトたちの方を振り返ると、皆似たり寄ったりの表情を浮かべている。
「傷を治してくれたことには礼を言う。だが、一旦少し下がってもらえるか。とりあえず、爺様に夕餉を食べさせないとまた動き出してしまう」
「あー、はい」
マリコは素直にその場をシウンに譲った。数歩下がって改めてツルギを見る。自分がした事を忘れ、食べ物を求めて徘徊するなど、どうやら本当に認知症そのもののようである。それは何ともならないものなのか。マリコは治癒を掛ける前に思っていた事の続きを考え始めた。
一方、マリコに代わって前へ出たシウンは、積み上げられた灰色オオカミの山をコウノと挟む位置に着く。それを認めて頷いたコウノは自分の方に顔を向けたままのツルギと目を合わせた。
「はい、お口開けてー」
そのコウノの声に従うように、ツルギがガバッと大口を開ける。そこへシウンが、灰色オオカミを一頭、むんずとつかんでおりゃっと放り込んだ。成体の灰色オオカミは人と同じくらいの大きさがある。中間形態のシウンには、それを楽々と放り投げられる力があるようだ。
バキバキと音を立てて、ツルギが灰色オオカミを咀嚼し始めた。龍の口はその構造上開け閉めしないと物が噛めないので、獲物が肉片に変わっていく様子が周りからも見える。きっちりと並んでいた歯はまだ丈夫なようで、硬い骨も物ともしなかった。噛み砕いた部分から飲み込んでいるようで、時々喉が動いている。
やがてツルギは一度口を閉じ、何やらモゴモゴしたかと思うとプッと小さな何かを吐き出した。キラリと光りながらポトポトと地面に落ちたそれらを、コウノが拾い上げる。何だろうと思ったマリコたちに気付いたのだろう。軽く拭って見せてくれた。
「これは硬いし、栄養にもならないですからねえ」
「あ、魔晶……」
この世界の生き物の体内から取れる、魔力の籠った結晶体である。後から魔力を籠めなおすこともできるこれは、専ら魔道具の動力源として電池のように使われていた。器用なことにツルギはこれだけを吐き出したのである。そのツルギに目を戻すと、一頭目を食べ終えたようで再び大きく口を開けていた。
「はーい、次行きますよー」
手にしていた魔晶をどこか――恐らくアイテムボックスであろう――に仕舞ったコウノが、二頭目をシウンの口に入れる。ツルギは嬉しそうな雰囲気を漂わせて、またそれを噛み砕き始めた。
◇
皆が見守る中、山になっていた灰色オオカミの全てを食べ切ったツルギは、満足そうに息を吐いた後、大欠伸をして再び眠り込んでしまった。傷が治っているからだろう、先ほどとは違って苦しそうな様子もない。そんなツルギを前に、シウンとコウノはマリコに頭を下げた。
「こうも穏やかに眠る爺様は久しぶりだ。改めて礼を言う。ありがとうマリコ殿」
「いえ、そこまで大した事はしていませんので。それで、あれから少し考えていたんですが、もしかするとツルギさんの状態、もう少し良くできるかも知れません」
「何!? 二度童が治ると言われるのか!」
「そんなことができるの!?」
マリコの言葉に、シウンだけでなくコウノも勢い込んで聞いてくる。彼女たちの感覚では二度童とは年齢によるもので、大きく回復することは有り得ないとされているのだから当然であろう。
「絶対とは私にも言えません。ただ、試してみる価値はあると思います」
マリコは自分の考えを話すことにした。元の世界での知識になるが、基本的に認知症とは脳の疾患によって起きる症状の総称である。原因となる疾患には、脳そのものの萎縮や脳梗塞などによる組織の損傷、脳内物質の変質やバランスの崩れからくる損傷など様々なものがある。
その中から個々人の疾患を特定して対処するのが、元の世界における認知症の治療だった。もちろん、症状が改善し得る疾患もあれば、回復が困難あるいは不可能なものもある。喪われた脳細胞を復活させることは、現代医学では無理だとされていたはずだった。
しかし、この世界にはそれを覆す方法があり、マリコはそれを身に付けている。しかも傷や病気の種類を特定する必要も無い。治癒はあらゆる傷を癒し、病気治癒は成功しさえすれば何の病気だろうと治すのだ。症状によっては、状態回復も有効かも知れない。
マリコのこうした話を聞いた二人は、当然反対などしなかった。
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