359 待つ日々 6 ★
丸太のような野豚の腕が唸りを上げ、鋼の輝きが振り抜かれる。ほんの一瞬重なり合った二つの影は速度を落とすことなく再び離れた。
ミランダは眼前に迫った立木を避けることなく、タタッと数歩その幹を駆け登る。上へと向きを変えられたベクトルが重力に相殺され、勢いが鈍ったところでミランダは幹を蹴った。後方へと回転しながら空中で器用に身体を捻る。音も無く地面に降り立った時には、既にその目と切先がピタリと野豚に向けられていた。
一方の野豚も、ミランダを捉えられなかった拳の勢いのままに身体を横に回転させた。後ろ向きに滑りながらも踏ん張った両足が、ズザザと音を立てて足元の土や落ち葉を巻き上げる。じきにその身体は止まり、再び雄叫びを上げようというのか、牙の生えた大口を開けた。
しかし、その口から咆哮は上がらなかった。代わりに太い首の右側から真っ赤な奔流が迸る。何が起こったのか分からないのか、戸惑ったような気配を見せる野豚は右腕を上げてそこへ持っていった。血の滝が拳に当たってビシャビシャと水音を立て、あっという間にそれを赤一色に塗り上げる。
動きを止め、血に染まった己の拳に不思議そうな顔を向けた野豚は、やがて泡立つような鈍い音を吐き出した。身体の大きさの割りに小さな目が焦点を失い、糸の切れた操り人形のようにドサリとその場に崩れ落ちる。それでもまだ、首からは出血が続いていた。
「ふう」
構えは解かず、それでも肩の力を幾分抜いてミランダが息を吐く。そこへ、戦いを見守っていたマリコが駆け寄って行った。
◇
ある程度血抜きを済ませた野豚を仕舞い、二人はさらに二頭の野豚を仕留めた。倒したのはどちらもミランダである。小剣、短剣と武器を持ち替えながら、それでも相手の攻撃は華麗なフットワークで全てかわした上で首の血管に一撃入れて終わらせている。マリコには浄化とアイテムボックスへの収納以外に全く出番がなかった。
「ミランダさん、何か急に腕を上げてませんか?」
流石に三頭狩れれば当面は十分だろうと、里に戻る道すがらマリコは聞いた。質問の形になってはいるが、これは確認である。
元よりミランダは一対一でも十分野豚に勝てるだけの技量を持っていた。しかし、今日のミランダには余裕というか、これまでにはあまり感じなかった安定感がある。ここに来るまでに時折感じていたことではあるが、ミランダの戦いを見てマリコは確信していた。
「やはり分かるものなのだな」
「そりゃ、そうでしょう」
今の身体で目覚めて以来、マリコにはそういったことが何となく感じ取れるようになっていた。自分自身の戦闘関係スキルの高さ故のことなのだろうと思っている。
ただ、これは戦闘関係だけに限らず、誰かと料理をしている時などにも感じられるので、「一定以上の技能を持つ者は他者の腕前もある程度見て取れる」ということなのだろう。そう考えるとゲーム由来の能力というわけではなく、普通の事なのかもしれない。
ともあれその感覚で言えば、ミランダは数日前と比べていくつかのスキルレベルや本人のレベルが上がっているようにマリコには思えた。二人とも朝練には行っているものの、最近は増えた人員への指導が主になっていて二人で向き合っての稽古ができていないのである。そのため、マリコからするとミランダの腕が唐突に上がったように感じられる。
「ふむ。流石はマリコ殿だな」
「それで、何があったんですか」
マリコが水を向けてみると、ミランダはアゴに手を当てて少し考えた後、周囲を見回した。まだ木々の間から里を囲む壁が見え始めたところであり、辺りに二人以外の人影は無い。それを確認したミランダはマリコに目を向け直した。
「マリコ殿に隠しても意味はないな。女神様だ」
「女神様!?」
一瞬驚きはしたものの、考えてみれば納得である。むしろ、女神以外にこんな急成長をさせられる者はいないだろう。
「ああ。このところ、女神様が修練に付き合ってくださっているのだ」
「女神様が?」
マリコは、あの猫耳女神がミランダに稽古をつけるところを思い浮かべようとした。女神の間――もちろん広い方――で星空をバックに木刀を手にして、あるいは無手で対峙する二人の猫耳。
稽古というより、リアルなキャットファイトが始まりそうな雰囲気である。マリコは緩みそうになった頬を慌てて引き締めた。
「何を考えておられるのかは知らぬが、多分違うぞ」
「え?」
ふと気付くと、ミランダに呆れたような目を向けられていた。
「女神様が手ずから相手をしてくださるわけではない。修練に適した相手を出してくださるのだ。ほら、先日アドレーらと赴いた西の洞窟にいた魔物。あれをマリコ殿は何と言われたか」
「ええと、ゴーレム、ですか?」
「そう、それだ。ゴーレム。女神様は人型をしたゴーレムを出してくださった。空いた時間に女神様の部屋にお邪魔して、それを相手に修練を重ねたのだ」
「ああ、それで時々姿が見えなかったんですね」
「ぬ。ああ」
ミランダはどこかバツが悪そうに頬をかいた。時折いなくなっていたミランダの行き先は女神の部屋だったのである。さらに話を聞くと、どうやらミランダの相談に女神が乗ったようだ。ただ、やはりタダというわけではないらしい。
「もう少し強くなったらやってもらいたい事がある、とおっしゃっておられた」
「やってもらいたい事?」
「うむ。女神様直々の神託だ。何をするのだとしても期待に胸が膨らむというもの」
ミランダは誇らしげにそう言うと、マリコほどは膨らんでいない胸を張った。一方のマリコは内心密かに首を傾げる。
(やってもらいたい事、ですか)
既にマリコは女神の代わりに人助けをしている。女神は同じ様なことをミランダにもやらせる気なのではないだろうか。それ自体を悪いとは思わない。ミランダも乗り気のようだ。しかし、わざわざマリコたちに代行させる理由が分からない。
「それでだな、マリコ殿」
「え? はい」
考え込みかけたマリコをミランダの声が呼び戻す。
「今すぐというわけではないらしいが、マリコ殿にも助力を頼むかも知れぬと女神様は言っておられた」
「私にですか。何でしょうね」
女神には女神なりの思惑があるのだろうが、何を考えているのかさっぱり分からないなとマリコは思った。
また素浪臼様から頂いた画像を挿絵として使わせていただきました。
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