番外 006 女神代行代理(1,000万PV記念) 2
幾ばくかの応酬や葛藤はあったものの、結果から言うとマリコは女神の言葉に従った。今の自分にそっくりとは言っても、それは元々真理子の顔である。そこに口づけるのは自身にとって――どこか背徳感を伴うものの――ある意味当然のことであったのだ。
触れた唇は、どこか懐かしい感触がした。
「もう一度接吻することで追加分を含めたデータを返して、元の状態に戻るのじゃ。それからの……」
二人になったマリコたちは女神から本体とアンドロイドの相違点や注意点を聞いた。その後、それぞれが違う経験をしてみるテスト――その時は各自が別の本を読んでみた――などをして特に問題が無いことを確かめて、マリコはその身代わり用半自律型有機アンドロイドを受け取ったのだった。
◇
二人のマリコが見つめ合う。
目に生気が宿ったアンドロイドはまとう雰囲気まで変わっており、最早マリコ以外の何者にも見えなかった。今や二人の違いはメイド服と寝巻きという服装の差だけである。数瞬の後、アンドロイドの方のマリコは背筋を伸ばし、表情をキリッとしたものに改めて口を開く。
「問おう。貴女が私のマスあいた!」
最後まで言わせず、マリコはアンドロイドマリコの頭にチョップを入れた。
「お約束はいいですから!」
「何するんですか。今度やってみようって思ってたじゃないですか!」
頭を手で押えたアンドロマリコが抗議する。
「た、確かにそう思ってましたけど! 実際に見てみたら……」
何やら痛くて恥ずかしかったのである。マリコはこほんと咳払いをして気を取り直した後、数歩下がってアンドロマリコから離れた。
「それじゃあ、私は行きますから」
「分かりました。後は、私が」
寝巻き姿のまま、マリコは両腕を左右それぞれ斜め下に伸ばした。変神の構えである。
「それも大概、痛いですよね」
「分かってますから口に出さない!」
ボソリと言うアンドロマリコに、こちらも小声でマリコが言い返した時、コンコンと扉がノックされる音が響いた。二人はギクリと身を固めて顔を見合わせる。
「マリコさん? まだ起きてる?」
聞こえてきたのはサニアの声だった。ミランダならまだしもサニアに今の状況を見られては言い訳のしように困る。同じ事を考えていると分かっているので打ち合わせは要らない。二人は無言で頷き合った後、同じ場所を見た。開いたままになっているクローゼットである。
二人は足音を殺してコソコソとクローゼットに入り込むと、そっとその扉――襖である――を閉めた。隙間からわずかに差し込む光を残してクローゼットの中が闇に包まれる。だが、夜目が利く二人には問題にならない。部屋の入口に近い側の壁にマリコが貼り付き、その背後にアンドロマリコがくっついて耳を澄ませた。
再び扉がノックされる。二人が息を潜めていると、じきにサニアの声が聞こえてきた。
「声がしてたと思ったんだけど、寝言だったのかしら?」
しばらく待っていた様子のサニアは「明日の朝にしましょうか」と呟くと扉から離れた。足音が遠ざかっていく。マリコの肩に置かれたアンドロマリコの手にぎゅっと力が籠り、二人は身を固くして待った。
「ふう」
やがて足音は完全に聞こえなくなり、マリコは身体の力を抜いた。
「防音」
「え!?」
何事とマリコが振り返る間もなく、肩に置かれていたアンドロマリコの手の片方が身体の前に回され、後ろからアンドロマリコの身体が圧し掛かるように押し付けられた。自分の物ではない、自分と同じ柔らかな感触を背中に感じる。目の前の壁との間でサンドイッチにされそうになったマリコは思わずそこに手をついて支えた。
「どうしたんですか!?」
マリコは身体ごと振り返ろうとした。しかし、元より二人がいるのは一メートル四方もないクローゼットの中である。ただでさえ身体の向きを変えるのは難しい。後ろから抱き付かれている状態では到底無理な話だった。
「どうしたって、チャンスですよ」
「チャ、チャンスって何の、ひゃあ!」
マリコの問いかけは回された手で身体の前を撫で上げられることで遮られた。だが、同時にそれが答えでもあることが分かった。分かってしまった。可愛がってみたいという妄想、あるいは欲望。それは紛れも無く自分のものだったからである。
しかし、それは妄想の域を出なかったはずだった。わざわざそのためにアンドロイドを使うというのも不謹慎に思えたし、どちらがどちらの役割を受け持つかでもめるのが分かっていたからだ。仮に戦って決着を付けるとしても、それは当然簡単には行かないはずである。
何しろマリコとアンドロマリコの能力はほとんど同じなのだ。スキルも魔法も、マリコにできる事は同じレベルでアンドロマリコにもできる。そうでなければ身代わりの役目を果たし切れない。唯一差があるのが魔力量で、これだけはアンドロマリコに内臓された魔晶の容量をマリコの最大魔力量が上回る。とは言え、魔法合戦で勝負などできるはずもない。
「今の状況になって気が付いたんです」
両手を使ってマリコのあちこちに触れながらアンドロマリコが言う。背後を取られたマリコは防戦一方である。弱点を知り尽くした手指は、さらにマリコの力を奪っていく。
「な、何に……、んっ」
「この私の方が有利なんだって。私の服のこと、女神様は何て言ってましたっけ?」
――こやつを一個のアイテムとして扱うための方便のようなものじゃがの
マリコは女神が話した注意点を思い出した。アンドロマリコの服は厳密には服ではなく、身体の一部なのである。それは起動していないアンドロマリコをアイテムストレージにそのまま仕舞っておくための仕様だと女神は言った。
普通の服の場合、アイテムストレージには個別に収納される。つまり、アンドロマリコをアンドロイドというアイテムとして仕舞おうとした時、服を着ている状態のまま収納することができないのだ。別に入れて、出した時に着せてやる必要が生じる。その手間と「裸の自分を出し入れする」というマリコの心労を避けるための措置だった。
もちろん、ずっとメイド服というわけにはいかない場合もあり得るので、アンドロマリコも着替えることはできる。しかし、それも基本的には身体の一部を変形させて目的に合った形にするのだ。必要なら裸体の形となって普通の服を着ることも不可能ではない。そして、その作業はアンドロマリコ自身が行うのである。
「そうです。今のアンドロマリコを脱がせることはマリコにはできないんです。でも逆はこの通り……」
アンドロマリコはそう言ってマリコの寝巻きのボタンを一つ、ぷちりと外した。
「ちょ、何を、ひゃうっ!」
隙間からするりと侵入したアンドロマリコの指がマリコの素肌をなぞって摘み上げ、抗議の声を途切れさせる。メイド服ではなく寝巻きであるというところも、防御力の点でマリコを不利にしていた。ここを抜かれてしまうと、後はもう最終防衛線――つまり下着――しか存在しない。
「ああっ。こ、こんなことしてる場合では……クエスト、だめっ。助けに行かないと」
「それも大丈夫みたいですよ。ほら、ウィンドウ」
「ひうっ!」
マリコの肩にあごを乗せ、楽器のようにその身体を奏でながらアンドロマリコはそれを示した。鳴らされながらも、マリコは潤んだ目をそちらに向ける。二時間少々だったはずの残り時間は今も二時間少々のままだった。何故か全く減っていない。
「『全知』のシステムは今の事態も計算に入れてるってことなんでしょう。流石ですね」
「あ、ああぁっ」
本来の目的、大義名分を掲げたマリコの最後の抵抗も空しく撃ち破られた。マリコは膝の力が抜けていくのを感じたが、眼前の壁と背後から抱きすくめるアンドロマリコの存在が、崩れ落ちることさえ許さない。そのマリコの耳元へアンドロマリコは唇を寄せて最後の追い討ちを掛ける。
「考えてみてください。同じ事なんです。アンドロマリコの記憶は、後でマリコの物になるんです。どれも、全て、マリコの物に」
「全部、マリコの……?」
「ええ」
「そう……」
マリコは、その身をアンドロマリコに託した。
◇
その日助けられた少年とそれを目撃した人々は伝える。
――風と月の女神様は見た目こそ少女ながら、まとう雰囲気は大人顔負けに艶めいていた
と。
キスされたら終わると分かっているので背中を取りました(笑)。
※今後の本編中に、本当にこのような代理アンドロイドが登場するかどうかは不明です。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




