353 神の力 10
天蓋付きのベッドの上であぐらをかいた女神は、中空に目を向けてそこに指を走らせていた。マリコには見えないウィンドウを広げて、それをいじくっているのである。先ほどマリコの記録を読み取って気が付いた事があるのだそうだ。マリコが今後もクエストを受けることを承知したので、次に間に合うようさっさと直しておくのだという。
「よし、こんなもんじゃろう」
ただ待っているのも手持ち無沙汰だとマリコが清めの儀の続きをやっていると、やがて女神の声が上がった。ちりとりを使っていたマリコが顔を上げてそちらに目を向けると、女神が来い来いと手招きしている。マリコはベッドに歩み寄るとその脇にあるイスに腰を下ろした。
「何がどうなったんですか」
「口調の件は後にするとしてじゃな、とりあえず二、三改良したのじゃ。まずはじゃな……」
女神はそう言って変更された部分について話し始めた。一つ目はクエストの発生時である。
「試しに出してみるとじゃな……、こうじゃ」
女神が指を走らせると、ポーンという通知音が鳴ってマリコの視界の端に「クエスト発生! ウィンドウを開きますか」という小さな確認ウィンドウが出現した。ウィンドウの上部には「テスト」の文字が点滅している。
マリコが「開く」を選ぶと改めて目の前に――これも「テスト」の文字付きの――クエストウィンドウが開いた。テストだからだろうが、内容は「風と月の女神を讃える」という微妙に怪しげなもので、クエストを受ける受けないの選択肢が並んでいる。
「さっきもそうじゃったが、今の音はおぬしにしか聞こえぬからな。どうじゃ?」
「ああ、これは今のこの方がいいですね」
クエストの内容はとりあえず置いてマリコは答えた。さっきはいきなりクエストウィンドウが目の前に開いたので少し驚いたのだ。何もしていない時ならまだいいが、包丁を使っていたり誰かを治療している最中だと流石に危なそうだとマリコも思っていた部分である。
「では次じゃが……どうしたのじゃ。早くクエストを受けぬか。話が先に進まぬであろうが」
「ええと、それじゃあ……ポチッとなっと。……あ」
女神を見返しながら渋々「風と月の女神を讃える」などという謎のクエストを受諾したマリコは思わず声を上げた。
「どうじゃ? それもおぬしにしか見えぬ。分かりやすかろう?」
女神の頭の上に下向きの三角形が出現したのだ。それは白く光りながら、ゆっくりと横向きに回転している。クエストの対象者ということだろう。どうやらこれが二つ目の改善点らしい。
「ええ、これは分かりやすいですね」
「そうじゃろうそうじゃろう」
マリコは素直に感心した。さっきは誰が落ちるのか発見するのに少し手間取ったのである。こんな目印が出るなら迷うことはないだろう。マリコの態度に気を良くしたのか、女神はあぐらのまま得意気にふんぞりかえる。
「さて、次が最後じゃ。クエストを完了させてみよ」
「完了……これをですか!?」
「うむ。遠慮することはないのじゃ。我を讃えよ!」
女神はベッドの上で立ち上がり、腰に手を当ててマリコを見下ろした。普通に並ぶとマリコの方が見下ろすことになるのだ。その様子は少女が背伸びしているようで、威厳があるというよりむしろ可愛らしい。マリコは発すべき言葉を探した。
「ええと、風と月の女神様は……猫耳が素晴らしい!」
「何じゃ、それは!?」
女神の声にピロリンという音が重なった。ウィンドウに目を向けると、そこには「クエスト完了」の文字が浮かんでいる。おかしな讃えられ方に女神は呆れたような顔をしているが、それでもシステムは有効とみなしたようである。
「ここも何か変わったんですか?」
「……変わったのは解釈の部分かの」
まだ釈然としない顔をしながらも女神は続けた。
「先ほどの川に落ちかけた小童じゃが、おぬしは落ちる小童をギリギリで拾い上げた。そうじゃろう?」
「そうです」
「もっと早く、何か別の手を用いておれば、そもそも落ちなかったとは思わぬか?」
そう言われてマリコは考える。あの猫耳少年は、突風にあおられて揺れた吊り橋から転がり落ちた。もしあの時突風が吹かなかったら。あるいは転ばなかったら。転んでも手すりのロープをつかめていたら。どれか一つ変わっていたらあの子は落ちなかっただろう。そこまで考えたところで、ん? と考え直した。
(突風自体は自然現象なんですから、吹かなかったらというのは無理がありますよね。じゃあ、それを避ければ……ああ)
突風が吹く時に橋の上にいなければ済むのだ。ほんの一分、いや数十秒で構わない。橋の手前で呼び止めるなりして足止めすれば落ちることはない。マリコがその考えを伝えると女神は頷いた。
「そうじゃ。それでも小童が助かることには変わりない。じゃからそういう場合でもクエストはクリアとなるように調整してみたのじゃ。それに合わせて、先ほどのあれよりは早めに予測を出して時間的に余裕を持てるようにしておいた」
「ああ、時間に余裕があるのは有難いですね」
女神の口振りからすると、さっきまでは「『落ちた』子供を助ける」のがクリア条件だったのだろう。それを「落ちる事自体を未然に防いだ」でも構わないということにしたらしい。マリコとしてはクエストの結果がどうだろうと命が助かるならいいじゃないかと思えなくもない。だが、それでは困ることがあったはずなのだ。
そう考えたところでマリコは思い出した。マリコは元々、出掛けていったバルトたちが危なくなった時に何とかできないかと思って女神に話を持ちかけたのである。その方法を得る代償としての仕事、それがこの女神代行人命救助なのだ。
(だから、そうそう失敗扱いにされては困る……って、あれ?)
マリコは女神に視線を向け直す。
「あの、女神様?」
「なんじゃ」
再び見えないウィンドウに向かって何やらやっていた女神が顔を上げる。
「この『仕事』って代償でしたよね? 私が、その……」
「バルトたちの危機を察知して助けに行きたい、じゃろ?」
「う、いや、それはそうなんですけど、今言ってるのはそうじゃなくて。その、助けに行く方法って、もしかして……」
女神変身……は置いておくとして、危機察知と瞬間転移。子供の人命救助というところで仕事の方に気を取られていたが、マリコが望んでいた能力は正にこの二つなのだ。
「なんじゃ? もしやおぬし、今まで気付いておらんかったのか!?」
「いや、だって子供の命が掛かってるんですよ!?」
「……あー、なんじゃ。おぬしがそうなのは分かっておったことなんじゃがなあ。てっきりもう分かっておるものじゃと……」
そう言ってマリコの顔をまじまじと見た後、女神はふうとため息を吐いた。それから改めてマリコの襟元を指差す。
「そのブローチは今、小童の危機に反応するようになっておる。じゃが、それ以外にも対象を追加設定できるのじゃ。別になっておっても煩わしいじゃろうから、メニューの中にそれの設定タブも捻じ込んでおいた。後で見ておくがよい」
そこまで言うと、女神は「もう疲れた。寝る」とつぶやいて後ろに倒れ込んだ。そのままシーツをつかんでごろごろと横に転がると白いミノムシができあがる。途中だった清めの儀を終えてマリコが女神の部屋を後にする頃、ミノムシはすうすうと穏やかな寝息を立てていた。
次回は1,000万PV記念番外編(の予定)です。
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