350 神の力 7
「ほほぅ、猫耳少年ですか。そういえばアニマの国でしたね。ふむ、これはこれで……」
上がっていく途中、マリコは横抱きにしていた男の子の顔を見下ろしてつぶやいた。暗くなりかけていたことと、何よりさっきまでそれどころではなかったために気にする余裕がなかったのだが、茶色い髪からは三角の耳が飛び出していた。今の体勢では見えないがおそらく腰の後ろからはしっぽが伸びているのだろう。
「アドレーさんたちにもこんな頃があったんでしょうか。あ、しゃべる時は口調も変えないといけないんですね……じゃなくて、いけないのじゃ。いや、いかんのじゃ?」
マリコがぶつぶつ言っていると、腕の中の猫耳少年が「んんっ」と低く呻いた。気付いたマリコが声を掛ける間も無く、クワッと目を見開いて手足をバタつかせる。
「わっ、わあああっ!」
「あ、暴れないでくだ……いや、暴れるでない! 最早落ちてはおらぬわ!」
マリコは怒鳴ると同時に、落とさないよう腕に力を込め直した。つかまる物を求めて振り回されていた少年の両手がマリコの肩と背中に触れ、衣をギュッと握ってマリコにしがみつく。少年の動きが止まったことで、マリコはふうと息を吐いた。
「それでよい。不安ならわた……わしの首に手を回してつかまっておれ」
ようやく声を掛けられていたことに気が付いたらしい。ボリューム少な目の胸に顔を埋めるようにしがみついていた少年が恐る恐る顔を上げた。マリコは安心させるように笑い掛ける。
「もう大丈夫じゃ。そのままじっとしておれ」
「……」
アニマの国の民に多いややきつめの、しかし美しい顔に輝くような白銀の髪。自分よりいくつか年上に思えるその少女に優しい笑みを向けられ、少年は頷くことも返事をすることもできずに、ただ少女を見つめ続けた。
時折谷を抜ける風が強く吹き付けたが、魔法に類する力で浮いているからか衣の裾がはためく程度で特に流されることもない。風船のようにふわふわと浮き上がっていった二人の高さは、やがて吊り橋を越えた。
「よっと」
橋の上に戻してまた落ちられても困る。マリコは崖の上、一行が向かっていた先の橋の袂へと降りた。抱えていた猫耳少年を下ろしていると、元々彼と一緒に居た一行が吊り橋の上を転がるように急いでやって来る。人数は五人。大人の男性が二人と女性が一人、猫耳少年と同じくらいの女の子と少し年上らしい少年が一人ずつである。
全員猫耳で、ジーンズっぽいズボンにシャツと服装はナザールの皆とあまり変わらない。女の子だけが膝下くらいの長さのスカート姿だった。一番に橋を渡りきった女性が、持っていた物をその場に放り出して猫耳少年を抱きしめる。
「無事なのね!? 怪我は、怪我は無い!?」
「あ、母さん……」
「母さんじゃないでしょ! ああ、気を付けて渡りなさいってあれだけ言ったのに……」
ずっとマリコに目を向けていた猫耳少年の生返事に、その場でお説教が始まる。次に着いた女の子は猫耳少年に抱きつくと、安心したのか声を上げて泣き出した。声を掛けるタイミングを逸したマリコがどうしたものかと思っていると、残りの皆も到着して猫耳少年を取り囲んだ。それぞれがその無事を確かめた後、男の一人がマリコに頭を下げた。
「息子を助けてくださいましてありがとうございます。それで貴女は、いえ、貴女様はもしや……」
今の姿形でわざわざ名乗るのも変だろう。途中で何かに気付いたように恭しくなった男にマリコは黙って頷いた。他の皆からも次々と礼を言われた後、マリコは腰に手を当てて一同を見回す。
「今日はたまたまわた……わしが通り掛ったから助けてやれたがの、いつもそううまく行くとは限らん。次からは気を付ける、のじゃぞ」
「それは重々承知しております」
猫耳少年の父だという男が当然のようにそう答えた。この世界の神々はそれぞれの都合や思惑があって動いているとされている。人はそれなりに目を掛けられているようだが、極論してしまえば「それだけ」なのだ。人だからといって無条件に助けてくれるとまでは思われていなかった。
「ふむ、そうかの。ところでおぬし」
何か釈然としない感覚を覚えながらも一応頷いたマリコは、今助けた猫耳少年に向き直った。身長差のせいでやや見下ろす形になる。何気なさを装って手を伸ばし、少年の頭を撫でるついでにその猫耳を撫でた。
「え? 僕?」
「そうじゃ。魔法でも体術でもよい。鍛えるのじゃ。そうすれば、またここから落ちても死なずに済む、かも知れぬぞ」
戸惑った様子の猫耳少年に構わず、マリコは続ける。それは相手のためというより係わりを持った少年に死んでほしくないと思う自分自身のための、ちょっとしたおせっかいのようなものかも知れなかった。
魔法であれば、先ほどマリコが使った落下速度調整を使えるようになれば最低限墜落死は免れることができるだろう。体術に関してはもう少しハードルが高くなるが、アドレーたちくらいにまでなれればこの高さから落ちても即死はしないだろうと思える。そして命さえあれば後は大抵何とかなるのだ。
「鍛える……」
「うむ。何をどう鍛えればよいのかは、周りの大人にでも聞くとよい」
かなり無責任な言い様ではあるが、猫耳少年の能力や適性が分からない以上、あまり詳しい話もできない。マリコは顔を上げて皆の方に視線を戻した。
「さて、それではの。皆でなるべく仲良く楽しく暮らすがよい」
それだけ言うと、再び腰に手を当てたマリコは指をブローチに触れさせた。今の姿では見えるところに着けられないので衣の内側、腰に当てた手の届く位置に仕込んであるのだ。声に出さず「帰還」と念じる。マリコの姿は煙の如くその場から消え失せた。
「あれが、風と月の女神様……。また会えるかな……」
少年のつぶやきは誰の耳にも届かなかった。
猫耳少年は心身を鍛え、女神と再会するために探検者となる……かどうかは不明です(笑)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




