371 戻る者、行く者 5
「そんなにでかいのが空を飛ぶのか!」
「龍って言えば確か龍宮ってとこに住んでて……」
「そりゃお伽話だろうが」
その夜の食堂は普段にも増して盛り上がった。バルトたちの持ち帰ったクマ肉などはこの辺りでは珍しいし、何より龍という絶好の話題がある。詳しい事が分かっていない分、想像の翼を広げる余地があり、皆好き勝手なことを言い合っては杯を干していた。もちろん、戻って来た探検者の常で、囲まれたバルトたちは土産話をせがまれている。
(本当にタリアさんの言った通りみたいですね)
――危ないから逃げろって言われたくらいではいそうですかって逃げる奴が何人居ると思うね
マリコは厨房を手伝いながら、時折食堂の様子を窺ってタリアの言葉を思い出した。龍という未知の物に対する皆の反応は、不安や恐怖より好奇心の方が勝っているように見える。むしろクマの方が危ない相手であると語られているのは、やはりどんなものか分かっているからだろう。それでも美味いものは美味いと味噌味のクマ鍋は結構な数が出た。
やがてバルトたちが引き上げ、皆も三々五々帰宅していった。話題には事欠かないとは言え明日は風の日、つまり月曜日なのだ。基本的に朝が早い田舎の里では深酒する者は滅多にいない。いつもより少し長引いたものの、深夜を待たずに食堂は酒場としての役目を終えた。
◇
「ぬ、今夜も眠っておいでのようだが、いかがなされる?」
ベッドに横たわる猫耳女神を覗き込んでピョコリと耳を一振りしたミランダがマリコの方を振り返って言う。食堂の後始末を終えた二人は、女神の部屋へとやってきていた。
「申し訳ないですけど、起きてもらおうと思います。ミランダさんは予定通り?」
「ああ。明後日出発とあれば、今夜のうちに何とかものにしておきたい故な。女神様の方はマリコ殿にお任せ致す」
マリコの問いにそう答えたミランダはベッドから離れた。「開け、ゴマ」の合言葉で裏側への通路を開く。
「マリコ殿。それでは」
「はい。後で様子を見に行きますから、無理しないように」
「承知」
短く答えたミランダは床に開いた穴に、勢いよく頭から飛び込んで行った。早速ゴーレムを呼び出して修練を積むつもりなのだ。ミランダの治癒のレベルは現在七。レベル八に上がれば治癒と同じく回復系魔法の体力回復の取得条件が整う。ミランダが今夜のうちにものにしたいと言ったのはこのことである。
ミランダが通り抜けた後、ゴトゴトと穴が塞がっていく。それを見届けたマリコは一度ベッドの方へ目を向け、何故かそちらではなくその向こうの台所スペースへと近付いた。アイテムボックスから小鍋を取り出して火に掛ける。しばらくすると温まった鍋から美味しそうな匂いが立ち昇り始めた。
「……う、ん?」
その匂いに誘われたのか、眠っていた女神の鼻がひくひくと動き、唸るような声を漏らして薄っすらと目を開く。
「何やらいい匂いがするのう。ふわぁ……」
もぞもぞとベッドの上で身体を起こした女神は伸びをして拳で目を擦った。キョロキョロと辺りを見回し、マリコと目が合う。
「あ、起こしてしまいましたか」
「……わざわざこんな匂いをさせておいて何を言うか。起こすつもりだったんじゃろうが、白々しい」
「いえ、起こすつもりではあったんですが、まさか匂いで目を覚ますとは思っていなかったもので」
「ふむ。まあよいわ。それで?」
そう言いながら突き出された手に、マリコは小鍋から注いだ汁椀と箸を持たせる。中身はもちろん、食堂で取り分けておいたクマ鍋である。女神がそれを食べ始めるのを待って、マリコは今夜ここへ来たあらましを話し始めた。
「ほう、するとこれがバルトらが狩ってきたというクマか。なかなか美味いものじゃの」
流石に鍋物が供えられることは珍しいらしく、話を聞きながらも女神の箸は止まらない。たちまち空になった椀を受け取っておかわりを注いでやりながらマリコは聞いた。
「それで、私とミランダさんを連れて来いという『お告げ』があったらしいんですが」
「何、『お告げ』じゃと? わしはそんなものは……いや、ちょっと待っておれ」
女神は食べかけた汁椀をテーブルに置くと、中空をにらんでそこに指を走らせ始めた。ウィンドウを操作しているらしい。時折ふむふむと頷きながらしばし指を動かした後、マリコに向き直った。
「いや、すまぬ。それは確かにわしが出した『お告げ』じゃな」
「何ですか、それは。何だって自分が出した『お告げ』が、確認しないと分からないんですか」
傍から見ていると怪しいことこの上ない。流石にマリコも疑問を口にした。しかし、女神は何という事はないという顔をする。
「ああ、それはじゃな、わしが実際にその『お告げ』を仕込んだのがしばらく前だからじゃ」
「仕込んだ?」
「うむ。特定の条件が揃った時に再生されるよう、仕込んでおいたのじゃ」
「なんだってそんなことを……」
「マリコよ、思い出してみるがよい」
呆れたような声を出すマリコを遮って、女神は続けた。
「全知とはどういうものであったかの?」
「ぜ、全知? この間のあれですか」
ホワイトノイズのようであったその記憶が甦り、マリコは思わず首元に手をやった。そこに付いているブローチに仕込まれた能力が全知である。
「そうじゃ。あれを常に全開にしておれば、如何なることがあろうともリアルタイムで対応できる。もちろん、今回の『お告げ』についてもじゃ。じゃがの」
「じゃが?」
「おぬしにも話したじゃろう? あれを全て理解して対応するには全能に近い能力が必要じゃと」
「そうですね」
それはマリコも覚えている。しかし、目の前の猫耳女神の真の姿、女神ハーウェイは全知全能の神ではなかったか。その疑問が顔に出ていたのだろう。女神は頷いた。
「おぬしの言いたいことは分かるがの。常に全知全能全開ではわしも疲れるのじゃ」
「は? 疲れる? いやまあ、分からなくはないですけど」
「じゃからこそ、あちこちで様々なことをシステム化してあるのじゃ」
「システム化って」
「転移門然り、アイテムボックス然り。おぬしが使っておるメニューもそうじゃ。全知全能であれば、これらも全て個別かつリアルタイムに対応できると分かるじゃろうが、いつもそんなことにリソースを割くのは無駄じゃろう?」
「それはまあ、そうですね」
女神が言う全知全能によるリアルタイム処理というのは、情報の認識や処理全体を毎度一から構築して組み上げるということなのだろう。それは確かに「できなくはないが非効率」であるようにマリコにも思えた。
「それじゃあ、今回の『お告げ』は……」
「ゲーム的に言うとじゃな、フラグが立ったから音声データが再生された、というところじゃな」
「フラグ……」
(いちいちそんな言い回しをするから有難みを感じられないんですよ、この人は。疲れるとか言うし)
言いたいことは言ったとばかりに、再び汁椀の中身を美味そうにあぐあぐと掻き込む女神を見ながら、マリコは心の中でため息を吐いた。
どうにも神様らしくならない猫耳女神様(汗)。
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