351 神の力 8
夕闇の迫る屋外から明るい室内へと景色が変わった。足の裏に伝わる感触も湿り気のある土から乾いた硬いものへと変化している。
「ふう」
女神の部屋に戻って来たと分かって、マリコは腰に当てていた手を放して息を吐いた。緊張から解放されたことで、ピンと立っていた猫耳がわずかに伏せられ、やや膨れていたしっぽもだらんと垂れ下がる。
(ちょっと疲れました。けど……)
マリコは再び顔を上げた。確かに主に精神的な部分で多少疲れはしたが、失われるかも知れなかった命を救うことができたのだ。そういう意味では何とも表現し難い充足感と安堵もあった。テレビで観たヒーローもこんな心持ちだったのだろうかと思いながら、マリコは視線を巡らせる。
「ええと、女神様は……あ」
マリコの目は一番に向けた先で女神の姿をとらえた。このところよく見かける、ベッドに横たわる姿である。いつもなら「眠っているならそのままにしておこう」と考えるところだが、今はそういう訳にはいかない。マリコはベッドの傍に歩み寄った。
だが、ベッドに上がったマリコが起こそうと手を伸ばしかけたところで、女神はパチリと目を開けた。寝転がったまま腕を伸ばしてううむと伸びをした後、むくりと起き上がってベッドの上であぐらをかく。
「ん。戻ってきたの」
「はい、ただいま帰りました。それで……」
「少し待つのじゃ」
手を上げて話をしようとするマリコを制すると、女神は黙ってマリコを見返した。シーツの海で、同じ見た目の猫耳少女が見つめ合う。しかしその光景はほんの数秒で終わりを告げた。女神はふむと頷く。
「どうやら上手くいったようじゃの」
「え? まだ何も言ってませんよ」
「聞かずとも分かる。記録を読み取ったからの」
「記録?」
この世界では聞かない言葉を耳にしてマリコは首を傾げる。
「ついさっき話した事じゃろうが。『全知』とはどういうものじゃ?」
「全てを見通す……って、ああ! 起こった事の記録を読んだってことですか」
「そうじゃ」
「口で説明しなくていいなら便利、ってああっ!」
「何じゃ、どうした?」
起こった事の全てを見通したなら、マリコが猫耳に気を取られていたり、棒読みっぽいセリフを吐いていたりするところも見られたことになる。それが恥ずかしいのだと言うと女神はからからと笑った。
「気にせずともよい。おぬしは割りと上手くやっておったし、猫耳に執着するのも今に始まったことでもないじゃろうが」
「うぐ。でも……」
「反射的に妄想を繰り広げるのは何もおぬしに限ったことではないわ。いい女と見ればお相手願えんじゃろうかと考えるのが普通の男の性じゃし、女とて似たようなものじゃ。そんなのにまで目くじら立てる気はないし、そもそも普段ならスルーするところじゃ」
そこで一旦言葉を切った女神は「じゃがの」と続ける。
「先ほどのおぬしはわしとして出掛けておった。となれば、何を考えてどうしたかは把握しておかねば後で困るかも知れんじゃろうが」
「それはまあ、確かに」
マリコも理屈としては理解できる。だが恥ずかしいのも事実で、今後はもう少し気を付けようと思った。
◇
「で、聞いてなかった事があるんですが」
先ほどの吊り橋落下事件の話を少し続けた後、マリコは気になっていたことを口に出した。そもそも寝ている様子の女神を起こそうと思った理由がこれである。
「なんじゃ?」
「これ、どうやって戻ったらいいんですか」
向かい合わせに座ったベッドの上で、マリコは身に纏った白い女神の衣を引っ張ってみせた。無論、衣だけの話ではない。着ている物だけなら、アイテムボックスからメイド服一式を取り出して着替えることが恐らくは可能だろう。では、身体の方は?
問われた女神は一瞬キョトンとした顔をした後、おおと膝を打った。
「教えるのを忘れておったわ!」
マリコはガクリと崩れ落ちかけた。出掛け際にドタバタしたせいで、そこの説明が抜けていたようである。抗議するマリコを「教えてやらんぞ」という一言で黙らせた女神は話を続ける。
「ブローチに触れて『変神解除』じゃ」
「……それ、また派手なんですか」
「流石にそこは派手にやっても意味がなかろう」
女神の返事にホッとしたものの、猫耳の移動やしっぽの縮小、体型の変更などを伴うので、瞬時にとはいかないらしい。マリコはベッドから下りて腰に手を当て、衣の内側にあるブローチに触れた。
「変神解除!」
女神の言った通り、今度はBGMが流れることはなく身体が浮かび上がることもない。ただ、足元から包帯のような光の帯が何本か現れた。それらはマリコの周りでぐるぐると螺旋を描くように上へ伸びていく。全ての帯が同じ方向に隙間無く伸びた結果、マリコを中に置いて直径一メートルほどの白く輝く円柱が出来上がった。これで外からは見えなくなる。
その後は変神と逆だった。髪と目の色が紫に戻り、女神の衣が消えて身体の変形が始まる。元の身体に戻ったところでメイド服セットがそれを隠していった。全ての工程が終わると白い円柱が光の粒となって消える。後にはいつも通りのマリコが立っていた。
「どうじゃ?」
マリコは身体のあちこちを見回し、頭や腰の後ろにも触れてみる。猫耳もしっぽも残ってはいない。
「大丈夫みたいです」
やれやれと息を吐いたマリコは改めて女神に目を向ける。
「それで……」
問題はもう一つあった。
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